【ルポルタージュ】

・変わりゆく弁護士像ー法曹は庶民に近づくか(連載第6回)=4月9日=

フリーランスライター
酒井隼男

 5、野球大会

 9月のある曇りがちの休日、弁護士の野球大会が仙台で開かれた。仙台弁護士会チームが、全国大会で優勝経験のある強豪・札幌弁護士会チーム「ローヤーズ」を仙台で迎え撃つ大事な一戦。過去5年間苦杯をなめ続けさせられてきた相手であるが、今年の大会にかける意気込みは違っていた。監督を務める高橋輝雄弁護士(中央法律事務所)を先頭に、チームはこの日のために、春まだ浅い日から毎週練習を重ねてきた。日弁連発行の雑誌「自由と正義」の随想欄に高橋監督は「打倒札幌!」とまで書きたて、チームに檄を飛ばしてきた。

 そんな気迫がチームに乗り移ったのか、仙台チームは初回からヒットをつらね2点を先行。その後も毎回のように得点を重ね、9対3と“予想外”の勝利を収めた。実に札幌から奪った初白星である。チームの要(かなめ)十河は2番ショートで先発、妻子の応援をバックに3安打の猛打賞、守ってもヒット性のライナーを好捕するなど非凡なプレーを随所で発揮し勝利に貢献した。この試合は、十河にとってはまた別な意味で嬉しい結果をもたらした。というのはこの大会で勝った仙台は、岡山での全国大会に出場することになったのだが、実はここが十河の出身地なのである。試合前十河は「勝って故郷に錦を飾りたいですね」と半分冗談まじりで語っていたが、内心期すモノがあったのだろう。
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 十河は1968(昭和43)年、岡山県玉野市で生まれた。父は公務員、母は小学校教諭という堅い?家に育ち、兄弟は3人、上は姉二人と双子の兄がいる。すぐ目の前が瀬戸内海で、幼い頃はよく父親の舟で釣りに連れていってもらったという。小中高とずっと玉野で、結局東北大に入学するまでここを出たことがなかった。玉野高校時代、十河は演劇部に所属した。同じ高校に入学しながら白血病でこの世を去ったある女子高生の日記を題材にした「シューベルトさま、こんにちは」で中国大会に優勝し、盛岡の全国大会に出たのが一番の思い出になっている。彼はその時医者の役をとる。彼がこの先取り組んでいこうとしている医療弁護活動を、何か暗示させるものがあったのかも知れない。ちなみにこの頃から弁護士への憧れが芽生えたという。

 1987(昭和62)年東北大学に現役で合格し、今度は奇術部に所属する。「少し見せましょうか」とさっそくコインを取り出し、筆者の目の前で消してみせた。「これが呑み会なんかでは結構ウケるんですよ」と笑ってみせる。人体を消したり、人が入っている箱に剣を突き刺したりする「イリュージョン」と呼ばれる大きな仕掛ものを得意とし、結局4年間部活動を続けた。

 3年生のときに“ものの試しに”司法試験を受けたがあえなく落とされ、4年生になってから受験勉強に本腰を入れ始める。「午前10時に図書館に行き、夕方5時まで勉強したあと、週6コマの家庭教師のアルバイトに行っていました。下宿に帰ってきてもそんなに勉強しなかったですね」と、拍子抜けするくらいあっさりとした受験生活を送ったと語る。なかなか現代っ子らしいクールでドライな合格体験であるが、もちろん我々からはうかがい知れない努力をしてきたことは、インタビューの合間からも察することができた。ちなみに夫人と知り合ったのもこの時期であるという。

 5回目の受験となった93(平成5)年に合格し、第48期修習生として翌年4月から司法研修に入る。この○○期という呼称は、彼の人生に一生付いて回る。とはいっても「○○年度入学生」というほどの意味合いでしかないが、「同じカマの飯を食った同期の絆」のような感情が生じるのだ。

 最初の4ヶ月は埼玉県和光市の司法研修所で全員が同一のカリキュラムで勉強に励み、7月下旬から希望地区に分かれて裁判所、検察、弁護士事務所とローテーションで研修を行う。十河はもちろん、仙台を選んだ。そして翌年11月に再び和光に集い最終研修と試験を受けて、希望進路へと向かう。詳しい研修内容はここでは省略するが、オウム事件で有名になった伊藤芳朗弁護士の著書「ボクが弁護士になった理由(わけ)」にその一端が紹介されているので参照されたい。修習生時代には一時「裁判官に」という進路も考えたというが「自由に仕事を進められますから」と、弁護士となる。「検察官は考えなかったのですか」という問いには「どうも自分には不向きだと思いましたね。相手の話に納得してしまう傾向がありますから」とトボケてみせた。

 修習のちょうど折り返し点に当たる95(平成7)年3月に結婚、弁護士開業の翌年に長女が誕生した。彼の人生は今、順風満帆のように見える。

筆者のプロフィール 1958年岩手県生まれ.40歳。1981年大学卒業後、大学生協職員。1995年家業を手伝うため岩手に戻る。家業の
かたわら、1996年から岩手の前沢町、衣川村を発行エリアとする「胆南新報」の記者。その後フリーランスライターを経て現在は業界紙の記
者。

mailto:Akihiro.Sakai@ma6.seikyou.ne.jp