400年前の検地帳と佐竹氏の書

六郷高校の先生が生徒たちに公開

西仙北町土川の小笠原家に伝わる古文書(2月13日・水)

 古文書のいわれを説明する小笠原教諭(奥)県立六郷高校(赤平洋一校長・生徒数466人)の図書室で13日午後1時から同校の小笠原浩教諭(60)家に伝わる秋田県で最も古い400年前の検地帳と旧秋田藩主・佐竹家6代目義真侯の祖父・佐竹義邦侯が書いたとされる二幅一対の書が展示され、生徒たちに特別公開された。小笠原家は戦国末期に今の南外村楢岡から現在の西仙北町土川字殿屋敷に移り住んだとされる旧家。現代の当主である小笠原教諭で17代目を数える。佐竹氏が秋田に入部してからも肝煎(きもいり・庄屋)として代々伝わった家柄。自宅の土蔵には1000通を超す古文書が保存されており、小笠原文書として知られている。

 検地帳を生徒たちに公開しようと思いついたのは社会科の研修旅行の際に「我が家に秋田県で最も古い検地帳があるよ」と話題にしたら、先生たちからも「見せてほしい」となったことから。それまではほとんど門外不出としていたが、ご自身も今年で定年を迎えることから、自宅に保存されている古文書を整理し、その詳細を調べ、生徒たちにも歴史の重みを勉強してもらう機会になればと公開に踏み切った。

 小笠原教諭はこの日、図書室で生徒たちを迎え、自身が調べてまとめたガリ版刷り資料を配りながら「慶長5年(1600年)、天下分け目の関が原の戦いに勝利した徳川家康は、諸大名の配置換えを行い、慶長7年(1602年)にそれを実施した」と時代背景を語った。そして常陸国54万石から秋田に移封された佐竹義宣侯は、自分の領地がどのくらいあるのかと慶長8年(1603年)に検地を実施する。当時の庄屋たちは佐竹氏が入部する前にこの地を治めていた角館の戸沢氏、秋田氏ら前の殿さまへの遠慮もあって、新しく来た殿さまには余り協力的でなく、素直に応じなかったと言う。

 しかし、小笠原家では戸沢氏の客分として優遇されたこともあって、佐竹氏入部に際してあらぬ疑いを受けぬよう、検地を律儀に実施し、殿さまからはお褒めの言葉を貰っている。それが小笠原家文書として代々残り、現在に続いたという。一方、展示された佐竹義邦侯の「萬壽」「自彊」の一対の書がどのような経緯で小笠原家に伝わったのかははっきりしてない。小笠原教諭は「西仙北町刈和野には足軽駐在所や本陣もあり、そこへ佐竹家がお出での際、小笠原家が檀家総代を務める土川の『宝泉寺』と佐竹家本家の菩提寺『天徳寺』と親しかったことからそのルートかもしれない」と推測する。そして「当家に伝わる多くの文書が現在までに残ったのは、この400年間、一度も火災に遭わなかったからです」と話した。

 小笠原家に伝わる古文書 検地帳は田、畑、屋敷の別。さらに田んぼは上中下、下の下(げのげ)の4等級に分別され、「縦二十六間、横三十六間」と長さ、それに「三反壱畝」と面積、さらに「四石五升六合」と米の取れ高、そして田の持ち主の名前が記されている。400年も前の古文書を目の前にした生徒たちは興味深そうにそばに寄って虫食いで所々、ボロボロに破れた紙に書き記された文字を見つめ、遠い先祖の時代に思いを馳せていた。