同居していた当時21歳の娘が、地震の揺れの恐怖と部屋の惨状を見て、泣き出した。“大丈夫よ。命は無事だわ。またやりなおせばいいの”、と微動だにしない母親は、娘を静かにこう励ましたそうだ。
“私は強い女、精一杯生きてきた”。 ファヒメ・ホセイニは、ソファーに優雅に腰掛けながら、これまでの彼女の来し方を語り始めてくれた。15歳で親がアレンジした人と見合い。16歳で結婚。年若い年齢の結婚はイランでは当時めずらしくなかった。18歳で男の子と女の子の双子の母親になった。しかし、もともと愛情があっての結婚でなかったため離婚。その後20歳の時、2歳になる息子が3階から転落。子どもは即死だった。その子を救おうとした彼女は、2ヶ月間意識不明。昏睡状態から奇跡的にさめた時、もう息子が彼女の手に帰らないことを知らされた。毎日、泣いた。毎晩、泣いた。そう言いながら、ファヒメの目に涙が浮かんだ。
気丈にも、慟哭の悲劇から立ち上がり、残った娘のために身を賭して働き成功。たくさんの従業員に囲まれ裕福に暮らしたものの、時のホメイニ政権の政情不安。“この国では自分が自分になれない。自分の将来はこの国にはない”と、直感して、知り合いもなく、英語力もゼロの単身渡米。母親に自分の娘の世話を頼み、アメリカでの第一歩を、文字どおり一から始めたのだ。テヘランで作りあげた盤石な生活基盤を捨てて、一からやり直すことは勇気がなくてどうしてできようか。
高校までイランで過ごした彼女の娘は、年2回アメリカから会いに来てくれる母親との面会を楽しみに、さみしさに負けず頑張った。ファヒメと同居して、8年になるこの娘も無事こちらの大学を卒業し、社会人となり、この夏結婚する。挨拶を交わした時の、まっすぐに私の目を見てにっこり微笑む、26歳のこの女性を前に“ファヒメのまっすぐな生き様が、こんな素直な娘を育てたのだ”と正直感動した。
“心が一番大事。自分に負けない強い心。他人を思いやる温かい心”と、ペルシャ語アクセントのある英語でファヒメは何度も繰り返した。ある日、車で走っていたら、おばあちゃんが買い物袋を両手に、何度も立ち止まりながら歩いているのを見た。思わず、車から降りておばあちゃんのもとに歩み寄った。“おばあちゃん、家まで私が車で送ってあげる” ロサンジェルスは車がなくてはどこにも行けない。年老いて、車のない、身寄りもないおばあちゃんの身の上を知ったファヒメは、美容院の休店日の毎週木曜日午前11時、おばあちゃんの家に行き、おばあちゃんを車に乗せて、買い物につきあってあげた。自分が行けない時は、知り合いにお金を出して、おばあちゃんの買い物の世話が途絶えないように、手配した。
“毎週、映画を見たり、食事したりして2、3時間はあっと言う間に過ぎる”その時間を、一人の困っている人のために使おうと思ったからだそうだ。ファヒメの、この週2、3時間のおばあちゃんへの献身は、もう10年になると言う。その間1週も欠かしていないと言う。“私だったら続かない”と思わず口に出てしまった。私は本当に次の言葉が出てこなかった。彼女の大きさに圧倒されたのだ。
ピンクサーモンとグレーの温かいトーンで統一された、サンタモニカにある彼女の自宅に毎週、花束が届く。私がお邪魔した時は、先週のお花。今週のお花。それぞれダイニングテーブルとキッチンに飾られていた。送り主は、ラヒーム。やはりイラン人で車を売る仕事をしているボーイフレンド。“結婚はしない。一度離婚しているし結婚の形をとらなくても、お互いの愛情があるだけでいい。その方が快適に生活のバランスが
とれる。自分の人生のスタイルに満足している。”ファヒメは自分が今幸福であると断言した。
“それに、娘がこの夏結婚するけど、将来何があるかわからない。いつでも、娘が帰ってこれるように、彼女の部屋はそのままとっておきたいから”そう、やさしく彼女はつけ加えた。