仙南村「稲源郷(とうげんきょう)」
古き良き時代の心と体のきずな、村の活気伝わる(3月4日・月)
仙南村では合併45周年を記念して写真集「稲源郷(とうげんきょう)」を発行、村内2028全戸に配布した。写真集はA4版で、100ページ、2500部印刷した。村民や村内の営業写真館、中学校、小学校、幼稚園、保育園などから写真提供を求め、約3700枚のモノクロ写真の中から、同村在住の写真家・泉谷玄作さんが写真家の視点で監修した。
同村は1956年(昭和31年)9月、旧飯詰村と旧金沢西根村が合併して仙南村となった。そして58年、横手市金沢の一部が、同村に分市合併した。
写真集は昭和33年、後三年集落に簡易水道が敷かれるまでの経緯を記録した「飲み水を求めて」に始まり、「変わる街並み」、産業の発展を願っての「耕地整理」、「学校教育」、春から冬・日々の暮らしを綴った「農業・農作業・暮らし」、そして未来に向かって「笑顔でともに羽ばたこう」の6項目からなっている。
人が行きていくためには欠かせない水。その水源地を求めての調査の様子、そして簡易水道が敷かれ、水道管の蛇口から勢い良く流れ出す水を感動しながら見つめる村の主婦とその水をコップに受け止める男性の姿には長年の水の苦労から解放された喜びが伝わって来る。
変わる街並みではまだ未舗装だった後三年の街並みや飯詰駅前の街並みの様子と現代とを比較、村の発展を視覚的に紹介している。飯詰駅構内に停まった蒸気機関車「D51」の鉄の塊のような勇壮な姿も。早春の風景と題した昭和40年ごろに撮影した山羊の親子4頭の群れは懐かしさを募らせる。
産業の発展を願っての「耕地整理」はまだ土木機械のなかった昭和30年代、村の人たちがスコップやクワを手に土を掘り起こし、モッコを担いで土を運ぶ作業などを紹介している。
学校教育の「子どもたち」では昭和8年ごろの尋常高等小学校の子どもたちの記念写真なども。男の子も女の子も綿入れの「どんぶく」姿だ。なぜか男の子も女の子も、その表情には笑顔がない。軍国主義が台頭し、戦争に向かっていこうとしている。そういう暗い時代だったと語っているのだろう。
春から冬・日々の暮らし。写真集はこの村人の生活に多くを割き、昭和30年代、40年代の農作業の様子などを紹介している。村の若者たちが力を合わせて田んぼを耕す様子や苗取り、田植えの様子。まだ機械化されてなかった当時の田植えは重労働だった。すげ傘姿で田んぼに入って田植えする女性たちの列。そしてあぜ道に座って、たばこ休み時間を取る女たちのホッとした表情は苦労もあったが、人と人とのきずなの深さがあった古き良き時代を感じさせる。
秋。稲刈りが始まり、活気づく村。もう見られなくなった「穂にお」が並ぶ田んぼの風景は農村の美しさを余すところなく語る。そして農協の倉庫に山積みされた60キロ詰めの米俵。それを一俵、一俵、背中に担いで当時の国鉄貨車に積み込み、消費地の大都会へと送り出す作業は農村の原動力を感じさせる。収穫を終えた後の村民運動会。村人の心と体のきずなの強さがあった。路上で遊ぶ子どもたち。戦後の生活難を乗り越え、やっと心から笑えるようになった子どもたちの姿がいい。
冬。豪雪に埋もれた家々。家族総出でそりを使っての堆肥運び。そしてこたつを囲んでの一家団欒。「トトピー」と呼ばれ、飯詰駅で客を待つ懐かしの馬そり。まさに村の生きた写真記録である。
松田知己村長は「村は少子高齢化の進展に伴う地域のあり方、財政ひっ迫の中の行政のあり方などを深く考えなければならない。こうした課題に向き合い、対処し、より良い地域として成長していくには、これまで以上に地域の特性把握と、それらを踏まえた地域づくりが求められる。そのためにはまず村の過去に対する懐古と回顧が必要。古き時代に心を潤しながら、汗と知恵、きずなを見つめ直し、将来に想いを馳せ、新たなことを学びたい。温故知新だ。写真集が前を向いて行く心の栄養剤、刺激剤になればと期待する」とその発刊の意義を語る。