この新聞を立ち上げる準備をしていたときだった。技術的な面で応援してくれた田沢湖芸術村デジタルアートファクトリーの海賀孝明さんが「伊藤さん。いつかは『県南日々新聞によると』なんて反響が起きるような新聞になったらいいね」と言ってくれたのを覚えている。新聞がスタートする一カ月前の1996年11月だった。あのころはインターネットに付いてはかいもく分からず、大海に小舟で入るような心細さだった。あれから3年近くなろうとしている。まだまだ「県南日々新聞によると」までは行かないが、20日日曜日の大曲高校の生徒の「読者の広場」への書き込みは嬉しかった。
重い心臓病でアメリカに渡って移植手術しか助かる道がない和輝君への支援活動を「県南日々で知りました。手術まで時間がなく、急を要するということで、クラスで話し合い、フリーマーケットの収益金を和輝君の治療費として寄付することにしました。学校祭は9:00から14:30ごろまで開催されてます。是非、お越し下さい!」の呼びかけだった。どのくらいの読者がこれを読んで学校祭を訪れたかは分からないが、高校生からのこの書き込みは心底嬉しかった。
その記事のきっかけは湯沢市の佐々木英昭さんからの支援のお願いメールだった。和輝君の症状と募金活動の事は15日に和輝君のお父さんと和輝君支援の会が秋田市で記者会見を行い、16日に一斉に報道されていたから県民だれしもが知ることになった。ケンニチの出番はないと思っていただけに、湯沢市の佐々木さんからのメールも嬉しかった。「ああ。この新聞も期待されているんだ」と喜びながら記事にした。そしてその記事が今度は大曲高校の学校祭で役立つことになった。 「県南日々新聞によると」はまだまだ遠い先の夢かと思っていたが、一歩近づいたようで嬉しくなったのである。96年12月1日。秋田県南日々新聞の誕生日である。あのころは、毎日のアクセス数を見ては一喜一憂していた。当時の記録をひもといてみた。12月16日午後5時半、アクセス数973。16日かかってやっと1000件近くのヒット数だった。それでも嬉しかった。幼児がおもちゃを手にしたような気分で毎日のアクセス数を記録した。いつかは「県南日々新聞によると」と読者の反響を呼び、役立つ日の来るのを夢見て。
こうしてコツコツと郷土のニュースを書き続け、よちよちと歩き出した県南日々は昨年6月26日にヒット数「10万件」を達成した。1年7カ月で10万人目のアクセス数の達成となった。あの感激の日から間もなく1年目を迎えようとしている。県南日々新聞へのアクセス数は今朝までに18万8000近くを記録した。最初の10万が1年7カ月かかったのに比べると、とても周期が短くなった。インターネット人口の普及がそうさせているのだろうか。嬉しい限りだ。
一方の収入の方も広告や大曲駅観光情報センターのプラズマへの県南日々新聞のニュース提供や「おばこネット」の表紙写真の更新などでいくらか現金が入るようになった。悲しいほどの安月給の身からなんとか立ち上がりたい、そんな夢もあった。妻の収入に頼るのは情けない。そんな焦りもあった。そしてまた、インターネット新聞で将来は後継者も育成したいという夢もあった。その夢は当分、いやたった一人では将来とも無理かもしれないが、出費ばかりの新聞はいくらか収入への道へとつながった。それでもゴルフへ一回、付き合うだけで銀行預金は底を突くが、県南日々新聞はささやかだが自分個人の懐をいくらか助けるまでに成長した。そして読者に役立つ新聞にもなってきた。これが何より嬉しい。
土曜日。懐に余裕が生まれたからではないが、妻がどうしても観たい映画だと言うことで、秋田市の映画館へ出掛けた。映画は「メッセージ・イン・ア・ボトル」だった。「ボディーガード」で渋い役を買われたケビン・コスナーが今度は亡くなった妻を思い続ける孤独な男を演じた。亡くなった妻に「私の心は君という羅針盤を失い、さまよったままだ」。男はそのようなメッセージを亡き妻宛にタイプで打って小瓶に入れて海へ流す。だれの目にも触れて欲しくなかった手紙だった。しかし、運命のいたずらか、小瓶は遙かな旅を続けて海岸に打ち寄せられる。これを手にしたのが愛に傷ついた過去を持つ女性記者。彼女はそのメッセージに心打たれ、必死になって手紙の主を探す。二人は出会った。決してもう人を愛することはないだろうと思っていた女性記者と妻を失った中年男性。少し古典的だが、アメリカ映画はいい味を見せた。
人は愛によって傷つくこともあるが、愛することによって成長する。男は亡き妻への愛の訣別のため、自分で造ったヨットに乗って嵐の海へ航海へとでる。亡き妻への愛の訣別が済んだら、逃げた小鳥を追うように愛に傷ついた女性記者を追う積もりだった。しかし、男は嵐の海で転覆したヨットから投げ出され、おぼれようとしている婦人を助けようと海に飛び込む。その女性は亡くなった妻に良く似ていた。男は海の底へと沈む。再び浮かび上がることもないまま。
愛に傷つき、新しい愛に燃えた女性記者の悲しみの表情が良かった。悲しいほど美しい表情だった。アメリカ映画はまた新しい愛の形を映画で表現した。映画を観た翌日、県南日々へのメッセージが気になって市役所へと足を運んだ。そのメッセージが大曲高校の生徒からだった。「メッセージ・イン・ア・ボトル」も感動を読んだが、「メッセージ・イン・ア・ケンニチ」も感動を与えてくれた。