紙面でも紹介しているが「第2回大曲市内小・中学生児童生徒俳句大会」の小学校低学年の作品が面白い。傑作揃いだとも言いたい。子どもたちの感性の豊かさには驚くばかりだ。
おかえりと 言ってるような 雪だるま 三浦崇人(大川西根小2年)
ウーン。雪が積もった日、お父さんと一緒に玄関前に雪だるまを作ったのだろうか。小さな雪の塊を転がし、それこそ雪だるま式に雪を膨らませて大小2つの雪の玉を作り、上下に乗せる。そして炭を使ってまつげ、目、鼻、口を描いて完成。素朴だが親しみやすい雪だるまの姿が目に浮かんでくる。その雪だるまを背に朝、学校へ行った。帰ってきたらニコニコと笑いながら「お帰り」と声をかけてくれそうな雪だるまが家の前にある。なんて素敵な雪国の話だろう。
さらに
雪だるま しょうらいなにに なりたいの 佐々木貴悠(東大曲小2年)
には頭が下がる。雪だるまに託して、その将来の夢を見る。この子は将来、何になりたいのだろう。雪だるまは一体、将来、何になりたいと祈るだろう。少しでも気温が上がるとはかなく解けてしまう雪だるまの命。それでも佐々木君は雪だるまの将来に夢を託してみた。
自分も小さいころ、裏の畑でせっせと雪だるまを作った記憶がある。最初は小さな塊だったが、雪原を転がしているうちにそれこそ動きが取れないほど雪で着膨れした玉が出来る。さらに大きさの違う雪の玉を作って上に乗せて完成だ。自宅に戻って炭を持ち出し、まつげ、目、鼻、口を描いた。一人で作った雪だるまのユーモアな姿に満悦したものだった。あのころは遊びがいっぱいあった。竹スキー、スケート、子ども同士が集まれば雪合戦、相撲もやった。柔らかい雪の上では転ばされても痛みは感じなかった。
竹スキー、スケートは路上だった。車社会の今では考えられないが、当時は車など滅多に見ることはなかった。バスさえ走ることはなく、駅までの交通手段と言えば「ドットピー」という大きなソリの上に箱型の乗り物を乗せ、それを馬が引いて走るものしかなかった。なぜ「ドットピー」と名付けたのかは馬の手綱を持つ人が「ドットピー」と変な音を出すラッパを持っていたからだと聞いたことがある。その大きなソリで踏み固められた路上はピカピカに光るほど凍った。だからスケートや竹スキーの絶好の遊び場となった。
冬休み、路上が凍った日は朝から晩までスケート、竹スキーを楽しんだ。スケートは金具を縄で長靴に縛りつけて固定させるといった原始的なものだった。しばらくして、バンドが付いていてワンタッチで固定させるというしゃれたスケートも登場した。冬場は近所のガキどもと良く遊んだことしか記憶にない。多分、夜の8時か9時ごろだったと思う。スケートを履いて隣町まで足を延ばし、自分の集落にはない明るい街灯があって路上が青白く輝く幻想的な光景を見て、とても興奮したものだった。
雪だるま かあさんみたい まんまるい 佐々木優衣(四ツ屋小1年)
なるほど、お母さんはまんまるいんだ。ふくよかな丸みを持ったお母さんの姿が目に浮かんでくる。台所に立ってせっせと夕食の準備に勤しむお母さんの姿が目に浮かんでくる。「○○。勉強したか」と成績を気にしながらニコニコした笑顔で話しかけるお母さんの姿が目に浮かんでくる。母とは切なく甘いものだ。そしてまんまるいものだ。優衣。ゆいチャンと読むらしい。ゆいチャン。お母さんはまんまるいんだね。
このゆいチャンの俳句を思い出したせいだろうか。今朝、4つ足の娘を連れ立って近くを散歩していたら、一人で畑を耕しているご婦人の姿が目に入った。水色の前掛け、白い手拭いを被った婦人はこちらを見つけ、アキに呼びかけた。「アキちゃん。元気か」と。その姿に亡くなった母がなぜかダブって涙がこぼれた。母も天気の良い日は畑に出かけクワを振るっていた。トマト、キャベツ、ほうれん草、サトウキビ。そうしたものを栽培しては食卓へあげた。当時はだれもが肉体労働に追われた時代だった。夕方、泥んこになった手で帰っては急いで台所に立った。ゆいチャンのお母さんのようにまんまるい母ではなく、老いた悲しい母の姿しか自分の記憶にはない。
雪だるま 夜のみはりは お願いね 橘田 泉(花館小3年)
という作品もある。深々と雪の降る夜。この子は雪だるまに家の見張りをお願いした。なるほど。雪だるまは強いんだ。深夜、家の中に忍び込もうとする悪い人を見つけたら雪だるまはきっと「コラーッ」と大声をあげて追い出すのかもしれない。
小学校低学年の俳句を読み、さまざまな思いで楽しんだ。小さな子どもたちが託した雪だるまへの夢。感性豊かな願い。そして観察力の高さ、鋭さに驚いたり笑ったりした。大人になった自分はどう転がったってこんな発想はもう沸いて来ない。雪だるまの丸さを見てお母さんみたいなんて思いもつかないだろう。雪だるまに「将来、何になりたいの」なんて話しかける気持ちにはどう転がったってなれない。
選挙戦の取材に追われ、放っておいた小・中学校児童生徒の俳句大会の作品だったが、読み返して大きな発見につながった。幼いころを思い出し、ひとしきり昔に返った。あのころが良かったとか楽しかったとかは言うまい。幼いころには幼いころの悩みや心配があった。でもやはり楽しかったかな。冬は冬で。夏はそう。度胸試しというガキ同士の遊びがあった。近くのお墓へ連れ立って行き、先輩ガキがまずちょうちんを手に夜の墓場を一人で回って帰ってくる。だれかが墓の側に隠れて脅す。「ワーッ」。悲鳴を挙げて逃げたら負け。「次はだれだ!」。先輩ガキに促されて恐る恐る墓場へと足を運んだが、とうとう途中で逃げ帰った苦い思い出もある。
ホタル狩りと称して、近くの小川へホタルを取りに行ったこともある。随分、たくさんのホタルを取ってカヤの中に放して、そのほのかな光を見ながら寝入ったこともある。子どものころは次々と遊びを考え出して、近所の仲間と遊んだ。そうした子どもの姿を今は見ることがない。
2日から5日まで妻と長崎へと旅に出る。連休中の旅行なんて本当に久しぶりだ。そして九州へ足を踏み込むのも初めてだ。目的はハウステンボスの見学だが、太宰府天満宮、博多織、そして長崎では平和記念公園、原爆資料館、大浦天主堂などの見学も日程に入っている。久しぶりに羽根を伸ばしたい。読者の皆さまにもいい連休であってほしい。