明治の陸羽地震を研修
「先人が残した歴史の教訓を生かせ」と講師の茶谷さん(8月28日・木)
太田町で27日、ふるさと歴史講座「忘れてならない災害〜地震」と題した研修会が文化プラザ「多目的ホール」で開かれた。死者206人、負傷者736人の大惨事となった1896年(明治29年)の「陸羽地震」をテーマに同町在住の森本彌吉さん(県文化財保護管理指導員)とたざわこ芸術村民族芸術研究所長で同町史監修者の茶谷十六さんが講師となって地震災害の怖さを語った。中でも茶谷さんの講演は町史編さん過程でひもといた貴重な文献を基にしたものだけに町民と周辺町村から約70人が関心を寄せて耳を傾けた。
森本さんは「陸羽地震とその被害」と題して千屋断層の沿革などを語った。続いて茶谷さんは「陸羽地震と地域の人々〜編さん作業から」と題して講演。陸羽地震は1896年8月31日午後5時半、真昼山地を震央に発生。マグニチュード7.2の巨大地震となった。この地震で当時の千屋村で死者34人、畑屋村で21人、六郷町で24人など全部で206人の死者を出した。負傷者は736人、家の全壊は4277戸にも上った。太田町も当時は横沢村、長信田村の二つの村からなっていて、死者25人を出している。
茶谷さんはこれら地震被害の様子をスライドで放映しながら同町史編さん過程で解読した長信田村の高貝源十郎村長の「震災被害調査帳」や横沢村・田口與太郎家政日誌などの記録を披露。
高貝村長の震災被害調査帳では亡くなった人の氏名、年齢、続柄、そして死亡原因まで「梁(はり)の下敷き圧死」「ショック死」など詳細に書かれている。一方、田口家の日誌では陸羽地震が発生する半年以上も前の1月9日に「大激震アリ」、翌10日「弱震アリ」と前揺れ、そして8月23日にも「震動激シク」、24日「又地震セリ」と本震を前に揺れがあったこと。さらに陸羽地震と記録された8月31日の後も「鳴動止マス」と記録されているのを読み解きながら「先人の残したこうした記録は後世への警告であり、歴史の教訓を生かした備えとすべきだ」などと訴えた。