どうしてかな?。あんなに楽しみにしていた長崎への旅が、予定日が近づくほど不安が募った。気分が滅入るほど不安と心配になってくるのだ。飛行機が落ちるのではないかとか、お金は大丈夫か、とかではない。ただ漠然とした不安だからやっかいだった。「やはり止めて、普通に暮らした方がいいのかな」とさえ思った。それこそ数カ月も前から子どものように喜び、眠れない夜さえあったのに。やはり井の中の蛙というのだろうか。旅なんて滅多にしたことがない。思い返せば北海道へは2回。南と言えば大阪や奈良、そして岡山の姫路市である。東京へは何度も行ったが、何度行っても地理は不案内で電車にさえ一人では乗れない。まして九州なんて。
その不安は旅立つ前日の1日夜まで続いた。そして当日の2日朝。午前5時に妻に起こされ、出発の準備となった。あわただしく顔を洗い、パンとジュース、牛乳で食事を済ませ、四つ足の娘を妻が抱いて午前6時に家を出た。娘は妻の実家に預けるためである。もう開き直ったせいか、家を出ると同時に不安は露と消え、遠い長崎へと夢を馳せた。幕末に活躍した坂本龍馬や勝海舟、西郷隆盛らが往来し、歴史の舞台となった長崎への憧れが炎のように燃え上がった。
そして秋田空港午前8時45分発の羽田便へ乗り込み、福岡空港へは午後0時半に着いたのである。いずれも機内は満席だった。やはり連休を利用して多くの人たちが移動しているのである。それにしても羽田での待ち合わせ時間を含めてもわずか4時間足らずで秋田〜福岡間の移動が出来るから便利になったものだ。福岡では個人タクシーを借り切って太宰府天満宮を歩いた。運転手は途中、途中で名所旧跡を丁寧に案内、言葉づかいも優しく、「秋田ですか。あきたこまちはおいしいですよね」とリップサービスも欠かさない。観光産業に手慣れたサービスの良さを感じられた。
秋田だとこうはいかない。タクシーに乗っても無言。レストランに入っても無言、無表情。黙ってコップを運び、無表情で注文を聞きに来る。だれかが言ったけ。秋田の観光産業はまるで磨かれてない「原石」だと。あっ。もう言うまい。秋田の悪口は。だって、最近は随分、サービスも良くなったと言われるから。
とにかく学問の神様「菅原道真」が祭られているという天満宮をお参りした。いまさら大学に入るわけでもないから、買ったお守りは「健康お守り」。華やかな色彩の神社を眺め、道真の晩年の不幸を伝える案内文に目を通し、その歌に感動した。
東風(こち)ふかば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れこそ
なるほど。道真は私は京を離れることになったが、東風が吹いたら春を忘れずに匂いを香らせてくれと歌ったのか。なら自分は故郷・秋田を離れることになったらどう歌おうか。「北風ふかば悲しむか木々たちよ あるじは雪を逃れて南の国へ」なんて下手な歌を詠んだ。お笑い下さい。
その晩、止まった宿は佐賀県の武雄温泉だった。幕末にはシーボルトの愛人も働き、坂本龍馬も足を運んだという温泉宿は「花月」だった。露天風呂も付いた温泉での一夜は本当にくつろげた。翌朝は目指す長崎市の「ハウステンボス」である。温泉駅から列車に乗り込んだのだが、驚いたことに真っ赤なけばけばしい列車にオランダ語でハウステンボスの文字を躍らせるほど、JRがドル箱路線として総力を挙げているのだ。列車はものすごいスピードでテンボスを目指す。途中の光景は秋田の秋の農村にそっくりだった。もう稲が黄色くなっているのかとさえ思ったが、列車がスピードを落とした時に目を凝らしたら稲ではなく麦だった。かわらぶきの屋根を乗せた家々のたたずまいは秋田よりもズッシリと重みを持って見えた。豊かな農村を感じさせた。幕末の歴史の舞台の一つとなったせいか風景全体がどこか重みがあるとさえ思った。
さてそのハウステンボスである。入国したと同時に目を見張った。ここは日本ではない。まさにオランダ!だ、と。まるでおとぎの国!だ、と。人、ひと、人が吸い込まれる。人、ひと、人が流れる。雑音。楽器の音。掛け声。とにかくおとぎの国は美しく、観光客で活気にあふれていた。
「一日では見切れないから、こことここ。そしてここは見てきて下さい」。旅行日程を組んだ交通公社は言った。「そのためには2階建てバスに乗って、まずハウステンボスの一番、奥まで行って、そこから戻ってくるコースが一番です」とも。バスを待つ。何重にも人の列が続く。最初からバス待ちで30分以上の時間を浪費した。やっとバスに乗り込み、目指す奥へと向かった。とにかく何もかもきれいだ。庭も建物も木々も草花もすべてが目を見張るほど美しい。天国のような美しさだ。
しかし、バスを降りてから思った。美しいが「脚力と忍耐力と経済力」の3力がなければ天国も地獄だと。とにかく歩く。そして人気のある施設は待つ。ジーッと待つ。さらに食べたい物、飲みたい物、そして欲しい物を目にすればなんと言っても経済力がモノを言う。本物の水を使ってオランダの水害を再現するという施設では、それこそ長蛇の列が続いた。「どうする?」と妻を振り返った。「待つわ。だって、ここは絶対見落とすなと言われたもの」。妻の目は子どものように輝いた。待ちながら、隣のお客さんたちに言った。「ここは脚力と忍耐力と経済力の3点セットがなければ暮らせない天国のようですね」。女性客たちは笑い、男性は「経済力か。そりゃおれもないねー」。
