大曲市で「熱き感動を求めて」と講演
熱血先生、泣き虫先生の本領を発揮して涙の熱弁(4月26日・金)
NHKの人気番組「プロジェクトX」で「ツッパリ生徒と泣き虫先生〜伏見工業ラグビー部・日本一への挑戦」で紹介されたのがきっかけで、指導者としてのシンボルとも言える存在として全国の教職員の注目を浴びている京都市伏見工業高校ラグビー部の山口良治総監督氏が25日、大曲市の市民会館で開かれた「大曲仙北教育研究大会」で「熱き感動を求めて」と題して講演した。山口監督は会場を埋めた大曲仙北の小中学校の先生たちや教育委員会、PTA代表ら約1100人を前に熱血先生そのものの熱弁で、涙を流しながら1時間40分にわたって、教師のあり方を語った。
山口監督は元全日本代表のラガーマン。1974年に伏見工業に教師として赴任。当時は生徒たちの非行が急増し、教育現場は大荒れだった。伏見工はその京都の中でも一番の荒れる学校として知られ、酒、タバコはおろか授業妨害、校内暴力、傷害事件が相次いでいた。山口監督ら教師はラグビー部を京都一にして生徒に「誇り」を植えつけ、非行をなくそうと努力。
校内でも名うてのワルが集まっていたラグビー部。山口監督は生徒に疎まれ、裏切られながらも体当たりで指導。しかし、初の公式戦で当時の強豪・花園高校に112対0と悲惨な敗戦を経験。打倒・花園を目標にラグビー部が奮起し、急速に力をつけ、全国制覇を果たした話は伝説にもなった。
山口監督は「小学1年生の時、母親が死んだが、女の先生からいつも肩を叩かれて『頑張れよ』と励まされたものだった。その先生だけでなく、多くの先生との恵まれた出会いがなければ教師になろうとは思わなかった」と人と人との出会いの大切さ語り、「子供たちが卒業して社会に出てから、思い出してもらえる教師であるべきだ」と教師としての理想像を述べた。そして「生徒に名前も覚えてもらえない先生は寂しいことだ」と教師としての存在感をどう出すかを問い、「子供たちの可能性はすごい。 それが教師との出会いで変わる」とも訴えた。
伏見工に赴任した時は「なんやこの学校は」とさえ思ったと言う。授業中に校内をバイクで乗り回す生徒がいて、授業妨害されるなど見ること聞くことすべてに憤りを持ったと言う。自身もバイクで追い回されたり、バットで殴り掛かられた時もあった。身の危険を感じ「俺はこの学校に何をしにきたのか」とさえ思ったという。しかし「生徒たちはそうした行動で先生たちの心を試しているのではないか」と理解を示した。そうした生徒たちに伏見工が自分の卒業した母校だと思える誇りを持たせたいと山口監督。「社会人になって、自分が卒業した母校の名も口に出せないような情けない思いはさせたくなかった」。関西弁を交えての熱弁だった。
ラグビー部の生徒たちに感動を覚えさせ、勝つことの喜び、誇りを持たせたいと指導。しかし、ラグビーの名門・花園高校と対戦したら112対0の惨敗。「俺は子供たちに何を教えたのか。負けた姿を見ていると生徒たちに申し訳なくて涙が止まらなかった」と語った。悔しさに泣く生徒たちを相手に山口監督は「これからはどんな辛抱でもできるか」と一度だって「辛抱」したことのない生徒たちに「辛抱」を求めた。「どんな辛抱してでも勝ちたい」。生徒たちは泣いて約束した。「よし、ラグビーで日本一にしてやる」。山口監督は決意。それが5年後には花園高校を破り、そして全国優勝へとつながった。
山口監督は「言い訳をしてはいけない。目標のない人生はいけない。伏見工の優勝は奇跡だとも言われたが、奇跡なんてない。子供たちの成長だ。努力は裏切らない。子供たちのいいところは本気になって褒めてやって欲しい。『アカンアカン』では野村阪神になってしまう」と語りながら、当時の生徒たちの姿が眼に浮かんで来るのか、時折、顔をクシャクシャにして泣いた。そして「子供たちの可能性を見いだし、それを伸ばしてやるのかつぶすのか。それこそ教師の責任だ。これからも一人でも多くの若者と出会って、子供たちの目標となれる人生を歩みたい」と訴え、聴衆の感動を呼んでいた。