子どもの自立を考える集い

フリースペース To Be主催

登校拒否文化医療研究所の高橋所長の講演から(1)=12月28日・火=

  大曲市のボランティアグループ「フリースペース To Be〜共に生きる会〜(事務局・日本キリスト教団大曲教会・横井伸夫牧師)」主催の「子どもの自立を考える集い」が26日、同市の中央児童館で開かれた。講師で登校拒否文化医療研究所の高橋良臣所長は「自分づくりとしての進路に向けて」と題して講演。不登校の子を持ち、出席した親たちは熱心にメモを取りながら、高橋さんの講演に耳を傾けた。講演の前には個人面談も行われた。2回にわたって講演内容を掲載する。

【自分つくりと自分探し】……混乱する思春期
  「自分探しをしても本当の自分がサッパリ分からない」と困惑する登校拒否・不登校ん子どもにしばしば出会います。

  大人でも「本当の自分」について把握していたり理解している人は少ないか、いたとしてもごく少数です。対人関係の相手や環境により、状況の変化によって、自分自身の心模様は変わるからです。いつも変わらない普遍的な自己を求めるとしたらそれは無意識の世界だけの話でしょう。あるいは原則論的な信仰の世界の話でしょう。哲学とか宗教とか心理学とか、そのような切り口ではなく、もっと日常的な現実的な社会で、自分探しに疲労してしまう登校拒否の子どもは多くいます。理由は、それまでにまだ多くは学んでいないし、経験もそれ程は豊かではないからです。

  1.自分づくりに必要な遊びと学び
  自分づくりに大切な内容は「遊び」と「学び」(ここでは学校などで行われる狭い意味での学び・学習)です。まずは遊びが大切です。

  遊びは日常生活で同世代の子ども同士で体験しています。遊びから学ぶこと(広い意味での学びで、自分自身の身につく経験などのこと)は多くあります。遊びを介して人間成長の基礎が生まれます。(1)物や気持ちのやり取り(2)相手との関係で持ちつ持たれつの相互関係が理解でし(3)同世代間の共同意識が生まれ(4)間違いや失敗に関する許しや許されることの大切さが分かり(5)自分にとってはその相手がどれ程、重要かを体験的に学びます(6)そして自分が社会的にはどれ程重要かも理解します。

  学校などの学びに関しては、今日的な社会環境の中では「自分づくりのために」という主題から「進学のために」という副題が付けられています。今や副題が主題に取って代わっている感があります。進学が自分づくりにとって大切な一要因であることは分かっていても、学校の学びが進学だけのために行われてしまうと「自分づくり(人間形成、人格形成、人間成長)」という最大の目的・目標が見失われる可能性があります。

  学業成績が良いことと人柄が良いこととは全く別次元の問題です。が、一般的には「勉強ができる人は人格も優れている」ような誤解がまかり通っています。世間一般では学業成績の良さは「自分づくりの賜物」であると評価する傾向があります。「学業成績を良くしたい」欲望が強い人にとっては、その目標達成のための努力は、人間形成に何らかの影響を与えます。仮にその成績を良くしたいと言う欲望の根底に「人からばかにされたくない」「相手よりは上位にいたい」「人には負けたくない」「相手を見返してやる」ような思いが強くあれば、何ら人間成長とは無関係の拝点主義に終わってしまいます。学習する努力の中身には社会的な自己の価値観獲得のためにとか自己成長のためにという目標が必要です。個人的には「自分のやりたい仕事のため」とか「今の社会をより良くするために役に立ちそうだから」という理由(目的)も重要です。

  今日の学校での学びにはこのような単純で純粋な社会的目標や大義の大部分が見失われている傾向があります。理想的な学校での学びは自己の心の成長につながるはずです。同時に学んできたことを進展させ、社会的に活用する大義という目的があります。そのようになりにくいのは学校や社会に歪みがあるからです。国際比較で学力が落ちていると騒がれているが、あの程度のことでそうあわてる必要はないと思います。

  学び体験が自分づくりや社会(関係や環境)づくりとは結び付かない事態は不幸としか言いようがありません。なぜなら学んできたことが自分探しをする時に、現実的な貢献をしない無意味なものになってしまうからです。

  2.自分づくりに必要な身体づくり、健康づくり
  何はともあれ健康であれば社会参加は可能です。健康であるためには、その人の身体機能維持や増進のために、適正な食生活と程よい運動が必要です。一般的にも今日この両方とも(食生活と運動)が崩れる傾向にあります。特に登校拒否の子どもたちで適正な食生活を送っている子どもは極めて少数です。身体機能を理解して程よく身体運動の努力している子どもに至ってはほとんどいません。かかわる人は今後は大切にして下さい。

