戦場医の篠原さん、大曲市で講演
沖縄に国際こども村建設目指して命懸けの全国行脚(9月4日・水)
地雷でけがをしたアジアの子どもたちを治療し、教育できる施設を建設したいと「余命3年」と宣告されながらも「命のあるうちに」と重い病気も顧みず、自転車で全国行脚している医師の篠原利和さん(54)が3日、大曲市入りし、仙北教育会館で講演をした。「子どもたちに未来を〜地雷原を走った戦場医、平和への願いを自転車に乗せて」と題した講演には中学生から高校生を含めた約100人が聴講に訪れ、篠原さんの話に熱心に耳を傾けた。そして多くの人たちが篠原さんの夢である「NPO沖縄国際こども村」建設支援のカンパに応じていた。
篠原さんは5月1日に「こども村」を建設する沖縄を出発し、北海道を折り返して1日に秋田に入った。大曲市では県平和労組大曲支部が応援サポート隊となって受け入れた。講演で篠原さんは小学校も中学校もさらに高校もいじめでほとんど行かなかった自分の過去を明らかにしながら、「子どもは親の占有物ではない。子どもにだって学校で教育を受ける権利もあれば受けない権利もある」と言いながら、「学校には行かなかったが、その分は人一倍勉強した」と語った。そして太平洋戦争で戦場となった沖縄の人たちの話を聞いて「内地の人間として恥ずかしかった」と戦争の愚かさを語った。
そして会場に持ち込んだ旧ソビエト製の地雷や中国、フランスなどの地雷を手にしながら「これらの地雷は殺傷能力はないが、人間の手足は奪ってしまう。殺すというよりも手足を奪うことで戦闘能力を落とすために使われている」と語り、「今、私がここで講演している間にも子どもたちの命が地雷によって奪われている。地雷は子どもたちをターゲットにしているのもある。子どもたちの手足を奪ってしまえば、将来、戦闘員にならないからだ。そんなことをやるのが大人の役目か」とアジア各地で起きている悲惨な地雷被害の実態を述べた。同時に日本政府が成立させようとしている有事関連法案を「国民を戦争に巻き込むようなもの。こうした法案はいらない」とも訴えた。
そして「アフガニスタンでは子どもたちは食べるものもなく、栄養も取れないため、けがをした子どもたちを治療しても回復能力もない。子どもたちは苦しみ、死んでいく。母親は子どもが死んでも涙を見せない。むしろ子どもが亡くなると『これで良かった。この子はもう苦しむことはない。神さまの下で遊んでいるだろう』と悲しみをこらえている」と語り、「寝ても覚めても脳裏に浮かんでくるのは足と手を奪われた子どもたちの姿で、彼らを手術で助けてやらなければという思いだけだ」と米軍の基地、戦争の基地となっている沖縄に平和の基地となる「沖縄国際こども村」を創る夢を語った。話していても病気がそうさせるのか時々、声が詰まった。
篠原さんはアメリカで医師となって民間地雷除去グループと共に約30年間、ベトナムやカンボジア、アフガニスタンなどで戦場医として活躍。自身もゲリラの銃弾で胸や足に負傷を負った。2年前に「狭心症」で倒れ、帰国して治療を受けた。今年3月にも倒れ、主治医から「余命3年」と宣告された。それを知った篠原さんは「命のあるうちに夢を達成したい」と治療を打ち切って「こども村」建設資金を集めたいと講演とカンパの自転車の旅に出た。
最初は支援もないたった一人の活動だったが、篠原さんの運動に感動した人たちによって支援の輪が広がり、移動用の車の寄付もあった。今ではその車に乗っての移動となっている。さらに現在、栃木県宇都宮大学で学んでいるベトナム生まれの女性、グェン・ティー・タン・マイさん(23)も篠原さんの運動に感動し、行動を共にしている。
マイさんも「私の両親もベトナム戦争でボートピープルとしてベトナムから脱出した。篠原さんの活動はNPOのホームページで知った。支援すべきかどうか悩んだが、戦争で苦しんでいる子どもたちを知っていながら何もしないではいられなかった」と語り、「北海道を回った時は気温も低く、篠原さんも危険な状態だったが、今は状況もいい」と篠原さんの健康状態を報告した。今は自転車に乗ることはほとんどなく、車で移動しながら点滴を受けているという。
篠原さんが目指すこども村はログハウスで20棟建設し、地雷でけがをした子どもたち350人を収容し、治療とリハビリ・教育を目的とした施設とする。当面の募金目標は3500万円。「まだ10分の1程度しか集まってない」とこの日、記者からの質問に力ない声で答えた。
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