こちら編集室「深まる秋の日に」(10月8日)

  たった一本の原稿を仕上げようとしているだけなのに思うように指先が進まず辟易(へきえき)してしまうことがある。原因は取材不足だったり、取材先から貰ってきた資料に全幅の信頼を置いて帰ったまでは良かったが、後で読み返した結果、理解に苦しみ、思うように指先が進まないこともある。そしてほんのちょっとした精神的なブレからそれを忘れたい、打ち消したいと自分を追い詰め、心が集中せず、指先が動かない時もある。指先。本来ならペンが進まないと書くべきだが、今はワープロ全盛期。ワープロに向かって原稿を書いているというのに、ペンが進まないという表現はもう時代後れだし、正確でない。だから指が進まないと書かせてもらう。

繰り返すが、たった一本の記事(原稿)を仕上げようとしているだけなのに2時間も3時間も無駄な時間をやり過ごし、悪戦苦闘することがある。そんな時は他の取材意欲も失い、紙面のニュース更新は一本だけで一日が終ってしまう。なのにそのたった一つの記事しかないというのに、アクセス数だけは翌日になると400〜500と伸びている。たった一つの記事。世界で最も貧弱な情報を送る新聞なのに、こんなにも多くの人々が「ケンニチ」のホームページに入ってくる。申し訳ない。そんな気分でいっぱいになる日がある。

  記事の更新量だけでなく、二本、あるいは三本の記事を書き送ったとしても、「こんな内容のニュースしかないのか」と自分でも情けない思いをしながらも、一日に500人前後の人がアクセスしているのを確認すると、これもまた申し訳ない気分でいっぱいになる。ずぼらな性格の反面、自分で言うのも恥ずかしいが脆弱(ぜいじゃく)で神経質でもある。明るい反面、すーっと落ち込む面もある。その落差が大きい。だから気になることが生じたり、憂鬱な気分に陥るとたちまち胃や腸の蠕動(ぜんどう)運動が活発になり過ぎて下痢を起こす。トイレに走っては記者室に戻り、再びトイレに向かう。

  「ことしの春、妻とわかれて、私は、それから、いちど恋をした。その相手の女のひとは、私を拒否して、言うことには、『あなたは、私ひとりのものにするには、よすぎます』。私は、あわてて失恋の歌を書き綴った。以後、女は、よそうと思った」(太宰治・思案の敗北より)

  悲しいというか、少し腹立たしい思いをした。別段、下心があったり、いかがわしい目的があって誘ったのではない。ただの親切心といつものお節介半分で「誘い」の電話をかけたのだが、相手はその電話を二つの意味に解釈したらしい。つまり飲み会に参加するメンバーを電話で言ったのは「だから、飲み会に来い」と言う意味の誘いと、「このようなメンバーだから、お前が来る場としてはそぐわないだろう」と。そんな裏の裏まで読み取れる人もこの世にはいるのか。「私は、あわてて『失恋の歌』ではなく、『腹立ちの歌』を書き綴って、以後、男はよそうと思った」。

  トイレに走りながら太宰のその時の心境を想像した。「以後、女をよそう」と決意した太宰。こちらは「以後、男をよそう」と決意した。

  単純淡白な脳細胞の赴くままに行動に走ってしまう。その行動はいつも「相手はこうしたら喜んでくれるだろう」という明白な自分の意志から出る。しかし、その結果が、いつもの神経性による腸の蠕動運動を引き起こさせ、下痢を招いた(この文章を読まれる読者の皆さまごめんなさい)。  「妻とわかれて、それからいちど恋をした」。自分は、恋をしたわけではないが、お節介を過ぎたようだ。以後、気をつけよう。単なる親切でも人によっては誤解される。そんなふうに傷ついた秋の午後だった。

  話しは変わる。このところ連続して車いす関係の取材を体験した。その一つは「一年遅れのウェディングベル」などの著書があり、「車椅子の花嫁」の題名でテレビドラマ化もされた「鈴木ひとみさん」である。鈴木さんは「身障者への理解を深めてもらいたい」と全国を講演に歩いている。元ミス・インターナショナル準日本代表というだけあって美しい人だった。ファッションモデルとしても活躍するなど華やかな世界に身を置いていて交通事故に遭い、車いすの生活になった。

  車いすでステージに登場した鈴木さんは開口一番、こう言った。「皆さんは私がここで車いす生活になった経緯を涙がでるほど悲しく語るだろうと思ってるでしょう。そうではありませんよ。明るくケラケラと笑いながら話をします」と。会場の重苦しい空気はこの言葉で吹っ飛び、鈴木さんの話しにだれもが引き付けられてしまった。そうだ。体に支障があるからといってめそめそした語り口ではやりきれない。「鈴木さん、ガンバレ!」とこちらも心の中で快哉(かいさい)の言葉を送った。

  鈴木さんの言葉でまず、印象に残ったのは「リハビリをやって、それでも足が動かなかったら死のう」と最初は思ったということだった。だが、やはり足は動かなかった。その鈴木さんに生きる力を与えたのは当時の恋人で現在の夫だった。恋人の手紙にあった「ひとみ。二人で何にでも挑戦し、それでもだめだったら二人一緒に死のう」。その言葉に鈴木さんは勇気づけられ、生きる力を得たという。「こんな私でも、私を必要としている人がいる。その人のために生きよう」と。その鈴木さんはようやく自由が利くようになった両腕を鍛えた。その両腕を使って車いすで走ることを体験し、水泳をすることも、海に潜ることもやれるようになった。

  そして最後に鈴木さんは「例え身障者になっても残された機能がある。その機能に期待し、鍛える努力をして下さい」と。千畑町でも脳卒中に倒れた人が左手で筆を持つ訓練を重ね、書道の世界で数々の賞を獲得し、個展を開いた人がいる。思えばこうした障害を持つ人こそ健常者よりもずーっとずーっと強いかもしれない。

  「私は車いすの生活になった分、本を読み、コンピューターを勉強し、障害者になってからかえってより良く生きる機会を与えてもらった」。鈴木さんの言葉だ。自分も本を読みたい。パソコンの勉強は無理だが、時間があったら本を読みたい。本の中に浸っていたらあるいは、もっと楽かもしれない。数日前、山に行った。白樺の木がぽつりぽつりと立っていた。秋のひんやりとした空気の中にたたずむ白樺は「葉っぱのフレデイ」を一枚、一枚、地上に引っ越しさせていた。寂しい光景だった。葉っぱのフレデイたちを見送りながら、深まる秋を見つめた。