お帰りなさい本郷さん

裁判長を務め終え40年振りに実家へ

大曲市角間川町で「わが町の誇り」と歓迎会(5月13日・日)

 歓迎の花束を手にする本郷夫妻大曲市角間川町は藩政時代から明治にかけて川港で県南随一の繁栄を誇った町として知られる。大地主も生れた町で、今も黒板塀を回した旧家が町本通りに面して残っている。その地主たちの手によって土地を改良し、いい米を作らなければならないと秋田銀行の前身である「改良社」が生れた町でもある。その旧家の一つである本郷家も8代目当主で元市議会議員もされた本郷太郎さんが亡くなって以来13年間、空き家となっていたが太郎さんの長男でこの3月に仙台地方裁判所の所長を65歳の定年で退官した元さん夫妻が里帰りして角間川町の実家に住み着いた。町では「長く裁判長をされた人が戻ってくれた。わが町にとっても大変、名誉な人」と11日夜、地元の温泉「田畑荘」で「本郷元さんを歓迎する会」を開いて祝福した。

 歓迎会には高橋司市長、そして地元の二人の市会議員、それに小学校長や中学校長、地元郵便局長、秋田銀行角間川支店長らも来賓として招かれ、本郷さんの同級生ら70人が参加した。

 本郷家は最上、北島、荒川の3家と並ぶ大地主として栄えた。明治天皇が東北巡行された明治14年(1881年)9月19日には天皇がご宿泊された家として有名だ。元さんのおじにあたる本郷隆氏(故人)は詩人で、詩の芥川賞とも言われている「歴程賞」を受賞、大曲中学校、大曲南中学校の校歌の作詩などで親しまれた人だった。

 元さんは当時の平鹿郡角間川町立角間川中学校から県立横手美入野高校を卒業。中央大学に入り、同大を卒業した翌年の1960年10月に司法試験に合格。司法修習生を経て秋田地方裁判所判事補をスタート台に判事の道を歩み始める。73年には青森地方裁判所判事になり、80年には仙台高等裁判所事務局長、85年には東京高等裁判所判事、そして93年には秋田地方裁判所長、98年に仙台高等裁判所部総括判事、99年11月に仙台地方裁判所長に就任して、この3月に定年で退官した。法の道一筋に40年間歩んできた。

 歓迎会で発起人を代表してあいさつに立った元市議の平野兵吉さん(79)は「40年間もの長い間、裁判官をやられた本郷さんが角間川町に帰って来られた。角間川町は歴史の町としての誇りもあるが、残念ながらこの町も空き家が目立つようになった来た。そこへ帰って来られた本郷さんは並大抵の人ではない。町の誇りと言える人だ」と喜びを全身に表して歓迎した。

 本郷さんの幼なじみだった人も登場して「元ちゃん宅に遊びに行くと、おやつの時間と言うものがあって、普段、口にする事も出来ないようなお菓子をご馳走になれたものだった」とエピソードを披露。「真のしっかりした人で秋田市の高校に進学すると思っていたが、『何を学ぶかが大事だ』と横手の高校に進学した」と若いころから志を持った青年だったと紹介。高橋市長も「町の誇りと言える人が帰って来られ、素晴らしいことだ」と歓迎した。

 本郷さん妻の祥子さんと共に「このような歓迎会を開いてもらいありがとう。今の気持ちを一言で言い表すと古代中国の詩人・陶淵明の“帰去来”と言うべきか」と故郷への思いを語り、「裁判官と言う仕事は自分の能力を超えた仕事と思った時もあった」と人を裁く事の難しさをふり返る言葉も。そして「何らかの形で角間川町に恩返ししたい。これからは機会を見つけて裁判と言う仕組みはどうなっているものかなどをお話ししてみたい」と抱負を述べていた。