故御法川代議士の合同葬

大曲市民体育館で挙行

森前総裁ら1800人参列、別れを惜しむ(6月29日・日)

 御法川英文氏の葬儀前衆院議員で今年4月24日、67歳で亡くなった御法川英文氏の自民党秋田県支部連合会と県田沢疏水土地改良区、御法川家の合同葬儀が29日午前11時から大曲市民体育館でしめやかに営まれた。森喜朗前自民党総裁を葬儀委員長に葬儀は営まれ、多くの衆参両院議員、寺田典城県知事、県内各市町村長、県議、市町村議、友人・支持者ら1800人が参列、故人との最後の別れを惜しんだ。

 会場にはびっしりと花輪、生花が飾られ、正面の祭壇には議員バッチを付け、元気だったころの御法川氏の笑顔の写真が飾られた。7人の導師が入場し、参院議員の金田勝年自民党県連会長が開式の辞を述べた。

 続いて森葬儀委員長が祭壇に向かって弔辞。森委員長は「謹んでご霊前に哀悼の意を表したい。今年3月に入院先を見舞った時に次は小選挙区での選挙になるので何としても元気で戦いたい。それまでは健康を回復したいと言っていた。再び健康を回復し、念願の姿に接することができると確信していた。それだけに67歳の生涯を閉じられたとの訃報に接し、ただ驚がく、驚天動地の思いだった。当選4回という衆院議員として今後ますます活躍を期待される時に一人、天界に身を置くとは誰が想像できたことか。余りに突然であり、心の決別ができない。2度目にお伺いした時ももう一度、選挙に出馬したいと私の手を固く握った。それだけにご本人の無念さはいかばかりか。奥様をはじめご遺族の方々、長く支援された郷里の皆様の悲嘆は筆舌に尽くせないものと思う。どうしてこんな大事な時に立派な人が早く召されてしまうのか。もう少し待ってくれないものかと天を恨む気持ちでいっぱいだ」と悼んだ。

 そして農家の立場に立った政策を中心に「あきたこまち」のブランド化や土地改良、秋田新幹線の実現、観光開発にも尽力したとその政治姿勢を高く評価した。

 続いて綿貫民輔衆院議長が弔詞をささげ、小泉純一郎総理大臣の弔辞が代読された。小泉総理大臣は「御法川先生を失ったことは痛恨の極み。農村が滅びれば、日本が滅ぶと常に農業振興に努力し、農村を政治の力で発展させたいとした気さくで人情味のある政治家だった。秋田自動車道、秋田新幹線の開通に努め、中央と地方との格差是正に尽力した」と賛辞を送った。村岡兼造代議士、寺田知事、高橋司大曲市長らも次々と登壇し、御法川氏との別れを惜しむ弔辞をささげた。

 最後に森委員長が再びあいさつに立ち、「御法川さんは『秋田は米がうまい』『水もいい』『緑も多い』『女性はきれいだ』と自慢していた。そして大曲の花火を宣伝し、党派を超えた国会議員を招待したものだった」とその人柄を惜しんだ。長男の喪主・信英氏のあいさつがあって、読経が流れる中、参列者全員が焼香をささげ葬儀は終わった。

  故・御法川氏は田沢湖町生まれ。大曲農業高校を経て明治大学卒。1975年から県議連続3期務め、衆院選に転向。中選挙区制で定数3だった旧秋田2区から90年2月、2度目の出馬で初当選。小選挙区制となった96年10月の衆院選からは自民党の村岡兼造氏と5年ごとに直接選挙、比例代表へと交代するコスタリカ方式を取り、村岡氏が秋田3区から、御法川氏は東北比例代表に回って当選していた。2000年6月の衆院選でも同様の選挙戦を展開、そして年内にも解散が予想されている衆院選では御法氏が秋田3区から5期目を目指して出馬することになっていた。

 97年に国土政務次官を務めたほか、自民党国対副委員長などを歴任。97年から99年まで自民党県連会長。現在は衆院決算行政委員会理事など。
 豪放磊落、気さくな人柄で人を魅了してやまなかった。マイクを握っても聴衆を笑わせなければ済まないといったサービス精神も旺盛で、2月の新春懇談会でも「小泉総理は余り農業は分からないようなので、一発カツを入れなければならない」などと会場を沸かせながら、WTOでの農業交渉を語ったものだった。