逢えた日は櫛に素直な髪となり(句文集『風紋』小諸索より)
「別れても好きな人」という歌があった。素敵な歌だったと記憶している。その「別れても好きな人」から電話があった。「伊藤さん。あ・た・し・よ。分かる?」。ややハスキーな声で、いたずらっぽい言葉づかいからすぐに思い出のママさんだと分かった。「ああ。ママ!」。こちらの声も弾んだ。「あのね。伊藤さんのパピちゃんのためにママ、お洋服を買ったのよ」。“パピー”。我が家のマスコットとなっている小犬の「パピヨン」の事だ。先日、そのお店に飲みに行った時、デジカメに入っているパピーの写真を見せたらママはいたく気に入って「あたし。この小犬のためのお洋服をプレゼントしたい」と言っていたがその約束を守ったのだ。
「別れても好きな人」と書いた。実はこのママさんとはそういう謂(い)われがある。好きだったのだ。5歳年上の人だが、お店に通っているうちその人をそらさない会話のうまさ、品の良さ、そしてもちろん女性としての魅力もタップリと持っていた。市役所で偶然に会ったのが切っ掛けで珈琲を飲み、食事を共にする親しい関係になったのだが、こちらは恋心とは違った、なんと言うかそのママさんの美しい表情の変化を見ているだけで満足し、胸いっぱいの喜びに浸っていた。何よりもお金持ちの多くの中年男性が口説いても口説いても落とすことが出来なかったママさんを、誰よりも親しく独占していられることに言い知れぬ幸福感と矜持(きょうじ)を持った。
今でもこれだけは覚えている。初めて珈琲を一緒にした時、「ママ。怒らないで聞いてね」「大丈夫。ママ。怒らないわよ」。この人は興味を抱くと黒い瞳を輝かせる。「こんな言葉があるんだ“浮き河竹の勤め”ってね」。「なーに。それっ」。「昔の遊女の話なんだけど、夕べに源氏を抱き、朝(あした)に平氏を抱く浮き河竹の勤めと言えば分かりやすいけど、ようするに好きな源氏の男を抱いても明日は敵とも言える平氏の男を抱かなければならない遊女の哀れさを言ったのだけど、ママたちの仕事も似てるんだと思って。ママたちだって嫌いなお客さんが来ても側に座って嬉しそうな顔をしなければならないでしょう。だから少し似てるなと思って」。「へー。伊藤さんって学がある。よしママ。この言葉、覚えておこう」。そう言って嬉しそうにあの日、ママはメモをハンドバッグに入れた。
「選ばれてあることの恍惚と不安、我にあり(ボードレール)」。あの当時はそのような心境だった。十文字町へ白鳥を見に行った時も、秋を迎え飲み仲間とママの店の従業員の方たちと六郷町の温泉「あったか山」のコテージを借り切って鍋の会を開き、二人きりで黒森山の紅葉を見に行った時もいつも意識していた。「別れ」の不安とママに選ばれてあることの「恍惚」の喜びに板挟みとなっていたのだ。
好きと言うよりも母のようにいたわり、甘えたい存在だった。ママは気に入るとこちらの手をその温かい手で握りしめ、「伊藤さんはそばにいるだけでいいのよ」と甘くささやいた。笑うと大きな瞳がこぼれ落ちそうになった。「ママ。目がこぼれ落ちるよ」。こちらはそのママの顔に手のひらをかざしてこぼれ落ちそうな瞳を受け取る仕草をしてはしゃいだ。
いつも数時間の逢瀬だったがとても幸せな気分だった。しかし、幸せは長く続かなかった。「傘の柄を伝わり冷えてくる噂」(小諸索)。
いつしかママとの関係は変な方向へとうわさが広がり、「もう外で二人っきりで会うのは止しましょう」と関係はぷつりと切られてしまった。辛い悶々とした日々が続いた。お店に顔を出してもどこかよそよそしい仕草であしらわれ、そうこうするうちにこちらも店から離れた。人生は「サヨナラ」の繰り返しさと自分に言い聞かせ、忘れようと努めた。しかし、ママに代わる夢中になれるものがどうしても必要だった。考えに考えた末、パソコンを買ってみようと思った。未知の世界に挑戦したら、新たな道が開けるだろうと希望を抱いたのだ。96年正月のことだった。
