こちら編集室「好きな人、再び」(11月19日)

  短い一日が終って空が紫色に染まるころ、いつも歩いている近くの杉の木の森は闇の海に浮かぶ巨大な艦船のような姿となって目の前に立ちはだかる。遠くから無数のカラスが群れをなして飛んで来ては、森の上を舞いはじめる。まるで紙飛行機のような軽快さで闇の空を舞う。舞いながらその夜のねぐらを探しているのだろうか。叫び声を一つも発しない。ただ無言で紫色に染まった空を舞っている。その一方で近くを流れる横手川からは「ガハハハハッ」と鴨たちの笑い声とも思える鳴き声が響いてくる。初冬。針が突き刺さってくるような空気の冷たさが身に沁みる。

  夜空のカラスを見つめ、鴨たちの「ガハハハハッ」と言った奇態な鳴き声に耳を傾け、もしも生まれ変われることが出来たならカラスや鴨に生まれたらどんなに幸せだろうかとばかばかしい想像を楽しみながら犬と共に歩いているこのごろだ。しかし、カラスは人に嫌われ、鴨は下手をすると鉄砲で撃たれ、人間の餌食にされかねない。どちらも嫌だなと思い返すが、空を自由自在に飛び、川の上をスイスイと泳ぎ回れるその能力は魅力だ。いっその事、鴨になりたいと再び思う。

  しかし、鴨やカラスに恋という複雑な感情を求めることはできまい。毎日、毎日、空を飛び、水面を横切り、エサを求め、食べては「カー」と鳴き、「ガハハハッ」と叫ぶだけの単調さだろう。「それでもいいか」と少し投げやりな気分にもなったりする。「どうしたんだ」と自問自答するが返す言葉もなく、どうしても解けない方程式を前にしたような虚しさとわびしさを感じる。

  先週、「別れても好きな人」と書いた。読者からメールで「2時間ドラマを観ているような気分でドキドキしながら読ませてもらいました。伊藤さんの性格を知っている僕だからそれでもいくらか安心して読めたけど、まったく面識のない人が読んだら誤解を受ける危険性もあったのでは・・・」と心配された。それでいて「でもあれの続きを書いてもらいたい」と注文だ。さらに「読者の広場」ではちょっぴりとユーモアを込め、びしりと愛のムチならぬ「ひじ鉄」を食らわせた人もいた。直接、面と向かって「伊藤さん。読ませてもらいました。ほのぼのとした気分で読ませてもらいました。嫌らしさが感じさせない内容でした」と感想を述べてくれた読者もいた。中には「どこのママさんですか」と詮索する声もあった。

  その詮索だけは止してほしい。「別れても好きな人」は自分だけの思い出だからだ。その「別れても好きな人」の店にその後も足を運んだ。その人を前にするとまるで病上がりのような気弱さに陥るが、これも仕方在るまい。今週は一緒に行った仲間が歌うカラオケに合わせ、そのママさんに誘われるままホールで踊った。甘い香りがした。「伊藤さんはまだ私のことをお母さんだと思っているのでしょう」とも言った。「ゴメンね。そうかもしれない」とささやいた。

  たった5歳の違い。それだけなのにその人と向き合うと「母」を前にしたような安堵感と甘えてみたいという切なさが交錯して胸が熱くなる。しかし、以前のように「会わずにいられない」といった辛さはない。大きな黒い瞳。未だにちっとも変わっていない美しい笑顔を見ただけで満足なのだ。それでいいと思う。男と女。このような関係があってもいい。

  それにしても不思議な心境に陥れる人だ。心の大きさがそうさせるのだろうか。そばにいるだけでホッとさせる母のような存在。太宰治が小説「津軽」で書いた思い出の人「たけ」との出会いが彷彿させられる。太宰はたけを求めて津軽の旅へ出た。小泊の運動会場で太宰は育ての母「たけ」と出会う。

