南外村の伊藤さん、貴重な体験を本に
「東満における戦塵録と抑留体験」=極寒の地で苦しんだ7年(9月24日・水)
南外村字下湯ノ又、伊藤四郎左衛門さん(81)はこのほど「東満における戦塵録と抑留体験 回想─満州シベリアに眠る戦友に捧ぐ」を出版した。伊藤さんは21歳の時の昭和17年(1942年)1月10日、現役兵として千葉県市川市国府台東部73部隊(野戦重砲兵)に入営。厳しい訓練を受けた後、同年4月10日、零下40度の極寒の地、満州(現・中国)東北部の日ソ国境牡丹江省へと派兵された。そして敗戦による旧ソ連への抑留体験を含め、7年の歳月を零下40度の極寒の地で飢えと寒さに苦しみ、着の身着のままの極限状態で奇跡の生還を果たした。
この春の連休で里帰りした東京の二人の息子さんから「その貴重な体験を書いて、後世に残すべきでないか」と勧められ、記憶の糸をたぐり寄せて5月から二カ月かけて執筆。息子さんの一人は出版社に勤務していて、父・四郎左衛門さんから受け取った原稿を基にA5版86ページの本にして150部出版した。
本は北海道から大阪にいる戦友や村の友人、村の図書室、それに国立国会図書館や県立図書館、大曲市の大曲図書館などに寄贈した。
前書きで伊藤さんは「今思えば想像もつかない過酷な体験であり、筆舌に尽くしがたい苦痛と苦闘の連続であった。満州国境における戦闘、戦友の死など、また極寒の地から九死に一生を得て生還できた事は、誠に奇跡と思っている」と振り返る。戦塵録は軍隊編と抑留編、回想編の3部構成。体験に基づいての記録だけに一気に読ませ、戦争の残酷さ、平和の尊さが身に染みる。
「不思議なもので本当に怖いと思った体験は今でも夢に出るほど覚えているが、ほかはなかなか思い出せず書くのに苦しんだ」と伊藤さん。その恐怖の体験は終戦直前の昭和20年8月9日。ソ連軍が突然、国境を突破して進撃を開始した時だった。「敵の戦車T34はまるで家一戸が動いているような大きさだった。それが驀(ばく)進してきた時の恐怖はなかった」と伊藤さん。しかし、伊藤さんの大砲大部隊に射撃命令が下り、敵戦車への射撃が始まる。ソ連軍のミグ戦闘機の機関砲に襲われたこともあった。オオカミに囲まれ震え上がった体験もある。
武装解除後、シベリアに抑留され、重労働と寒さ、そして栄養失調で倒れ、多くの戦友を失った。「凍結した遺体を棺に入れ埋葬する。雪をのけツルハシで穴を掘る。時間はかかり、簡単ではない。土をかぶせて、葬式もなく、埋葬される。墓標はない。祖国のため日夜、生命をかけてきた関東軍の戦士の果てが、墓標なき墓となっている。私の目から涙が止めなく流れるのを抑えきれなかった」と伊藤さんは抑留編で書く。
3年4カ月の抑留生活を終えて昭和23年11月、7年振りに故郷の地を踏んだ。しかし、待っているべき母は伊藤さんが帰国する3年前に45歳の若さで病死していた。「毎日、毎日、帰りを待っていた」との報告に伊藤さんは号泣する。「出征の時が最後のお別れであった」と。
帰還した時は29歳だった。間もなく妻を迎え、農業一筋の道を歩み、3人の息子さんを育てた。今、自宅で妻と息子さん夫婦、それに孫の5人暮らし。「戦争は二度と再び起こしてはならない。この平和を大事にしたい」と伊藤さん。戦塵録についての問い合わせは伊藤さん宅へ(0187─74─2668)。