御法川代議士が死去

気さくな人柄で人を魅了

秋田3区から5期目の夢半ばに散る(4月25日・金)

 衆院議員の御法川英文(みのりかわ・ひでふみ)氏が24日午後10時21分、入院先の大曲市の仙北組合総合病院で肝不全のため死去した。67歳。自宅は大曲市金谷町1の21。火葬は27日午前10時から同市大曲西根の中央斎場で、そして28日午前11時から親族だけによる密葬を行う。本葬は6月29日午前11時から市民体育館で挙行する。喪主は長男・信英(のぶひで)氏。

 25日朝、御法川氏の自宅には訃報を聞いて仙北郡内の町村長や交流のあった市民らが次々と弔問に訪れている。01年12月に仙北組合総合病院で手術を受けながらも政界に復帰。今年2月16日に同市のエンパイヤホテルで開かれた「新春懇談会」では約600人の支持者を前に「この厳しい経済も何年も続くことはない。早番、良くなると思うのでみんなで力を合わせ、この難局を乗り越え喜べる時代を築こう」と元気な声で詰めかけた支持者らを励ましていた。しかし、やせ衰えた痛々しい姿に多くの人たちがその体調を心配していた。

 田沢湖町生まれ。大曲農業高校を経て明治大学卒。1975年から県議連続3期務め、衆院選に転向。中選挙区制で定数3だった旧秋田2区から90年2月、2度目の出馬で初当選。小選挙区制となった96年10月の衆院選からは自民党の村岡兼造氏と5年ごとに直接選挙、比例代表へと交代するコスタリカ方式を取り、村岡氏が秋田3区から、御法川氏は東北比例代表に回って当選していた。2000年6月の衆院選でも同様の選挙戦を展開、そして年内にも解散が予想されている衆院選では御法氏が秋田3区から5期目を目指して出馬することになっていた。ご本人も支持者らもその準備を進めていたが夢半ばに散った。

 97年に国土政務次官を務めたほか、自民党国対副委員長などを歴任。97年から99年まで自民党県連会長。現在は衆院決算行政委員会理事など。

 豪放磊落、気さくな人柄で人を魅了してやまなかった。マイクを握っても聴衆を笑わせなければ済まないといったサービス精神も旺盛で、2月の新春懇談会でも「小泉総理は余り農業は分からないようなので、一発カツを入れなければならない」などと会場を沸かせながら、WTOでの農業交渉を語ったものだった。ここ1カ月ほど前から体調を崩し、入退院を繰り返していた。