栗林元代議士が死去

労農運動、出稼ぎ運動で活躍

来月11日にお別れ会を開催(2月26日・月)

 元社会党衆院議員の栗林三郎(くりばやし・さぶろう)氏が24日午後3時55分、脳梗塞(こうそく)のため、入院先の大曲市の仙北組合総合病院で亡くなった。94歳だった。自宅は同市栄町13の16。近親者と関係者だけによる葬儀は28日午前11時から同市花館字柳町1の51、シャインプラザ平安閣大曲で行う。喪主は妻せつさん、喪主代理は次男で県議の次美(つぐみ)氏。全国出稼組合連合会、秋田ふれあい信金、大曲へらぶな研究会、大曲市による「お別れ会」は3月11日午後2時から同市佐野町のフォーシーズンで開く。会費制。

 大曲市川目生まれ。高小卒後、新聞販売業を営み、1941年(昭和16年)から終戦まで大曲町議、47年から県議2期。58年から80年まで旧秋田2区選出の衆院議員を通算5期務めた。米価審議会委員、社会党出稼ぎ対策委員長、全国出稼組合連合会長、大曲信金(現秋田ふれあい信金)理事長などを歴任。84年に大曲市功労者。

 57年に全国にさきがけて県内の農民組合を統合するなど、戦後秋田の労農運動の中心的存在として活躍。旧社会党左派の闘士だったが、「父さん、父さん」と呼ばれた気さくな人柄、気迫あふれる演説で多くの民衆の心を捉えた。自宅は通称「栗林学校」とも呼ばれ、旧社会党の細谷昭雄元衆院議員ら多くの政治家を育てた。

 出稼ぎ組合運動には特に力を入れ、71年に全国出稼組合連合会を結成、動物飯場と呼ばれた劣悪な出稼ぎ先宿舎の改善や賃金不払い、労働災害問題などに取り組み、出稼ぎ農民の権利の向上で果たした功績は大きい。