待ちに待ったパソコンは4月に、大曲市の誘致企業「松戸市コンピュータサービス(以下、mcs)」から届けられた。パソコン音痴の戦いがそれから始まった。営業を担当した佐々木徹さんという「mcs」の社員はきっと「とんでもない人物にパソコンを売ってしまった」と地団駄踏んで後悔したことと思う。何しろ教えても教えてもトラブル続きなのだ。こちらは毎日、パニック状態で朝、記者室に入ってパソコンに電源を入れるとすぐに電話でその佐々木さんという営業担当を呼び出して、「おーい。どこのどのボタンを押したら動くのか」と泣きを入れた。佐々木さんはその都度、記者室に駆けつけて来ては「どこをどうされました」と困惑の表情を浮かべてはトラブルの解決に努めた。
未知の世界に突入したおかげで別れたママさんのことはやがて“忘却の彼方”へと追い込んだ。お酒を飲む機会があっても、その店だけは意識的に避けた。しかし、酔っぱらい記者が落ち着ける「とまり木」はなかなか見つからず寂しい日々だった。やっと出会えたお気に入りの女の子は年齢はずーっと下だったが、いつも悲しい話ばかりだった。悲しすぎる運命の星の下に生まれた娘だった。尊敬しているある政治家は選挙となれば口癖のように「私はこの世に一人でも不幸な方がいたら、その人を救うために政治の光を当てたいのです」と叫ぶ。半ば冗談だが、その政治家の真似をしようかとも思ったが、そんなことをしたら四つ足の娘「アキ」とも妻をも不幸のどん底に追い込んでしまう。悲しい女の子なんてどうしたって救えない。その子の努力に期待するほかに術がないのだ。
「別れても好きな人」のお店にはもう2度と行くまいと思っていたが、昨年正月にどうしても入らなければならなくなり玄関をくぐった。ママさんは少しよそよそしい態度を取ったが、やはりお互い気を許した中だ。お酒を飲んでいるうちに一緒に入った相手がママさんに「ママ。伊藤さんは今、すごいことをやってるよ。インターネットで新聞を始め、世界の人たちと交流してるんだ。星の数ほどあるホームページの中で伊藤さんのホームページほどアクセス数の多いページは県内でないと思うよ」と口角泡を飛ばす勢いで語った。
ママはやがて3年前のママとなって自分の横に座り、「そうなの。伊藤さんはきっと何かやる人だとママは思ってたけど、そんなことをやってるの」と大きな目を潤ませた。こちらも調子に乗って「皆さん。聞いてくれ。あの当時、パソコンを買わなければ自分の人生が駄目になると死ぬほど苦しませた人がこの人なんだ」と冗談を飛ばした。側にいた「mcs」の社員らは「ああ。そうなんだ」と大きくうなずいた。「あらあら。伊藤さん。またまた病気になったの。相変わらず困らせる人ね」。ママさんの美しい目が笑った。
「解決のないまま目だけ絡ませる」(小諸索)。
そんな悲しい目ではなく、昔の親しげな目が自分に振り向けられた。大きな温かい瞳だった。以来、再びママのお店にちょくちょくと足を運ぶようになった。しかし、あのころは一人で、夢中になって走るように店に飛び込んだ自分が、今はなぜか一人では店に行く気にはなれない。いつも誰かと一緒でないと駄目になってしまった。ママの前では今でも病人なのだ。それでももうママへのあの熱い情熱は燃え尽きてしまったのだと思う。
先日は妻も一緒に店に行ったのだが、妻が居ようが居まいが以前だったらママさえ隣に座ってくれたら何も目に入らないほど夢中になれた自分が、その夜はママの手を握ったまま酔いつぶれ、眠ってしまったと言う。後で妻から聞かされた話だった。
そのママから電話があった。喫茶店で向き合ってパピーのために買ったという洋服をもらい、いつものように注文したケーキをママはホークでほぐしては「ほら。伊藤さん口を開けて」と舌に乗せてくれたが、昔のようなあの恋に似た甘さは感じられなかった。ただ「別れても素敵な人」だと思った。ママ。いい思い出をありがとう。パピーはその洋服を背にして元気に散歩を楽しんでます。