太田町史資料集第12集を刊行

通史発行に町民から多くの資料提供

天保の飢饉など貴重な古文書を解読、まとめる(4月20日・火)

 太田町の町史編さん室では「太田町史資料集 第12集」を発刊した。同町では市町村合併を前に町の歴史をまとめたいと03年4月から5カ年計画で「通史」と「写真集」の刊行を目指している。これまで「郷土史資料集」を全11集まで発行してきたが、通史発行のため町民に資料の提供や協力を求めた結果、町内20数軒の旧家から8480点余りの貴重な古文書が寄せられた。その中にはこれまでの郷土資料集で紹介されたものもあったが、多くは初めて公開された資料だった。

 このため12年ぶりに新たに12集として資料集を発行することにした。古文書は通史監修者の一人として全面的に協力している田沢湖町たざわこ芸術村の「民族芸術研究所」の茶谷十六所長が分類、整理、解読に務めた。また、郷土史研究家の黒沢三郎さん(仙北町)、鈴木正吾さん(太田町)、佐藤好攻=よしたか=さん(西仙北町)、高階敦さん(千畑町)も解読協力者となって読み合わせした。そしてただ古文書をそのまま印刷するだけでなく、現代の人も読みやすいよう句読点を入れるなど工夫も凝らした。

 同時に提供された文書資料を一点ずつ保存用の封筒におさめ、詳細な目録も作成、さらにコンピューターでデータベース化もした。

 監修した茶谷さんは「現在の太田町を構成する旧太田村・中里村・国見村・斉内村・横沢村などに生きた人々の暮らしや地域の様子がありありと浮かんで来る。山懐に位置した関係から農業用水の確保には大変な困難があったようだ。また多数の地方給人(地頭)が存在して、複雑な土地支配が行われたこともこの地域の大きな特徴で、その実態が豊富な文書で詳細に解明される可能性がある」と記している。

 資料集には天保3年(1832年)から同5年までの大飢饉発生の様子を「時ニ稲出揃への所、7月23日(現在8月18日)の朝の寒さは、綿入れを着るような事となり。奥北浦、玉川、田沢、生保内などは霜に降られて稲は白枯れしたとのうわさが流れている」と記され、真夏でも綿入れを着なければならないほど寒くなったと語っている。そしてその資料を書いた著者は天保4年(1833年)に庄内早稲という稲を植えるが「私らは一円に庄内を植して誠大作負け(大被害)となった。百姓は百品植えるべしと昔の人は言ったがその通りだった」と1品種に絞った田植えの失敗を反省し、さらに「豊年の節は、ほしいや麦・ソバなどを貯めて置くべし」と飢饉に備え非常食を常から準備しておくよう子孫に伝えている。

 資料集は200部だけの印刷だが、町史編さん室では近々、CD版も発行したいとしている。このほか来年1月に向けて明治から現代までの学校と暮らし、町の歩みなどをテーマにした写真集、さらに市町村合併が実現する05年の太田町の動きを1年間、写真で記録する「2005年太田」の写真集の発行。そして06年度をめどに最終目標となる「通史」の発行を目指す。