知事選に自民が村岡兼幸氏を推薦

村岡兼造代議士の長男出馬表明

兼幸氏「秋田を夜明け前から夜明けに」(10月27日・金)

 村岡兼幸氏来春の知事選に向け動向が注目されていた自民党・村岡兼造代議の長男で元日本青年会議所(JC)会頭の村岡兼幸氏(43)は27日午後、秋田市のビューホテルで開かれた自民党県連常任総務会に知事選出馬に当たっての「推薦願い」を申し出、その決定を受けて同ホテルで記者会見。「迷いに迷ったが出馬の決意を固めた」と正式に出馬表明した。知事選には先月25日、現職の寺田典城知事(60)が定例議会で2期目に向けて出馬を表明しており、寺田氏が自民党の推す新人候補と真っ向から対立すると言う選挙戦の構図が固まった。

 この日開かれた自民党県連総務会ではまず県連会長の村岡代議士が「立場上、候補者選考のまとめ役から降りる」と辞任、席を立った。そして記者団に囲まれた村岡氏は「私が国会議員で、息子が知事候補となればいろんな批判があるだろうと反対した。家族も反対したが、本人が仲間とやりたいとの意志が固く、それを尊重することにした。選挙戦はゼロからのスタートであり、厳しく辛い戦いになるだろう。息子を推した若い人たちとどのような話し合いをしたかは分からないが、出るとなった以上は応援はする。しかし、表面には出ない控え目な縁の下で支える程度の動きだろう」と語った。

 記者会見は午後1時45分から始まった。会場には兼幸氏の友人で青年会議所OBの有志ら若手経営者らや現役のJC会員ら100人前後と兼幸氏の推薦を決め、新しく自民党県連会長に就任した野呂田芳成代議士、同県連幹事長の藤原俊久県議(南秋田郡選挙区)らも出席した。野呂田会長「会長を引き受けた以上は精一杯、力を尽くし、新しい知事を誕生させたい。いい候補であり、本当に良かった。兼幸君は『秋田を大変革しなければならない。秋田を夜明け前から、夜明けにしなければならない』との抱負を語った。それに大きく期待したい。いつの時代でも世の中を変えたのは信念と情熱を持った若者たちだ。兼幸君が43歳で知事選に出馬する。この若者に停滞している秋田県の大変革を期待したい」と持ち上げ、「みんなで支えて県政の流れを変えて頂きたい。兼幸君には命懸けで頑張ってもらいたい」と檄(げき)を飛ばした。

 続いてマイクの前に立った兼幸氏は「出馬表明するための決意表明であり、気合を入れるためにも立ったままお話をしたい」と声のトーンを高めた。そして「自民党県連から正式な出馬要請を受けていたが、迷いに迷って熟慮した結果、出馬することを決意した」と立候補を表明。そして「間もなく21世紀を迎えるが、1000年に1度の世紀の変わり目に我々が遭遇すると言うことはある意味で幸せかもしれないが、それ以上に大変革期を迎えているかもしれない。地球環境問題という有限な壁、少子化、高齢化、あるいは人口減少という壁。これまで経験したことのない壁にぶつかっている。地方分権化という中央集権から地方集権へと流れも大きく動いている。これも大改革の壁だ。そして介護保険、あるいはNPOという新しいシステムを作らなければならない壁にもぶつかっている。これらの大変革を夜明け前にするため秋田県は様々な力を合わせてこの改革、難局に取り組まなければならない」と訴えた。

 記者団に囲まれ質問に答える父の村岡代議士そして「今の秋田県はそういう状況になっているだろうか。様々な関係者が力を合わせてパートナーシップでこの難局に取り組もうとする形になっているだろうか」と疑問を示し、「真の意味の民主主義を目指して議会も行政も、そして住民もこぞって力を合わせ新しい秋田を造っていくというようなエネルギーの秋田県にしたい」と決意を述べた。さらに「自民党県連から出馬要請を受けた時は戸惑いと驚きもあり、父も随分、悩んだがずーとこれまで地方分権、NPO、地方集権社会をつくろうと活動をしてきた。自信はないが秋田県に本当の意味の民主主義社会をつくるためみんなでパートナーシップで力を尽くしていく秋田をつくるため立候補して改革に向かっていく決断をした」と決意を示した。

 政治信条に対する質問に対しては「新パートナー宣言を自分の政治信条としたい。住民と行政と議会と企業が協働で共に力を出し合って働き、新しい時代をつくっていく時代だと思う。43歳。世代の真ん中にあたる。世代を結ぶ力として、行政と議会を結ぶ力として、そして行政と住民を結ぶ役割を果たしたい。若さを全面に出して行動する企業を目指し、県民の県民による県民のための新しい秋田づくりに邁進したい」とも述べた。そして「自民党県連の県議会議員の先生方、今日参加してくれた全県の若手経済人、知人友人の熱い思いを背中に受け止めて半年近い選挙戦を死に物狂いで戦いたい」と決断した。そして県政を「企業」と例えた理由に対して「県庁は県内の最大の企業だと思う。5500人の職員を抱えている県庁はまちづくり株式会社だと思う」とも話した。寺田知事ではだめかとの質問に対しては明確な言及を避けた。

 一方、記者団に配布した「私の決意」では「人口減少や少子化、高齢化の進行は全国のトップクラス、農業を取り巻く厳しい環境、若年者の県内定着に不可欠な働く場の確保、経済構造の変化の波にもまれている地元中小企業の振興策など問題は山積している。ところがその解決に向かう糸口さえ見つけられず、県内の最大のシンクタンクとして機能すべき県庁は職員の能力を発揮することもできない状態だ」と批判、さらに「IT革命や集客交流といった新たな社会創出からも取り残され、深刻さが増すばかりだ」と指摘。その上で寺田知事の主張する「ガラス張りの行政」を「当然あるべき環境であって、それだけで真に豊かな社会は達成できない。場当たり的な政策や行財政改革、そしていたずらに対立を煽る政治手法では秋田の未来に希望をもたらすことはできない」と主張、対立しようとしている。

 そして県政を進めるための「6つの政治信条」としては「県内69市町村すべてにおいて年1回対話集会を開き、重要課題には自らが地域に出かけ、住民対話を積極的に行う」と「対話を重視し、生活者起点で考える県政」「行動する知事を目指す」「全国画一の地方分権でなく、秋田の理想を追究し、与えられた地方分権でなく主張する地方分権を目指す」などを述べた。

 立って出馬表明の決意を述べる兼幸氏父が代議士で息子が知事選に出ることに対しての県民の批判には「父には尊敬しているが、歩んできた道が違うし、自分は政治とは違う地域のまちづくりとして市民運動をしてきた。立候補は一県民として個人として立候補を決意した。仮に知事になったからとしても親子とは一切関係ない、県民にとってどうだとか、秋田県にとってどうあるべきかを第一に念頭において物事を考える」とかわした。どんな質問にも気後れすることなく答えようとする兼幸氏。JCOBを中心とする県内の若手経営者のホープらしいりりしい一面を見せた。

 兼幸氏は県立本荘高校から青山学院経営学部卒。由利本荘JC理事長時代から地域に根ざした街づくりを目指し、1997年に日本青年会議所会頭に就任。地方分権と非営利団体(NPO)を重視した地域振興に取り組んだ。まちづくり市民財団理事長、地域市民座財団理事などの公職にも就いている。現在は村岡建設工業常務取締役。