「私も車持とうかな・・・」。妻がそう言い出したのは3月に入ってからだった。短大を卒業してすぐに免許は取得したもののもう、この30年間、ずーっとペーパードライバーで過ごしてきた妻である。これまでも何度か同じようなことを言っては「やっぱり事故を起こしたら大変だから止めたわ。車代を考えたらタクシーの方が安いもの」とあきらめていた。妻の車に関しては反対もしなかったが、かと言って積極的に賛成もしなかった。職業柄、悲惨な交通事故を目にする機会が多かっただけに正直言えば車は持たせたくなかったのである。
もう随分前だが、保育園児を迎えに行った帰りに国道を横断する際、一時停止を怠り、大型車が衝突、母子もろとも即死した事故現場を踏んだ。駆けつけた救急車も救助をあきらめ、遺体は毛布をかけられたまま路上に静かに寝かされていた。父親が血相を変えて駆けつけた。激しい慟哭のまま、若い父親は亡くなった妻の遺体にすがり付き、「バカヤロー、バカヤロー」と叫んでいた姿が今も目に浮かぶ。妻と子を一瞬にして失った悲しさと悔しさでどうしようもなかったろう。泣き崩れたあの若い父親の姿が哀れ過ぎた。「これが交通事故の現実なんだ」とこちらも悲しい思いで、現場の写真を撮った。
今度も簡単に車のことはあきらめるだろうと見ていたが、それから数日して「やっぱり車が欲しい」と言い出した。「止した方がいいよ。事故に遭ったら大変だよ」と言ったら、「そうねー」と少し考える様子を見せてその話しは途絶えた。そして「やっぱり車が欲しい。どんな中古でもいいし、軽に乗りたい」と今度は譲らない。なら、こちらも条件を出した。「軽に乗るなら、新車にしてくれ。新しい軽は安全対策のため車体が一回り大きくなっているから」と。再び話しは途絶えたが、4月に入って今度は「ねえ。こんな形の車が欲しい」とノートに見事な絵を描いた。それはイギリスのミニクーパーに似たクラシックな形の車だった。どこでどんな情報を仕入れてきたのか、それまでは車に関しては全くの無頓着な妻だったのに驚いた。
「仕方ない。そんなに車が欲しいなら買うべきだろう」。こちらも決意した。なぜなら、自分も健康な今ならいつでもどこへでも送迎できるが、もしも自分に何かあったらとも考えた。我が家は職住近接ではない。職場に通うには車がないと不便な場所である。変な話だが、自分にもしもの事があった場合の事を考えたら気の毒だとも思った。
そしてその週末、車のディーラーを回った。数社からカタログをもらい、その中からお目当ての車を見つけた。それはダイハツ「ジーノ」と言う愛きょうタップリで可愛いヤツだった。家の近くの販売店にカタログを持参して、その場で車を注文した。販売店の店主は「奥さん。免許証があるならどっか広い所まで車を持っていってもらい、試しに運転してみたら」と勧めた。軽乗用車を借りて、休業中の誘致工場の駐車場で運転させてみた。ところが、エンジンの掛け方さえ知らない。さらには駐車場を走らせてみたが、怖がって右往左往する始末。これでは無理だなと自動車学校への再入学を決意してもらった。
夕方、仕事を終えてから毎日、自動車学校へ通った。最初の日と次の日、そしてまた翌日の合わせて3時間は学校の構内での試運転が繰り返された。案外、スムーズに構内を走った。教官は「もう大丈夫。うまいもんですよ」と太鼓判を押し、その翌日からは路上運転となった。戻ってくるたびに「恐かった」と胸をなで下ろすが、その目は喜びにあふれていた。教官は路上運転を通じて、「左折するときはこうだ。右折するときはこことここに注意を」と安全の手引きを実際の運転を通じて教え込んでくれたようだ。さすが教えのプロである。
多分、自分だったらそうは行くまい。結局、短気を起こして怒鳴りつけ、お互い気まずい思いをしたことだろう。多少の金を掛けても教えのプロに任せて良かったと自動車学校へ連れて行っては妻の車の運転を見送った。こうして合わせて10時間の運転教習は幕を閉じ、5月8日、自動車学校から初めて自分の車を運転して自宅へと向かった。妻の運転はハンドルにすがり付くような不安定さがあったが、それでも自分で運転できたから嬉しかったのだろう。家に着いてから「ああ。無事にたどり着いた」と大きな声ではしゃいだから。
それからも我が家と妻の実家までの約8キロを運転教習コースとして何度か走らせた。初めての実家訪問では妻の母も兄夫婦も、さらにその子どもたちさえも外に出ていて拍手で迎えた。「恐かった」を口癖のように連発する妻だが、気分は最高だったかもしれない。しかし、危ないと思うことも何度かあった。ワイパーと方向指示器が教習用の車とは逆になっているからだ。方向指示器を動かそうとしたらワイパーが動きだし、ハンドル操作さえ忘れてしまう。変則T字路。民家のブロック塀が目の前である。「危ない!。ハンドル切って!。ハンドル!」。とうとう、大声で怒鳴ってしまった。「ハイッ」。妻は自分を自動車学校の教官と勘違いしたのか怒鳴り声にも意外と素直に従った。
そして休日を利用して白線内に車を駐車する練習も繰り返した。自動車学校でも1時間ほど習ったが、これだけは何度、やってもうまくいかない。とうとう「この車はハンドルが重過ぎて、女の私には無理」とさじを投げた。
そして22日の日曜日。待望の車が来た。玄関前に可愛いヤツがピタリと止められた。ラジオ、CDデッキなど使い方の説明を受ける妻の目がとても輝いていた。車内を開けて持ち込んだライオンの縫いぐるみのティッシュペーパー入れ。コウモリ。まだ運転さえ覚束ないのに妻のマイカーである。いそいそと準備を進める姿を見つめて、「これで良かったんだ」としみじみと思った。こんなにも喜ぶのならもっと早く車を持たせてやれば良かったとさえ思った。車は我が家に新しい幸せをさえ運んできた。幸せとはこんなにも平凡で、当たり前の事かもしれない。
妻の駐車場への駐車の仕方はまだ本当ではないが、大分、慣れてきた。しかし、まだ一人では運転したくないと言い張り、妻のマイカーは未だに日中は車庫の中で眠ったままだ。若葉マークを付けて、トコトコと路上を走るダイハツ「ジーノ」の白い姿を見かけたら、読者の皆さん、どうか許されたい。