思い出の校舎との別れを惜しむ
108年の歴史を刻んで四ツ屋小と統合(3月27日・火)
大曲市立四ツ屋小学校との統合が決まった松倉小学校の閉校式が27日午前10時から同校体育館で挙行され、多くの人たちが108年の歴史と伝統を刻み続けてきた校舎との別れを惜しんだ。閉校式には松倉小のPTA、四ツ屋小のPTA、辻久男、栗林次美両県議や市議会議員ら来賓、それに卒業した6年生も含めた16人の全校児童と旧教職員、卒業生ら約300人が参列した。
高橋司市長は「幾多の困難を乗り越えながら今日までの歴史を刻んだ松倉小のために協力を惜しまなかった地域の人たちに感謝したい。少子化による児童減でいかんせんともしがたく四ツ屋小と統合することになった。地域の文化、コミュニティの場を失うことであり、残念極まりない」と式辞を述べた。斉藤赳校長も「学校創立以来、今日までに1356名の卒業生を送り出した松倉小。思い出の学舎を後世に伝えていくための記念碑を建立した。機会あるごとにここを訪れ、ご覧になって往時を偲んでもらいたい。卒業生も在校生も松倉小の児童であったことに誇りを持ち、四ツ屋小、大曲中に行っても頑張ってくれることを祈る」と別れを惜しんだ。
来賓あいさつの後、笹元嘉辰教育長が児童の一人ひとりに校舎を背景に撮った四つ切りの記念写真を贈呈した。「ありがとうございます」と元気な声でお礼を述べる児童たちとがっちりと握手して新しい学校での勉強を頑張るよう励ましていた。最後に16人の児童一人ひとりが立って「別れのことば」をそれぞれに朗読した。5年生の判田悠君は「ありがとう松倉小学校」と題して「ぼくは、松倉小学校に入ってからの5年間で、いろいろなことを学びました。例えば、生き物のカエル、ザリガニ、たんぽぽ、アサガオ、ひまわりなどについて知ることができました。松倉小学校の周りには、自然がたくさんあります。だからこんなに知ることができました。松倉小学校から学んだことや思い出をこれからも大切にしていきたいと思います」と大きな声で朗読した。
体育館をびっしりと埋めた地元の人たちは校歌を聞きながら、天井を仰いで涙ぐむ姿もあった。昭和12年(1937年)に同校を卒業したという斉藤喜一さん(75)は「この学校は生徒と先生たち、地域とのつながりがとても強かった。地元の文化の灯が消えることになるだけに残念だし、とてもさびしい」と肩を落としていた。
同校は明治17年(1884年)に仙北郡半道寺小学校松倉分教室として開設された。22年(1889年)に松倉地区が四ツ屋村に編入し、四ツ屋簡易小学校松倉分教室になり、戦後の昭和22年(1947年)に四ツ屋村立松倉小学校と改称された。校舎の玄関と職員室は昭和9年(1934年)の建物、その後の27年(1952年)に校舎が増改築され現在の建物となった。29年に町村合併で大曲市立松倉小学校となった。すでに半世紀。木造の校舎は階段の手すりはすり減り、児童たちの汗の結晶でピカピカに光り輝くほど。
終戦の年である昭和20年の児童数は162人を数え、開校以来最高の児童数を記録したが、その後、児童数は減少の一途をたどり、ここ10数年に入学する児童は1人か2人と一桁に過ぎなかった。閉校記念に建てられた記念碑の除幕をした後、参加者全員が校舎を背景に記念写真を撮った。
松倉小のアイドルとしてかわいがられたネコの「タマ」は式典の間、職員室のストーブのそばに用意されたベッド、と言っても段ボール箱に毛布を入れたものだが、その中で丸くなって眠っていた。タマは用務員の鈴木光広さんに引き取られることになった。7年前に捨て猫として校舎に迷い込み、以来、先生たちから「タマお嬢さま」とかわいがられ、なついていた。タマの写真は下記へ。