・変わりゆく弁護士像ー法曹は庶民に近づくか(連載第7回)=4月16日=
フリーランスライター
酒井隼男
6、司法試験改革をめぐる三者の暗闘
法務省、最高裁、日弁連の3者協議会は97年10月、司法試験改革と法曹養成制度について一定の合意に達した。それによれば、“司法試験合格者を98、99年度は800人程度、2000年度以降は一千人程度に増加させる”、“司法修習期間を現行の2年から1年半に短縮し研修内容も見直す”合格枠制度は当面維持するが試験結果等を検証して近い将来見直すといった内容が骨子になっている。
これについては法務、最高裁側が一致して「大幅増加」を主張していたのに対して、日弁連内では意見が分かれていた。94年12月に開かれた臨時総会でようやく内部の意見をまとめることができたが、「今後5年間は八百名を限度とする」との関連決議が採択され、これがマスコミから集中砲火を浴びることになった。折から政府の行政改革委員会が法曹人口の大幅増加と法律事務独占の見直しを提言したこともあり、世論からは“規制緩和”の流れに逆行すると見なされたのである。増員反対派の言い分は「合格者の増加と修習期間の短縮は一体のものであり、法曹の質の低下を招く恐れがある」というものであったが、弁護士同士の競争激化による収入の低下を避けたいというのが本音、というのが一般的な見方である。しかしさすがに世論は無視することができず、翌年11月の臨時総会では「一千人程度」までの増加を認める決議を
採択して「軌道修正」を図った。
これについては最高裁がイニシアチブをとって議論をリードしてきたように思えるが、日弁連も注目すべき提案を行っている。最高裁の大綱案では、これまでの修習は「専門的な法廷技術、判決書作成の実務に深入りし過ぎていた観がある」と総括し、「基本的知識と汎用的技法を付与し現実社会に存在する多様な法的ニーズについて基本的情報を提供するのを目的とする」との考え方を明らかにし、修習期間を1年とした。
これに対し日弁連は2年研修を維持しつつ、裁判外実務研修の充実、弁護士会が研修に協力する旨の要綱を発表している。カギを握ることになった法務省は最高裁案に基本的に賛同しつつ、日弁連にも配慮した形で「1年6カ月」という妥協ともいうべき案を発表し、議論はこの線で収拾が図られていくことになる。
その後97年に日弁連は、研修に協力する具体案として「研修弁護士制度」を提案している。これは修習修了後、全員を一定期間「見習い弁護士」として実務研修させるというものだ。しかし最高裁、法務省とも「修習期間短縮にともなって研修内容を補うもの」「1年6カ月研修との合意が尻抜けになる」として拒否反応が強く、今回の合意には至らなかった。
この「研修弁護士制度」が提起している問題は、実は根が深い。というのも裁判官任用制度が最も影響を受けるからである。現在裁判官は、もっぱら司法修習を修了し、任官を希望する者から最高裁が選ぶというシステムになっている。当然そこでは最高裁の「メガネ」にかなう線引きが行われるとしても不思議ではない。1960年代後半から70年代前半にかけて青法協(青年法律家協会)所属と目される裁判官の再任拒否、任官希望者の拒絶が社会問題として浮上した(いわゆる“司法の危機”問題)。青法協所属で当時熊本地裁の宮本康昭判事補が突如再任を拒否された事件などで、日弁連や学者、マスコミがいっせいに非難の声を上げたが、ときの石田和外最高裁長官は“雑音に惑わされる
な”とこれを一蹴した。革新自治体が次々と誕生するという政治状況のもと政府に不利な判決が続出し、危機感を抱いた自民党が「偏向判決批判」キャンペーンを展開し、特に青法協がそのターゲットにされたのである。任官拒否はそんな自民党の意向をくんだのではないかと見られていた。
さらに一度任官されるとそこでは「キャリアシステム」、すなわちお役人としての昇進システムがはびこり、種々の弊害を招きかねないという指摘が出ている。すなわち、出世コースをたどるためには“上司”の顔色をうかがった判決を出さざるを得ないというのだ。それには反論もある。憲法第76条第3項には「すべて裁判官は良心に従ひ独立してその職権を行ひ…」とあるから、上司に気に入られるような判決など“あり得ない”という。
ともあれ“キャリアシステム”とは一線を画し、全員が一度弁護士経験を積んだ上で検察官なり裁判官に転身すべきというのが、日弁連の「法曹一元」の考え方であり、まさにそれを実現しようという内容であった。もちろん自らの支配権を脅かしかねないこの提案には、法務省や最高裁もおいそれと乗れない事情がうかがえるであろう。ここにも三者間の目に見えない駆け引きがあるのである。
それは最も議論が白熱した点で、「枠制度維持」を主張する法務省と「即時撤廃」を叫ぶ日弁連とで激しいやりとりがかわされた。まずはこの合格枠制度について再度検証してみよう。
日本で最難関といわれる司法試験は、長年の受験勉強を強いられるという受け取り方が一般的であろう。受験生の間では、「桃栗3年、司試8年」などといわれているくらいである。そのため合格者が高齢化するとともに、若い有能な人材の確保を難しくしているという批判が出ていた。特に危機感を持ったのは、任官希望者が減少していた検察を所轄する法務省である。そこで司法試験も管轄している法務省は、1988年に若年受験者の優遇を柱とする改革案を発表、91年に司法試験法が改正され「丙案」と呼ばれる現在の選抜方法が採用された。具体的には全合格者数の30%を初回から3年以内の受験者から決定するという内容で、日弁連が「法の下の平等に反する」などと反発ししばらく実施が見送られてきたが、結局反対論を押し切る格好で96年から実施されることになる。その結果、合格者平均年齢は1989(平成元)年の最高時28.9歳、平均受験期間6.7年から、97(平成9)年26.2歳、4.3年と目に見える形で若年化することになった。(98年度は26.9歳、4.9年と発表されている)この限りでは法務省側の狙いは当たっているかに見える。
一方合格者数の推移を追うと、それ以前には500名前後だったものが、91、92年600名強、93年から97年までは730名前後、98、99年は800名を目標とし、2000年からはいよいよ1千名枠に到達する。
法務省は今回の議論でも、日弁連が強く主張した“合格枠制”即時撤廃をつっぱねたが、一千人増員に当たって、無制限枠も増加させるとの弁明でなんとか合意に持ち込んだ。結果を見た日弁連も微妙に主張を変え「相当の改善効果が現れていることに鑑み、遅くとも2001年度においては枠制度を廃止すべきである」との声明を発表している。
だが合格者は1千人にとどまらない。法務省、最高裁はすでに「一千五百人合格」を視野に入れている。少なくとも合格者数問題では守勢に立たされている日弁連は、どんな対応をとっていくのであろうか。今後の議論が注目される。
筆者のプロフィール 1958年岩手県生まれ.40歳。1981年大学卒業後、大学生協職員。1995年家業を手伝うため岩手に戻る。家業の
かたわら、1996年から岩手の前沢町、衣川村を発行エリアとする「胆南新報」の記者。その後フリーランスライターを経て現在は業界紙の記
者。