仕事を終えて家に帰るころになると、大きく膨らんだ太陽が真っ赤に燃えて、西山に沈もうとする。その夕日を見ながら四つ足の娘と近くの公園を歩くのが毎夕の日課だ。園内の杉林からは「カナカナカナ」と甲高く、澄みきった蜩(ひぐらし)の鳴き声が聞こえて来る。夕日を見つめ、蜩の鳴き声に耳を傾け、一日一日の過ぎ行く夏を味わっている。歩きながら思う。夏ほど季節の移ろいの早さを感じさせる季節はない−と。空は茜色に染まり、やがては紫に染まって闇となる。
公園は「川港親水公園」と呼ばれているように、かつては河川改修でせき止められた横手川を埋め立てて造ったものだ。子どものころ、この川を隔てた堤防の向こうに映画館があった。木造の二階建てで、娯楽のなかった当時は良く映画を観に連れていってもらった。
今のような暖房施設なんてあるはずはなく、真冬は映画館から七輪と炭を借りて暖を取り、スクリーンを眺めた。どんな映画を観たのだろう。江戸川乱歩原作の「少年探偵団」の記憶は残っている。巨大な時計台に登った少年の探偵が時計の穴の中に強引に頭を入れられ、上から下りて来る分針によって危うく首を切り取られようとした瞬間に絶句した記憶。戦車のように巨大になったかぶと虫が少年探偵団を襲う恐怖のシーンも記憶に残っている。自分の家にはない二階建てという映画館の構造が面白くて、映画の合間を縫っては下から上へ、上から下へと登ったり降りたりして遊んだ記憶も鮮明だ。
景気づけだったろう。映画館のスピーカーからはいつも小林旭や石原裕次郎、美空ひばりなどの歌が流れていた。我が家からは川一つ隔てただけの距離だったので、自然と彼らの曲とリズムが頭に入り、いつの間にか歌の調子が彼らの影法師のように染まってしまった。そのせいか、学校での音楽の時間が苦手だった。唱歌を歌おうとすると小林旭調のような節回しとなってしまい、どうしても唱歌のリズムに乗れないのである。「ハイ。マサオさん。ここから歌って」なんて先生から指名を受けると冷や汗がたらたらと流れ、調子崩れの歌を歌い、周囲の哄笑の的となった。しかし、声音は違っても、石原裕次郎や小林旭の歌を歌うと彼らの調子そっくりの節回しで歌えた。同級生は「マサオは歌がうまいのか下手なのか分からん」と不思議がった。いずれにしても恥ずかしがり屋の自分は今でも人前で、しかも素面では歌は絶対に歌えない。
中学生になって小林旭や石原裕次郎の映画を観ては得意になった。自分もいつかはあんなふうに強くなろうと決意した。自宅の裏でボクシングの真似をしたり、ギターを演奏する振りをした。歌では小林旭の「さすらい」という歌が強烈な印象となって胸に刻まれた。
「夜がまた来る おれを泣かせに」で始まり、2番は「知らぬ他国を 流れながれて 過ぎてゆくのさ 夜風のように 恋に生きたら 楽しかろうが どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ」だ。
この強烈な虚無感に酔いしれた。ただものでない寂しさに酔いしれた。自分もこんな虚無的な生き方をしなければいけないとさえ思った。生意気にも中学生がである。恋なんてどんな味がするのかさえも分からない中学生が、自宅裏の映画館から流れる小林旭の「さすらい」の歌に酔いしれ、自分も「人生はさすらいのように生きなければいけないんだ」と浅はかな人生のレールを敷いた。 しかし、そんな憧れは高校生になり、社会人になって雲散霧消した。それでもこの歌だけは身についてしまい、カラオケを歌わせられると必ずと言っていいほどの十八番(おはこ)となってしまった。
