秋田商業高の田村君、広島カープへ
「球界の花形選手へ」=活躍を祈って激励会(1月7日・日)
日本のプロ野球界の花形選手になって頑張ってもらいたい−。西仙北町出身で、昨年11月のドラフト会議で「広島東洋カープ」から5位の指名を受け、同球団への入団が決まった秋田商業高3年・田村彰啓(あきひろ)君(18)の激励会が6日夕、同町のぬく森温泉「ユメリア」で開かれた。小松隆明町長らが発起人会となって開いたもので、同町在住の佐々木長秀県議、佐藤文夫秋商校長、小野平秋商硬式野球部監督、田村君の中学校時代の同期生、町民ら220人が参列して同町から初めて誕生したプロ野球選手・田村君の活躍を期待して乾杯した。
田村君は同町刈和野字小野、会社員・力夫さん(48)、弘子さん(43)の長男。小学校4年生から野球を始め、町立東中学校の野球部時代はファーストとピッチャーとして活躍。3年生の時は全県中学校野球大会で優勝を飾る原動力となった。その打撃力は中学生時代から注目され、秋田商業高校野球部から強く勧められて同校へ入学した。小野監督はこの日のあいさつで「入学式を終えて、そのまま野球部を訪れた田村君に打席に立たせてみた。その打撃センスを見て、すぐに『4番打者』として使えると判断した」と田村君の並外れた打撃力を激賛した。田村君はそのまま3年間、不動の4番打者を努め、通算で21本塁打を記録。守備は1年生の時はファーストだったが、2年生から俊足が買われセンターに就いた。長打力と俊足(100メートル・11.8秒)、強肩(遠投力112メートル)の“三拍子”そろった選手だった。その上、野球部主将として部員をまとめ、昨年8月には甲子園出場への原動力にもなった。右投げ、右打ち。身長は182センチ、体重80キロの大型外野手として球界から注目を浴びていた。
「プロ野球は小さい時から行きたいという夢を持ってました」。田村君はキッパリと言った。隣に並んだ父の力夫さんも「広島カープからドラフト会議にかけることになったと事前に打診があった時は、嬉しさ半分、不安が半分だった。本人が行きたいと言い出した時は自分の行きたかった道だろうと思い、反対はしなかった」と顔をほころばした。母の弘子さんは「プロ野球は大変厳しい世界。素直には喜べなかった。でも今は一生懸命頑張ってもらいたいと祈ってます」と気遣いを見せた。
田村君は「広島の4番バッターは金本選手。金本選手のように打つ、走る、守るの三拍子揃った選手を目指したい」と目を輝かせ、「練習は辛いけど、野球の面白さはボールを遠くへ飛ばすこと。その快感は練習の辛さを吹き飛ばします。山本浩二監督も尊敬してます。練習に打ち込み、早く監督から注目される選手になりたい」と言い切った。弘子さんも「山本監督は選手を育てるだけでなく人間としても育ててくれそうな人だ。尊敬してます」と山本監督への期待を込める。
激励会で小松町長は「我が町から初めてのプロ野球選手の誕生となった。町としても大変、誇れることだ。プロの世界は大変なところだ。田村君はまだまだ原石。精進を重ね、ダイヤモンドのように輝いてもらいたい。そして1日も早くテレビに映る選手になってもらい、後輩たちに夢と希望を与えてほしい」と励ました。佐藤秋商校長も「田村君は練習熱心な選手だ。広島球団は選手を育てるチームとしての定評がある。練習を重ね、1日も早く1軍のレギュラー選手となって活躍してほしい」と声をかけた。最後に田村君を育てた小野監督は「田村君がプロ野球に行けるようになった要因はご両親が与えてくれた頑丈な体、そして弱音を吐かない精神力の強さ、それに努力家の3つだ。これから大変な世界に身を置くことになるが自信と希望をもって難関を切り抜けてほしい」と激励。田村君とがっちりと握手して活躍を祈った。
後輩の町立東中学校野球部主将の鈴木講平君から花束の贈呈を受けた田村君はマイクの前に立って「1日も早く1軍に入って皆さんにいい試合を観てもらえるよう頑張ります。どうぞ広島カープのファンになって下さい」と決意表明した。田村君は10日に広島に向かい球団で寮生活の後、2月1日から宮崎県でのキャンプ生活に入ってプロの世界で本格的な練習活動に入る。激励会に参加した町民たちは「とにかくケガをしないでいい選手になってくれるのを祈りたい」と田村君に声を掛け合っていた。激励会の様子は8日午後6時19分からのAKT「秋田テレビスーパーニュース」でも放映される。