2カ月つづりのカレンダーに目を添えたらもう紙は1枚切りになっていた。もうそんな季節かと時の流れの早さに思わずうなってしまった。カレンダーはヘルスメータの「タニタ」から今年の正月に「お世話になりました」と自分宛に送られて来たものだった。1998年度ミス日本に輝いた美女たちを6枚つづりにしたものだった。目のやり場に困った夏の水着姿の美人さんを除けば、カレンダーは味気ない記者室に飾られた一輪の花のように楽しませてくれた。
年齢のせいかあるいは毎日、取材と原稿に追われているせいかこのごろ時の流れの早さに驚くことが多い。朝は大抵、午前8時半までには記者室に入り仕事に着くのだが、電子メールや県南日々新聞の「読者の広場」の書き込みのチェックや毎朝、目を通すのが慣例となっているshizukoさんの「あきたNEWS」に目を通しているとあっと言う間に時間は過ぎてしまう。大事な連絡や親しい人らのメールには必ず目を通してすぐに返事を出しているからだ。
そうした日課を終えてから取材活動が始まる。それもネタがある日なら楽だが、ない日となると市役所庁内をうろうろと檻の中のクマのように行ったり来たりの連続だ。市職員の好奇な眼差しも取材という商売でコケが入るくらい永く続けてしまったから気にもならない。それにしても時の流れが早い。アメリカから来た岩間郁夫さんを迎えて、大曲駅で見送ってからもう5日が過ぎた。母親の具合が悪いと言うことで見舞いがてら予定よりも1日早く実家に里帰りしたのだが、お母さんのその後の具合はどうだったろうか。このケンニチの制作現場である記者室を覗き「一度、来てみたかったんですよ」とニコニコしながら自分が毎日、使っているパソコンやケンニチのニュースを更新するためのソフトに興味を示された岩間さんだった。
その岩間さんと宿泊したホテルでしみじみと語ったのは「21世紀は心の時代になると思うんですよ」と言うことだった。岩間さんも深く頷いたのが印象に残っている。心の時代というのは電子メールを通じた人と人の交流である。このメール、極めてやっかいな問題で言葉の表現や使い方によっては、その意図はなかったとしても相手の心を深く傷つける。だから岩間さんとは「名文を書けとまでは望まないが、とにかくこんなことを書いたら相手の心を傷つけないかと配慮する必要がとても大事になったと思うんです」と語った。岩間さんも「そうなんだよ。メールは証拠としていつまでもパソコンの中に残るから気をつける必要がある」といい、「自分は古い友だちよりも最近はメールで知り合った友人を大事にしてます。文書と文書の交流は確かに伊藤さんの言うように心と心の交流になるからね」と言っていた。
大曲高校で昨年7月に一学級の生徒たちを相手に一時間の講演依頼を受けた時も語ったのはインターネットの普及で「文章力」が問われる時代を迎えることになるだろうということだった。本を読まない、新聞を読まないと若い人たちの活字離れが語られて随分なるが、これからは電子メールのやりとりがビジネスの主流となるだけに文章による表現力を訓練すべきだと強調した。そのためには「古臭いかもしれないが、心を込めたラブレターを書くのも一つの訓練かもしれない」とも話した。また、書いた後の文章を自分で朗読してすらすらと読めるか、読みやすいかも確かめるべきだとも言った。その子たちが果たしてどの程度、書くことの訓練をしているかは分からないがキラキラとした目で見つめられたあの日のことは忘れられない。
心と心の交流。インターネットによるそれがあったからこそ角館町の「みやもど」さん、「あきたNEWS」のshizukoさんがケンニチのためのオリジナル紙風船「空飛ぶケンニチ」を企画してくれたのだろう。そして夕べは仙南村に住んでいる写真家の泉谷玄作君の自宅の棟上げに招かれ「伊藤さんには自分の人生の節目、節目でいつもお世話になりました」とお礼を言われた。彼からはまだ20代のころ、写真家になりたいと相談を受け、その余りの熱心さに友人でもあった角館町在住の写真家に弟子入りを頼み、その道筋を付けた。いろいろ苦労もあったがいまは中央にも通じる写真家になった。
そうなるまでは出稼ぎもした。出稼ぎで得た資金で写真取材用の車を買い、フイルムを買い、フイルム現像料にほとんどを回した。写真エージェント会社に預けたフイルムが雑誌やカレンダーなどに使われてはじめて泉谷君にフイルムの版権料が入ってくるのだが、その度に「伊藤さん。こんな雑誌に自分の写真が使われました」とニコニコしながら報告に来ていた泉谷君だった。そして飲めない酒を飲んでは喜び、家に泊まっていった。
そんなに彼を助けたという記憶はないが、「写真家として自分の家を建てられるまでになれたのも伊藤さんのおかげです」とお礼を述べた泉谷君の言葉には誠実さが込められていて嬉しかった。酒を飲んでたから彼の若いころにはきついことも随分、言った。「プライドを捨ててとにかく売れる写真を撮るべきなんだ。自分の写真を作品だなんて自慢しないで、商品だと思って撮るべきなんだ。作品なんて写真が売れ出してから撮れよ」とも。「はい。分かりました」と肩をすぼめて帰って行ったこともある。こちらとしては何とかして早く売れる写真家となって、生活を安定してもらいたかった。泉谷君はそうしたこちらの心を察していたのだろう。酒を飲みながらくどくどと文句を言う自分の話に黙って耳を傾けていた。彼の若いころの姿が夕べは酒を飲んでいて何度も目に浮かんだ。
その後の結婚式に招かれ、写真集発行の祝賀会にも招かれ、いつもその都度、一等席を用意して「伊藤さんは特別なお客さんですから」と丁寧なもてなしを受けた。その泉谷君の家の新築を請け負ってくれたのは「こちら編集室『衝動買い』」で以前に紹介した大曲市四ツ屋の「伊藤住宅」である。住宅の社長も泉谷君の素直さにいたく感服していた。伊藤住宅の社長といい泉谷君といい、インターネットで知り合った岩間さんをはじめ多くの方との「心の交流」。これからも大切にしたいと思う。