市役所近くにかき氷屋がある。毎年、この時期になると「あずきミルク」を食べたくて午後の暑い盛りを狙って駆けつける。頭にジーンと来る氷の冷たさとあずきミルクの甘さがこたえられず、子どものようになりふり構わず駆けつける。時によっては近くの高校の女子生徒でごった返すこともあるが彼女たちの喧騒の中でオジサンは一人、黙々とかき氷をスプーンで口に運ぶ。幸いと言うか彼女たちはオジサンを人畜無害な存在と思ってくれるらしく、隣り合わせになっても自然な振り舞いでいすを譲ってくれる。
かき氷と言えば小学生のころ、川に泳ぎに行ってから定期便のように帰り道に寄った小さな食堂があった。当時は「あずきミルク」なんて高過ぎて注文も出来ず、ただイチゴ氷だけを毎日、口にした。木製の3つの丸いテーブルがあった。その一角を兄と二人で占め、「イチゴ!」と大声で注文した。「あいよ!」と応えるご主人は同い年の女の子のお父さんだった。ラーメン専門の食堂だったが、夏場だけはかき氷もやっていた。イチゴ、メロン、ミルク、アズキ、あずきミルクなどがあった。あずきミルクが一番高く、数十円の小遣いでは注文出来なかった。だからいつもイチゴで我慢だった。
夏休みはとにかく川で過ごした。家から10分ほど歩くと雄物川がとうとうと流れていた。泳げるのは午後からと決まっていた。昼飯を済ませ、少し休むと兄と「いくべ。泳ぐに」と出掛けた。その都度、母からは「毛ダニに気つけろよ。深い所に行くなよ」と大声で叫ばれた。毛ダニ。恙虫(つつがむし)のことだ。雄物川にはこの目に見えない虫が川原の草むらに寄生していて、この虫に刺されると当時は高熱を出して、確実に死んだとされた。雄物川周辺特有の風土病として恐れられた。そのために恙なく過ごしたいの願いから「恙虫」と名付けられた。とにかく毛ダニと呼んで恐れられた。この虫に刺されないようにと雄物川沿いには「毛ダニ神社」さえある。
兄は「マサオ。死にたくなかったら絶対に草むらには入るなよ」と川に向かう先々で注意した。「うん。わかってる」。こちらはただ泳げる喜びで頭がいっぱいだった。川岸に着くともう裸になった男女が群れていた。こちらもシャツを脱ぐのももどかしく急いで海水パンツ一枚となり、川に飛び込んだ。とうとうと流れる川。学校から泳いでもいいと許された場所は岸の側だけで、深さはせいぜい腰位までだった。いつからどうやって泳げるようになったのかは分からないが、とにかく川に入ると後は流れに身を任せ、潜ってばかりいた。
川は底が見えるほどで、潜ると黄色い石や赤茶けた石、白い石、真っ黒な石、青い石など様々な色があった。その石を眺めながら流れに身を委ね、20〜30メートルも潜った。まるで空を自由に飛べる孫悟空のような思いだった。しかし、帰りは辛かった。逆流だけに、泳いでも泳いでも着ているものを脱ぎ捨てた川原に届かなかった。最後は泳ぐのをあきらめて歩いて川を上った。そしてまた潜っては流れに乗った。
兄たちは岸から遠く離れた深みで泳いでいた。泳いでは仲間と対岸へと渡った。「いつかは自分も」とうらやましい思いで兄たちの姿を追った。泳げるようになって翌年だったろうか、兄たちを追ってやっと自分も対岸まで渡ることができた。途中、どんなに深いのかと立ってみたら、いくら沈んでも足が底に届かず、あわてたことがあった。「恐い!」。思わずそう叫んだ。対岸で見守っていた兄たちが「マサオ。あわてるな。ゆっくり泳いでこい」と叫ぶのが聞こえた。その声に励まされ、夢中で泳いで岸辺に漕ぎ着いた。
対岸にも広い川原があり、歩くとあちこちに水辺の鳥たちが産んだ卵があった。兄たちが危険を冒してまで対岸に泳いで行ったのはこうした普段は見られない鳥たちの卵を発見するためだったのだろう。鳥の卵を発見しては「おーい。ここにもあるぞ」と自慢げに兄の友だちは叫んでいた。その卵をどうしたのか。家に持ち帰った記憶はない。多分、卵を見つけることだけが目的だったろうと思う。
泳ぎが終わると決まったように寄ったのがラーメン屋だった。そこで「イチゴ氷」を注文して食べては家に帰った。クタクタになった体だったが、冷たい氷が喉を通ると生き返ったような気がした。そして家に入るとすぐに裏の畑に入ってトマトを採ってはむしゃぶった。氷とトマト。これが夏の楽しみだった。
夜は夜でホタル狩りという楽しみがあった。ホタルは横手川の側を流れる小川に無数にいた。いつも兄とその友が一緒だった。「ホーホー。ホータル来い。あっちの水は辛いぞ。こっちの水はあーまいぞ」。そんな歌を歌ってホタルを追った。ある晩、遠くで青白い光がぼーうと浮かんだ。その光はやがて大きな玉となって飛び始めた。人魂(ひとだま)だった。青白い光は不気味な音をたてて向かってきた。ものすごい勢いだった。こちらは悲鳴を挙げて逃げようとしたが足がすくんで動けなくなった。3つ上の兄の友が狂ったような声をあげて人魂に向かって行った。「この野郎。このやろう」と石を手に人魂に投げつけていた。いつの間にか兄も夢中で石を投げつけていた。
石つぶてが実際に当たったのかどうかは分からないが、人魂は自分の十数メートル前でボッと音をたてて消えた。民家の近くだった。自分は泣いた。怖くて泣いた。兄は「大丈夫だ。もう退治したんだ」。「幽霊が出てきたらどうする」。泣きながら聞いた。「幽霊なんていない。あれはウソだ!」。兄は強がりを言った。兄の友も「あの火の玉が家に当たって火事になったら大変だ。おれたちは悪いことをしたのではなくいいことをしたんだ」と胸を張った。
家に帰って父に報告したら「人魂は昔は裏の川で夏になると良く出たもんだ。昔、その川が戊辰戦争の戦場となって、多くの人が川に沈んだ。そのサムライたちの魂が飛び歩いたのだろう」と言い、「人魂は怖がることはない。心配するな」と慰められた。
家の近くのかき氷屋は10年ほど前に店を閉じた。ラーメンがとてもおいしい店だった。自分の家でラーメンを練っていた。老夫婦とも足が自由にならないと店を閉じてしまったのだ。あのころ決まったように泳いだ帰りにかき氷を食べに行ったのは同い年の女の子を見たいという副産物も楽しみにしていたのかもしれない。黒い知的な瞳を持った子だった。高校を卒業して何年かして再会した時、「マサオさんはもう嫁さんもらったんだってね」。そう言って再び上京したまま会ったことがない。こちらはずーと片思いの恋だと思っていた。かき氷をほおばり、女子高生の明るい声を聞きながら遠い昔を偲んだ。