自民党・村岡氏、大曲市で総決起集会
森前総理が応援弁士、「当てつけか」と憤る御法川陣営(10月15日・水)
衆院は10日解散、28日衆院選が公示され、11月9日に投・開票が行われる。秋田3区からは自民党の前職・村岡兼造氏(72)=本荘市=と共産党新人の我妻桂子氏(49)=横手市=、無所属・新人の御法川信英氏(39)=大曲市=が、それぞれ出馬を表明、活発に動いている。衆院選の風を追う。
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14日。自民党は大曲市の平安閣で「自民党演説会・村岡兼造を励ます総決起集会」を開いた。この集会に無所属で出馬表明した御法川陣営は朝からピリピリしていた。「呼ぶ方も呼ぶ方だが、来る方も来る方だ」と後援会幹部はあきれたように毒舌を吐いた。
村岡氏の応援弁士として来たのは森喜朗前総理と中川秀直自民党国対委員長。御法川陣営が憤りを見せたのは森前総理が大曲市に来ると言うことだった。森前総理はこの4月、64歳で亡くなった御法川英文代議士の所属する派閥の領袖。しかも6月29日に行った英文氏の自民党県連との合同葬では葬儀委員長も務め、大勢の弔問客を前に長男の信英氏らと並びながら「御法川家をよろしく」と頭を下げた。
その長男が無所属ながら衆院選に出馬する。それを知っておきながらかつての親分がその地元に来て、敵側となった村岡氏の応援弁士として話す。子息の信英氏を支える御法川陣営が「政治とはいえ、余りにも市民感情を逆なでするようなもの」と当てつけとも取れる村岡陣営の動きに憤りを隠せない。
選挙制度が中選挙区から小選挙区に改正された1996年10月の選挙から村岡氏と御法川氏は5年で交代すると言うコスタリカ方式を取り、村岡氏は小選挙区から出馬。御法川氏は比例に回った。その間、二人は二人三脚を組んで蜜月時代を築き、前回2000年6月の選挙では村岡氏が17万余を得票して圧倒的な強さを見せた。そして今度の衆院選では御法川氏が小選挙区に回る番だった。
しかし、運命の糸はぷつりと切れて御法川氏は黄泉の世界へ。その後継者が注目されたが、自民党県連は御法川氏の死去でコスタリカ方式は解消されたと村岡氏を3区から擁立することを決定。しかし、「雄平仙(雄勝・平鹿・仙北)から政治の火を消されない」と父・英文氏の秘書をやっていた信英氏への期待の声が高まり、信英氏も合同葬での弔辞を通じて「夢半ばで病に倒れた父の悔しさを思うと残されたものとしての責任を感じる。父の意志、果たせなかった夢を後援会、家族と一丸となって成就させたい」と事実上の衆院選への出馬表明。村岡・御法川の〃蜜月〃は一気にヒビが入り、弾けてしまった。そして保守分裂の衆院選という構図となった。
御法川信英陣営では「御法川家には何の説明もなく、コスタリカ方式を一方的に解消されてしまった。その理不尽さを訴える」と対決姿勢を鮮明にする。一方の村岡陣営ではその批判に神経をとがめ「コスタリカ方式は議員同士の取り決め。いずれか事故に遭ったら解消することになっている」と反論。しかし、御法川陣営の言い分に同情を寄せる声も多く、自民党にとってもまた村岡陣営にとっても「一方的に解消した」とされる誤解を解かなければならなかった。
14日の村岡氏の総決起集会。「森前首相来る!」と書いたチラシが大曲市内にほぼ全戸配布され、平安閣での集会には土建業者を中心に1800人もの支持者を集める力をまざまざと示した。そして中川国対委員長は「コスタリカは現職が二人の時に一人は選挙区へ、一人は比例に回って党の議席を守るという制度で、御法川さんが亡くなったと同時に消滅した。御法川氏の子息との関係で誤解があるようだが、現職と新人との間にそれを使うわけには党の規則からもできない」とコスタリカ解消の正当性を訴えた。
続いて森前首相も「御法川氏から生前、体が辛いのでもう一度、比例でやらせてもらいたい。選挙区は村岡先生にお願いしてもらえないか」との申し出があって、村岡氏も「何よりも体を大切にすべきだ」と快諾したと紹介。そして「御法川さんの子息にも村岡先生が選挙区に回る事は二人の約束であり、村岡先生を相手に選挙に出るのは人の道に外れることだ」とも批判した。
この日、仙北郡内の幹部会を開いた御法川陣営は「森前総理を呼んで、我々の動きをつぶそうとしているのだろうが、結束力が却って高まった」と意気軒昂。後援会幹部は「今度の戦い。結果を恐れず目標を持って進むことだ。その目標とは雄平仙から政治の火を消してはならないということだ。相手は大物だが、信英という若い世代を伸ばすためには戦うしかない」と唇を噛みしめた。
一方、保守分裂の選挙戦に埋没しそうな共産党の我妻氏は「経済大国なのになぜ生活はこんなに不安なのか」などと女性の立場から毎日、街頭に立って演説をこなし、浸透を図っている。14日は町長選・町議選の告示間近な中仙町で同町議とコンビを組んで街頭演説をした。