昨日29日夕、懐かしいお客さんが訪ねてきてくれた。元河北新報社大曲通信部の記者をしていた田村さんである。1週間ほどまえに携帯電話が鳴り、「伊藤ちゃん。おれだよ。田村だよ。久しぶりだねー。今度さ。休みをとって懐かしい大曲に行こうと思うんだ」と言っていた。その田村さんが会いに来たのである。「25年振りだよ」。市役所に訪ねてきた田村さんはそう言って懐かしんだ。そうか。もう25年も過ぎたのか。感慨無量の思いで田村さんを迎えた。中学生のころ「さすらい」したいと憧れた自分がさすらうこともなく地元に定着したのに、田村さんはこの25年もの間、東北各地を転勤でさすらったと話した。
その田村さんが来た。「来年でもう退職なんだよ」と田村さんは行った先の一杯飲み屋で感無量の面持ちで話した。「まあ。後は悠々自適の生活をするだけだね。今度からはちょこちょこ、伊藤君の所へ遊ぶに来るよ」。田村さんは大曲にいたころもそうだったが、おっとりとした口調のお喋りをする。あのころ、一緒に飲んだ時、「おれ今、一番、面白いと思って読んでいるのが『旧約聖書』なんだ。伊藤君。あれ、面白いぜ」。なぜかこの言葉だけが今日まで記憶に残っている。「ふーん」とした気分で聞いていた話だったが、それから20数年して今度は自分が「旧約聖書」に目を通している。不思議なものだと思った。
田村さんとは2軒目、3軒目とはしごをした。3軒目でとうとうカラオケのマイクを握った。カウンターの向こうに立っている女の子が、随分、変わった、それでいてとてもセクシーな服装なので目についた。酔っぱらったこちらは「ねえ。スリムだね。そんなにスマートな体を目の前に見せられたら、触りたくなっちゃうよ」といつもの悪いクセが出た。「だめよ!。触るのは」と彼女。「どうして。触ると解けてしまうとでも言うのか」。「そう。解けます」。「じゃあ、ナメクジだな。おーい。ママさん。塩、塩を取って」。
そのナメクジさん。こちらが「おーい。ナメクジさーん」と呼ぶたびに「ハーイ」と言っては笑っている。ママさんが見兼ねて「伊藤さん。ナメクジさんではいくらなんでもかわいそうよ」とたしなめた。「そうか。ナメクジさんでは気の毒か。なら、なんと呼ぼう。髪が豊富だから、髪美人にするか」。女の子は喜び、田村さんと自分の間に座った。髪美人の横顔は幾分、赤く染まっていた。初(うぶ)なんだと思い、「ナメクジさんだなんてゴメンね」と謝罪した。「いいえ。面白かったワ」。髪美人は目を細めた。
田村さんはカラオケを調子よく歌い、いい気分のようだった。こちらも「さすらい」を歌い、ママさんと髪美人を交互に口説いた。「今度、コーヒーを飲みに来ないか」。ママさんも髪美人も口を尖らせ「伊藤さん。どっちを本当に誘いたいの」。さすがに本音は言えなかった。それでいい。「さすらい」を歌い、「ごめんね」を歌い、田村さんと二人で「悲しい不倫はしないほうがいいよね」と慰め合った。かつての記者仲間が懐かしがって訪ねて来る。それだけでし・あ・わ・せを感じた。
県南日々新聞は今日でヒット数20万を記録した。だれがその数字を当ててくれるかと期待していたら、パソコンのケアでお世話になっている松戸市コンピューターサービスの女の子がその当事者となった。男性社員に今朝、電話をしたら「うちの女の子が伊藤さんの所へメールを出したはずですから」と言う。電話で話したらいいのにといぶかしがりながら、後でメールを確認したら「20万人目おめでとうございます。これからも面白い記事を期待してます」とあった。そしてその20万人目のアクセス数が刻まれた紙面のコピーがメールに添付されていた。ありがとう。瞳美人さん。紙面を通じてお礼を述べます。