・変わりゆく弁護士像ー法曹は庶民に近づくか(連載第9回)=4月30日=
フリーランスライター
酒井隼男
7、二人の母
10月のある日、仙台地裁308法廷。A青年の裁判が開かれていた。この日は別件の審理で、前回に続き本人尋問が行われた。これまた強姦容疑で訴えられた件だったが、本人は「合意があった」と主張し、検察と対立していた。十河はこの日の主尋問を、共に弁護活動を進めている相棒に譲った。Aは1回目の行為は「合意の上」、2回目は「強引さがあった」と証言し、検察の主張と食い違いを見せた。弁護側としては当
事者の車内での会話をできるだけ再現しながら、「合意があった」ことを印象づけようという作戦に出た。今日の公判は裁判長の訴訟指揮も少なく、結構思った通りの結果が引き出せたのではないか、と十河は内心思った。
この件の審理が終了し、前回に審理された事件の被害者の母親が示談に応じたいきさつを証言するため、検察側証人として法廷に呼ばれた。この母親は弁護団が用意した示談書に署名捺印したものの、錯誤があったと主張していた。つまり文言の中に「宥恕(ゆうじょ=寛大な心で許す)」「寛大」という表現があり、よく意味が分からなかったが「罪を重く罰すること」だと思いこんでしまったという。弁護団としては示談成立を否定されると量刑に大きく影響することから、十河を立てて示談の有効性と任意性を争った。
彼女は「犯人を厳しく罰してほしい」という気持ちがある一方、「早く事件を忘れてしまいたかった」からと示談に応じたいきさつを証言した。だが弁護士から説明を受けた上で署名捺印し、しかも示談金をすでに受け取っているからには、彼女の“勘違い”が認められるはずもない。彼女は娘をけがされた犯人を目の前に、気持ちが高ぶっていたのだろう、質問とは関係ない心の葛藤を吐露する発言を繰り返し、裁判長から再三「質問だけに答えるように」と注意を促されていた。十河も相手の母親の心情は理解するが、被告人の利益を守るという任務がある。冷たいと思われるかもしれないが、示談の有効性を確保すべく淡々と尋問を進め、ほぼ目的を達成したと確信した。
そしてこの日も、一部始終を見守るAの母親の姿が傍聴席にあった。二人は、加害者そして被害者の母という正反対の立場にありながら、おなかを痛めて産んだ子どもを思い、かばう気持ちは同じに違いない。そして、どちらも深く傷つき癒しに長い年月を要するのも変わらない。警務官に挟まれてうな垂れながら尋問の様子を聞き入る青年の胸に、被害者の母親の言葉はどう響き、その眼に傍聴席でそっと目頭をぬぐう自
分の母親の姿はどう映っただろうか。
筆者のプロフィール 1958年岩手県生まれ.40歳。1981年大学卒業後、大学生協職員。1995年家業を手伝うため岩手に戻る。家業の
かたわら、1996年から岩手の前沢町、衣川村を発行エリアとする「胆南新報」の記者。その後フリーランスライターを経て現在は業界紙の記
者。