  太宰は書く。「私は、たけの子だ。女中の子だってなんだってかまはない。私は大声で言える。私は、たけの子だ。兄たちに軽蔑されたっていい」と太宰はたけの子であることに喜びと自負を見せる。そして運動会場でのたけとの出会いを太宰は『「修治だ」。私は笑って帽子をとった。『あらあ』。それだけだった。笑いもしない。まじめな表情なのである。でも、すぐにその硬直の姿勢を崩して、さりげないような、へんに、あきらめたような弱い口調で『さ、はいって運動会を』と言って、たけの小屋に連れていき、『ここさお坐りになりせえ』とたけの傍に坐らせ、たけはそれきり何も言わず、きちんと正座してそのモンペの丸い膝にちゃんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見ている。けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思う事が無かった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の状態である。(略)先年なくなった私の生みの母は、気品高くおだやかで立派な母であったが、このような不思議な安堵感を私には与えてはくれなかった。世の中の母というものは、皆、その子にこのような甘い放心の憩いを与えてやっているものだろうか」。

  私はこの太宰の書いたたけへの思いを何度も読み返しては泣いた記憶がある。自分の母も粗野で飾りっ気はなにもなかった。その代わり自分への愛情は人一倍注いでくれた。しかし、年寄りの子でしかも8人兄弟の末っ子で生まれたせいか、小さいころからなぜ家の母にはほかの同級生の母のような若さがないのだろうかと言った劣等感があった。いやそんな引け目よりも、自分の母に対する思いは甘えてみたいという誘惑は一切持つこともなく、ただいたわってやるしかないと言った義務感ばかりが強かった。その跳ねっ返りが年上の女(ひと)への憧れとなってしまったのかもしれない。マザコン。そうなのだ。

  そのマザコンが別れても好きな人を書かせ、今また太宰の愛した「たけ」との出会いをいとおしんでいる。たけの言葉だ。「まさか、来てくれるとは思わなかった。小屋から出てお前の顔を見ても、わからなかった。修治だ、と言われて、あれ、と思ったら、それから、口がきけなくなった。運動会も何も見えなくなった。30年ちかく、たけはお前に逢いたくて、逢えるかな、逢えないかな、とそればかり考えて暮らしていたのを、こんなにちゃんと大人になって、たけを見たくて、はるばると小泊までたづねて来てくれたかと思うと、ありがたいのだか、うれしいのだか、かなしいのだか、そんな事は、どうでもいいじゃ、まあ、よく来たなあ」。

  私にとっての「別れても好きな人」はこうした「たけ」のような存在だった。そう思う。マザコンに過ぎないのだ。そのマザコン記者をテレビ局が紹介したいと今日19日朝、取材に訪れた。秋田テレビが北東北3県の合同番組として制作する30分番組だという。10月13日に「たざわこ芸術村」を会場に開かれた北東北知事サミットのテーマであった「情報と産業」の関連番組で「伊藤さんこそ情報と産業の最先端を行っているモデルケースですね」と野村敬明報道制作局ディレクターを中心に4人のテレビクルーが訪れた。たった一人でインターネット新聞の発行に取り組んでいる自分にスポットを当ててくれた仲介役をしてくれたのはケンニチの読者の広場でお馴染みのカトさんこと加藤隆悦さん(株式会社アビック映像事業部取締役プロデューサー)である。加藤さんの好意と思って喜んでカメラの前に立った。緊張しながら・・・。

  カメラは記者室でのパソコン操作や秋田県南日々新聞の画面や記事の内容などを収め、さらにはこの日、取材の予定に入っていた南外村の出羽鶴酒造まで同行した。どんどん迫ってくるカメラの迫力に気押されたが、ケンニチの存在が北東北3県の視聴者に知ってもらえるのはありがたいと思った。12月18日午後2時から県内ではAKT秋田テレビで放映される。読者の皆さま、どうぞよろしく。