こちら編集室「葉っぱのフレデイ」(9月17日)

  「葉っぱのフレデイ/いのちの旅」と言う絵本を買い求めた。新聞のコラムでこの本の存在を知り、いつか手にしてみたいと思っていた。横手市のスーパーに行って書店をぶらぶらしていたら片隅に「葉っぱのフレデイ」があった。「ああ。これか」と奇妙な懐かしさがこみ上げ、ペラペラとページをめくった。作者のレオ・バスカーリアのメッセージが良かった。「この絵本を死別の悲しみに直面した子どもたちと  死について適確(的確)な説明ができない大人たち  死と無縁のように青春を謳歌している若者たちへ  そして編集者バーバラ・スラックへ  贈ります」とあった。

 写真とイラストの絵を含めわずか28ページの絵本であり、読み終わるのに10分もかからないが読後感は長い小説を読んだより重く、もの悲しかった。葉っぱに人間同様の「感情」という心と命を与えた作者の着眼のすごさ、そして葉っぱの誕生から死までを春から夏、秋、そして冬という四季の流れの中で語っていく物語の新鮮さに感動した。

  春。葉っぱのフレデイは生まれ、夏にはもう厚みのあるりっぱな体に成長し、数えきれないほどの葉っぱの仲間に取り巻かれる。となりの葉っぱのアルフレッドやベン、すぐ上の葉っぱクレアという女の子らと「春風にさそわれて  くるくる  踊る練習をしました。日光浴のときは  じっとしているのがよいということも覚えました。夕立がくるといっせいに雨に体を洗ってもらいました」とフレデイは語る。ここまで読み進めるともう読む方は葉っぱのフレデイに感情を移入してしまいかわいくてしょうがない。

  フレデイの友だちの葉っぱで物知りの「ダニエル」もまたいい。ダニエルはフレデイに自分たちは公園の中に立っている「木の葉っぱ」なんだということを教え、木の根っこのこと、夜明けと同時にあいさつにやってくる小鳥たちのこと、月や太陽や星のことなどを教える。そして真夏の暑さを避けて公園に涼むに来る人間のために葉っぱみんなで体を寄せ合い木かげを作り、葉っぱをそよがせて涼しい風を送るのも「葉っぱの仕事なんだよ」と教える。

  夏。お日さまは早く昇って、おそく沈む。フレデイは友だちの葉っぱにいっぱい囲まれていることを喜び、見晴らしの良さに、日当たりのよさに満足し、夜は夜でお月さまの光に照らされ、夢見る気分で毎日毎日、楽しくてしょうがない。「葉っぱに生まれてよかった」と思うほどだ。

  しかし、楽しい夏は駆け足で通り過ぎ、10月の秋を迎える。突然、襲ってきた寒さ。仲間のアルフレッドも、ベンもクレアもぶるぶる震える。霜が降り、葉っぱの仲間たちの顔は霜がもたらす氷の粒で真っ白に染まる。やがてアルフレッドもベンもクレアも、そして物知りのダニエルも紅葉してしまう。夏の間中、一緒に笑って遊んでくれた風も変わって、別人のように顔をこわばらせて葉っぱたちに襲いかかり、吹き飛ばすようになってしまう。「さむいよう」「こわいよう」とおびえる葉っぱたちの悲鳴が絵本から聞こえてくるような思いにかられた。

  風のうなり声の中からダニエルが叫ぶ。「みんな  引っこしをする時がきたんだよ。とうとう冬が来たんだ。ぼくたちはひとり残らず  ここからいなくなるんだ」。「ぼくもここからいなくなるの?」。尋ねるフレデイ。「そうだよ。ぼくたちは葉っぱに生まれて  葉っぱの仕事をぜんぶやった。太陽や月から光をもらい雨や風にはげまされて  木のためにも他人(ひと)のためにもりっぱに役割を果たしたのさ。だから  引っこすのだよ」と答えるダニエル。

  「引っこしをするとか  ここからいなくなるとか  それは死ぬ  ということでしょ?」とダニエルに問うフレデイ。「ぼく  死ぬのがこわいよ」とおびえる。「そのとおりだね」とダニエルは答える。「まだ経験したことがないことは  こわいと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化しつづけているんだ。変化しないものは  ひとつもないんだよ。春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。変化するって自然なことなんだ。きみは春が夏になるとき  こわかったかい?  緑から紅葉するとき  こわくなかったろう?  ぼくたちも変化しつづけているんだ。死ぬというのも  変わることの一つなのだよ」。

  なんと言う名セリフ、なんと言う名文句だろうと胸が打たれた。自分も生まれてこのかた毎日毎日、自然に変化し続けて50歳という年齢を超えた。40代の時、「50歳」を迎えるのにはちょっとした抵抗感があった。人生の下り坂、そろそろ人間としての店じまいの準備に入らなければと一抹の不安と憂鬱さに包まれた。しかし、ダニエルが言うように自然のまま、何ら恐さも感じることもなく「50歳」を迎え、さらに齢(よわい)を一つ二つと重ねている。そして「後何年生きられるだろう」という考えから、「70歳まではまだ20年近く残っている。80歳までならまだ30年近くは残っている」とこれから先、まだ長い人生を生きられることに喜びさえ持てるようになった。

  確か昨日の新聞だった。住友生命が「老い」についての意識調査をしたら、恋愛の「定年」は71歳という結果が出たという。なら自分にはまだ20年近くもの時間がある。恋をする時間がまだ20年も残っているのかと思い、「そういえば先日は60代の大学教授が20代の女の子と心中した事件があったけ」とワクワク心ときめかしながら新聞の文字を追った。心中なんかはしたくはないが、どんな女性と?と想像力を高めニヤニヤしてたら「あなた。何なのその顔は」と台所から突然、“天の声”が聞こえて、ハッと現実に戻されてしまった。側には小犬のパピーが居て、不思議そうな目つきでこちらを見上げていた。まあ恋愛は別にして、女性を好きになる感情ぐらいは大事にしたい。そう思ってパピーの頭をなでつけた。

  「ねえ  ダニエル。ぼくは生まれてきてよかったのだろうか」とフレデイは尋ねた。そのダニエルも「さようなら  フレデイ」と満足そうなほほえみを浮かべ、枝から離れる。たった一人になったフレデイ。そして雪の朝。フレデイも風にのって枝を離れる。やわらかな雪の上がフレデイの引っこし先となる。ふわふわして居心地のよいところに満足し、フレデイも目を閉じ、眠りに入る。

  読み終わったら涙がとどまらなかった。かわいそうだからではない。フレデイの死が悲しいからでもない。死というものをこんなにも自然に語った作者の言葉の美しさに感動したからだ。買い物をしている妻を待ちながらスーパーの中に用意されたベンチに座り、死とはこんなにも自然なものかと受け止め、涙を隠しながらぼんやりと過ごした。「葉っぱのフレデイ/命の旅」は東京都杉並区和泉の「童話屋」で発行されてます。写真は六郷町で撮ったソバの花。