ともかく午前9時23分に入った天国は時間を忘れさせ、午後5時半まであきることなく楽しませた。ビールを飲み、肉料理を食べ、ここまでは天国だった。しかし、天国を離れ、現実のバスに乗ったらたちまち胃の調子が崩れて地獄を味わった。それにしてもハウステンボスで働いている人たちの数だけで2000人とも聞く。すごい雇用の創出である。そして私たちが訪れた日だけで5〜6万人の入国があったというから壮大な観光地でもある。
ハウステンボスを離れ、バスに乗ったが長崎市までは普段なら1時間10分のコースも交通渋滞に紛れ込み、市内に入ったのは夜8時近かった。タクシーに乗り込みホテルを目指したが、坂の町・長崎である。自分なら躊躇したくなるような急坂をタクシーはいとも簡単に登っていく。こんな山の上にホテルなんてあるのかと不安になったが、着いたホテルは目を見張るほど豪華だった。部屋に案内され思わず声を出してしまったのは大きな窓から見える夜景の美しさでだった。日本3大夜景。函館、長崎、神戸。なるほど美しい。その美しさを目玉にホテル「清風」は建設されたのだろう。
それにしても坂である。料理を運ぶ部屋係の仲居さんに尋ねた。「皆さん、こんな坂道に家を建ててますが、通勤や買い物はどうするんですか」。「ええ。みんな歩いて通ってますよ」。当たり前のように言う。「足腰が強くなりますよね」。「ええ。そりゃあ。慣れなんでしょうね」と仲居さん。しかし、翌朝、長崎新聞に目を通してやはりと思った。来年からスタートする介護保険を問題にしているのである。坂の多い長崎では、介護施設へ通所しながらサービスを受けるにしても、タクシーしか方法がない。その移動費が介護保険では見てくれないと制度の欠陥をあげつらっていた。歴史の町・長崎は観光にはいいが暮らすには大変な町なのである。
翌日は雨の中、一日、長崎観光バスで平和祈念公園や原爆資料館、大浦天主堂、グラバー園などを巡り回って夕方の便で東京へと向かった。東京も雨だった。品川プリンスホテル32階で東京の夜を眺めながら食事となった。華麗な夜の東京。雨の東京を眺めた。そして翌朝、6時に目覚め、ホテルで朝食を取って大急ぎで東京駅から静岡を目指した。長谷川さんに会いたい。その一途だった。妻は都内のデパート巡り。こちらは県南日々の熱心なファンである長谷川雅美さんに会える喜びで胸がいっぱいだった。まるで子どものように。そう。静岡に行く前にも長谷川さんに「『子どもの日』に子どものような大人が行くけどいいかな」。そんな電話をしていた。長谷川さんは「大歓迎しますわよ」と温かい声で応対してくれた。
8時45分きっかりに静岡駅に着いた。ホームから出た途端、携帯電話が鳴った。「もしもし。伊藤です」。「わたし。長谷川よ」。明るい声が電話で響いた。「ああ。長谷川さん」。大声でこたえデッキを歩いていたら、「伊藤さん。そっちじゃない。下。下。階段を降りて」。長谷川さんは電話でこちらの様子を見ながら、階段の下で手を振っていた。子どものような大人はその長谷川さんの姿に母のような甘さを感じ、思わず涙ぐんでしまった。恥ずかしいからその涙を隠し、階段を駆け降りて二人で手を取り合い子どものようにはしゃいだ。衆目があった。が、不思議なほど気にならなかった。
車に乗り込み、長谷川さんが自分のために用意してくれたプレゼントは富士山が見える海沿いの散歩道だった。「あれが伊豆半島よ。良かった。昨日は大雨で心配したけど、こんなにもきれいに晴れ上がって」。長谷川さんと歩いた。気分は上の空だった。富士が近づいて来ないかとどんどん歩いたが、富士はいつも同じ距離を保ってこちらを見つめていた。秀麗な眺めだった。長谷川さんは母のように優しかった。困ったことだが、いつの間にか母を前にしたような安心感で胸がいっぱいとなった。切なくさえなった。「伊藤さんは私をお母さんだと思ってるでしょう。いいわよ」。長谷川さんの声がきれいに、しずかに心に染みた。富士には月見草が良く似合うと言ったのは太宰だった。振り向いたら長谷川さんの明るい笑顔があった。富士には長谷川さんの笑顔が似合うと思った。思い出の焼津海岸の散歩だった。
寿司をごちそうになった。寿司屋でも店のご主人が、「秋田からですか」と言い、「うちの店ではあきたこまちと秋田の味噌を大雄村から直接、取り寄せてるんです」と言い出した。そして昨年も秋田へ訪れ、八幡平から田沢湖へと旅をした思い出を語って聞かせた。こんな所にも秋田ファンがいた。長谷川さんと寿司屋さんとそしてこのケンニチのためにもう50回にもわたって「アメリカ暮らし」を書いて下さっている岩間郁夫さんも静岡県の方だ。「ケンニチと静岡はなぜか縁が深い」。そう長谷川さんに言った。長谷川さんはまた素敵な笑顔でこたえた。午後2時34分。帰りの時間が容赦なく迫ってきた。駅まで見送りを受けた。デッキでサヨナラをした。なぜかとても切なくなった。別れとはこんなにも悲しく切ないものか。「また会おうね。アキタで」。何度も何度も長谷川さんと誓った。そして新幹線は静岡駅を静かに離れた。最後まで最後まで長谷川さんの笑顔を見つめた。3泊4日の旅はこうして終わった。