リー・敦子さんの「真心・ふれあいロスアンジェルス(3)」(99・5・16)

 「オメ、ンダンダ、オラホ、エッペ」などなど。日本から直接ロスに郵送される新聞の、今日の記事でみつけた嬉しい秋田弁。秋田の大館の方がインタビューに対して述べられたところだ。ロスに住んで12年、日本人のたくさんの知り合いができたが、私の秋田弁の通ずる人は誰もいない。だからその反動か、月いちくらいで電話する田沢湖町神代の妹や、大曲の内小友の実家のオトウチャンとの対話では、これでもかと秋田弁でしゃべりまくる。向こうが驚くくらい私はひどい秋田弁らしい。電話を切る時は、「シタラマメデナ。 バーイ」と最後は英語。オトウチャンも「バーイ」と返してくる。因みにこの私のオトウチャン、「こちらアメリカだ」と私の電話第一声を聞くと、「オー! ハーワーユー?」とくるからたまらない。

 最近朝日新聞で、韓国の金大中大統領が訪日して以来、日本人の対韓感情がとてもよくなってきているとの記事を見た。

 韓国人を主人に持つ自分としては心温かくなる思いだ。主人、ジェイムスとの縁は、ある国際団体に勤務していた時の同僚と、その彼の親友のおかげ。海外からの VIP 受け入れ手配で名古屋に出張の時に、この同僚の親友と私3人で面会。大阪よりロスに渡りジェイムスと親しかったこの方の直感で、縁がつながった。実物以上によく撮れてしまった私の写真を見て、ジェイムスはロスより太平洋を渡っての写真見合い。成田で初顔合わせで12時間後には結婚を決めたという、“人生はギャンブルなり”。

 結婚の為、ロスに向かう途中にソウルに寄り、彼の両親に挨拶。高齢の両親は、50年ぶりだといいペラペラ日本語で私に話かけてくれた。感動。感動。本当に嬉しかった。私の韓国語は、結構何を言っているか聞き取れるものの、まだまだ挨拶が精一杯の程度。それでも、日本語と文法がほとんどそっくりだから覚えやすい。皆で綱引きの時はヨイショと声をかけるのは日本と同じ、驚くほどたくさんの共通の言葉がある。

 相手が韓国人という事で、結婚を反対された人は多いらしい。その点、我が内小友のオトウチャンは国際人。「日本人は戦争の時、韓国人に本当にむごい事をしてきた」と心情を吐露し、娘がいいと決めたからいい人だと全面賛成。日韓の歴史を正しく認識し、偏見を持たない父がとてもりっぱに見えたものだ。

 結婚してみると外見はほとんど同じ民族でも文化の違いには苦労した。教育熱心な両親のおかげで、主人の兄妹は4人とも韓国のソウル大学、延世大学、梨花大学など卒業し、さらにアメリカの大学院を卒業、滞米30年のアメリカ文化主流派。それで随分救われているが、それでもである。どんな苦労かは、またの機会に触れようと思う。しかし、国際結婚の恩恵。自分のコンバスというか、物事や人の見方など随分大きく広がった。みんな自分と同じに感じると思ったら大間違いなのだ。

 92年のロスアンジェルスの暴動の際は、韓国人と黒人の人種問題がとりあげられた。お互いを知り友達になろうと、教会などがバックアップして各種の行事がもたれた。旅行会社を経営する友人の事務所のあるビルを訪ねる度、偶然たて続けに1人の黒人青年とすれちがった。彼は、端正な顔立ちにスマイルで「アンニョハセヨ」と挨拶をした。私を韓国人だと思ったのだ。私も「アンニョハセヨ」とナイススマイルで挨拶を返した。「私は日本人です」なんて言うのはヤボというもの。

 ロスが誇るゲッティ・センター。そのポール・ゲッティ美術館のボランティアを始めて9ヶ月。毎週火曜日の午前10時から午後1時半まで、世界から来る見学者のお世話をする。先週はフランス、ドイツ、ニュージーランドからの見学者と話した。ある人は、私を中国人と思い「ニーハ
オ」。またある人は「こんにちわ」と大当たり。私の姓がリーと見て、「あなたシンガポール人?」と聞かれる。私たち日本人は世界に出たらアジア人。この視点を忘れずに、インドネシア、マレーシア、香港などなど、たくさんの友人を作りながら、各国の文化を学んでゆきたい。世界からの人たちが集まるロスは最高の場所だ。世界を結ぶのは心。懐かしい大曲西中や大曲高校時代の友人たちとの友情を宝に、さらに自分の人生の宝物を増やしてゆきたい。県南日々新聞の伊藤さんの相手を思いやる細やかさと誠実さに学びながら。

尚、ゲッティ・センターのサイトは下記の通り。

http://www.getty.edu