こちら編集室「言葉の責任」(10月22日)

  昨夜は「十三夜」だった。澄んだ夜空にとてもきれいな「十三夜」の月が浮かんでいた。ドングリのような形をした月は白っぽく輝いていた。月を眺めながら歩いた。薄い綿のような雲がどこかから流れて来て、「十三夜」の月に寄り添うように共に旅を始めた。雲は「十三夜」の月を飾るお伴のように両脇を固めていたやがてその役目を果たしたのか、霧のようにどこかへと消えた。

  この時期になると夜風は涼しさを通り越して身を切るような寒さだが、月と星がとてもきれいに見えるので好きだ。月と星。この不思議でロマンチックな夜空を眺めながら歩く夜の道は好きだ。歩きながら言葉というものを考えた。聖書の「ヨハネによる福音書」では「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」と書いている。人は言葉によって左右され、喜怒哀楽を味わう。人は言葉によって奔走したり、迷い、悩み、悲しんだり、憤ることもある。言葉は時によってはとても重いし、責任を求められる。

  いま新聞紙上をにぎわしているある政治家の言葉がある。「核とは『抑止力』なんですよ。強姦(ごうかん)してもなんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるんや」。この言葉でその政治家は「防衛政務次官」の座を就任してたった16日間でフイにしてしまった。当然だろう。こともあろうに国家の防衛という国民の生命にかかわる問題を婦女暴行に例えて発言するといのは暴挙であって無知、野蛮そのものだ。「罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるんや」。この下劣な表現。この人は「強姦願望症」に陥っているのだろうか。被害を受けた側の女性の傷みをいたわる心はこの人の言葉からはつゆとも感じられない。

  これでは野獣が背広を着て、国会を歩いているとしか思えない。この人の言葉から察すると「罰せられないというなら、気に入った女を見つけたら手当たり次第、強姦したい」。そんな欲望が見え隠れする。インタビューする週刊誌の記者があきれたように「強姦という言葉が、すごくお好きなんですね」と問うと、「あ、ちょっと使いすぎるな」。この無恥さ。破廉恥ぶり。驚くばかりである。

  くだらなく実に嫌らしい。確かに男はだれしも下半身には秘めたる欲望はあるだろう。しかし、だからと言って「罰せられないというなら、オレらみんな強姦魔になっている」。強姦を趣味にしているような国会議員が国会を歩き、街を闊歩されたのでは女性と言う女性は怖くて一歩も外へ出られないだろう。そんな政治家が国を憂い、国民の生活を考え、国民への教育を考え、国民の幸せを願うなんてどうして信じられようか。チャンチャラおかしく、笑止千万である。

  この人は女性と言うものを何と心得ているのだろうか。単なる性欲のはけ口としか思っていないかもしれない。集団自衛権に反対する社民党の女性議員に対してまで「おまえが強姦されっとてもオレは絶対に救ったらんぞ」。この言葉の品のなさ。嫌らしさ。これが日本の代議士かと思うと悲しさどころか、開いた口がふさがらない。暴挙である。

  核を持つことが相手の国に対する防衛の「抑止力」になると信じるのは勝手だ。この人はだから「核」を持ちたいのかもしれない。日本が核で武装するとか、しないとか、政治的な話に踏み込むつもりはない。ただ、ここで言いたいのは日本の原子力に関する知識というのは「核燃料」をバケツでいじるという認識しか持ってない人たちが「核の現場」で働いているという程度の低さであることもしっかりと頭に入れて、発言すべきではないだろうか。

  政治家が国会で“防衛云々”を論議するのは大切な役目だろう。しかし、その趣味とする「強姦論法」で死に行くのは国民だとしたら余りにもバカらしい。犬死にである。ましてや「バケツ」でいじられながら造られた「核爆弾」だとしたら、核使用の前に国民は核汚染で死ななければならない。その程度の国だと認識すべきだろう。ご自身の趣味のような「強姦」願望を核を持つことによって解消し、殺されるようなことになっては日本に生まれた私たち余りにも不幸だ。

  この世には不思議な代議士を選出する人もいるものだ。ああ。せっかくの「十三夜」のとてもきれいな月が、この不思議な政治家の言葉を思い出すだけで濁ってしまう。もう止そう。

  秋の日は釣瓶落としだとも言う。井戸に釣瓶を落とすようなスピードで夕日が沈んでいくのを例えたのだが、この言葉は今の若い人にはもう通じないと嘆かれた元小学校の校長先生の話を聞いたことがある。近所の若い嫁さんを相手に「秋の夕日は釣瓶落としと言うが、本当だね」と話したらその嫁さんが「先生、うちのおばあさん何を落としたんだベ」と聞き返され、ガックリしたと言う笑い話だった。そこでその先生、釣瓶落としを説明するのにテレビの「水戸黄門」など時代劇に出てくる長屋の井戸を説明しながら、「井戸水をくむために用いた縄をつけて下ろす桶(おけ)のことで、今のように水道がなかった昔はどこの家にも井戸があって、釣瓶を落とすと激しい勢いで下に落ちていく様子から生まれた秋の季語なんだよ」と説明に四苦八苦したとか。

  言葉。政治家の言葉。教育者の言葉。自分の言葉。言葉は時には人を癒(いや)し、人を慰め、人を追いやる。そう。武器にもなる。「もの言えば唇寒し秋の暮れ」。防衛政務次官をお辞めになられた政治家さんは今度の「強姦」発言で唇寒しを感じているかどうかは分からないが、女性たちよ怒れ!。このような政治家がいるという事実に怒れ!。ああ。十三夜の月は美しいが、しかし、散々だった。(写真はいつも歩いている川港公園に通じる畑の風景です。朝もやの中で畑作業をする主婦とそれを見て立ち話をする主婦。のどかな秋の朝を撮ってみました)