  社会参加している若い人の多くは、自分の身体づくりに関して「恰好いい身体」にしたい欲望が強く、健康とは無縁の外見にとらわれてしまいがちです。自分の生きる目標にかなう身体づくりではなく「誰の目から見ても恰好いい身体」を持ちたいのです。自分づくりの一環には違いないのですが、身体づくりの価値観が社会的に生きる目標から外れています。

  男子ならむやみに「筋肉づくり」に熱中します。女子なら「ダイエット」に熱中します。日常性や社会性とは無関係な不自然な身体に改造しようとします。これは本来の健康目的の自分づくりとは無縁です。一部の偏ったマスコミなどの宣伝により「美しくなければ生きる意味がない」気持ちにさせられる子どもは少なからずいます。自己の健康づくりに必要な食生活を歪めてまでも「筋肉づくり」や「やせたスタイル」づくりに腐心する子どもは後を絶ちません。そのためにサプリメント依存をする子どもも多くなっています。これは子どもだけの話ではなく、多分に親の影響もあります。極めて少量のカロリー値が低い野菜ばかり食べていて、日常生活の寝起きもままならない子どももいるほどです。そういう子どもの多くは「他の栄養素やカロリーはサプリメントで補っているからいい」のだそうです。人間としての消化吸収機能や生理機能が低下することも恐れぬ暴言です。まさに他人に良く見られるためには手段を選ばないという暴挙で、歪んだ自分づくりです。

  3.ほとんどの子どもはたった一人で自分づくりをしようとしています。特に登校拒否の子どもにはその傾向が強くあります。私たちは自分づくりをする上で、対人関係から獲得できる内容は必要不可欠です。その対人関係なしで一人で「テレビを見たり本を読んで自分づくり(探し)をする」「パソコンで自分づくり(探し)をする」子どもはかなりの数に上ります」。生きている相手ではなく、限られた画面や文字数の中に描き出されたり書かれた内容で自分づくりをするのは無理があります。

  作者たちの多くは人生の達人といわれるような人々ですが、本来誰もが自己の人生に限っていえば人生の達人です。その自己の人生の出来事についての検討抜きで他者の人生から何かを得ようと言う安易さは自分づくりの障害になります。しばしば「あの人の生き方を盗む」という言い方をしますが、その人の出来事はその人の限定版なのです。なぜなら周囲の環境や関係は個々によって全く異なるからです。

  自分とかかわる人々は自分の環境でもあります。かかわる人々を求めてこそ自分づくりが始まります。関係から学び、環境から学び、自分づくりの足しにします学校や地域がうまく運営されていれば自分づくりには最高の環境となります。しかし、うまく運営されている学校や地域がどれ程あるでしょうか。最終的には親自身が自分づくりの手本を示して下さい。自分づくりの基本は自分を大切にする生き方哲学です。自分を大切にし(愛し)人も大切(愛す)ことの積み重ねが自分づくりです。

【自分づくり、自分探し】……1
  最近「自分が何をしたらいいのか分からない」思春期や青年期の人々が増えています。また「何をしたらよいのか分からない」人たちもいます。

  さらに「自分は何者でしょうか」「私はどんな人ですか」という質問もしばしば受けます。そういう人に「今まで何をしてきましたか」と聞くと「自分でしてきたことはありません。全部やらされてきたような気がします」と答える人が多く、心の満足感が欠けていることを伺わせます。誰にやらされてきたかと言うと、親や教師にやらされてきたというのです。

  A.自分づくり
  不登校の子どもたちの多くは前述のように「これからどうしたらよいのだろう」という思いに悩みます。自分ができることは何かと、自分がやりたいことは何かという検討をしようにも、できることも、やりたいことも見つからないといいます。「やりたいことが見つからない」という自分の意識の範囲で考えることや気持ちの範囲で検討できるはずのことが、全くできないのは困ります。「何かをしたい」気持ちはその状況の中に発見できるはずです。誰にでもあるはずです。「何もしたくない」という気持ちは状況のなかにいる自分の混乱から起こるのです。

  しかし「何かをしたいのにしたいことが分からない」とか、「したいことが見つからない」という人はいるかもしれません。

  「元気で活発で明るく勉強ができる子どもは良い子である」と親や教師からは昔から言われてきました。子ども同士の世界でも「明るく楽しい子は良い子」という固定観念があります。「明るくしていなければみんなから外される」恐怖の現実もあります。「あれは自分の意思でやってきたことではなく、親とかみんなからやらされてきたことだから、仕方なくやっていただけであって心には満足感がありません。だから自分には無意味です」といいます。

  自分自身の問題に直面できなかったのです。「自分は何もしてこなかった」という思いに支配されてしまいます。

  多くの子どもたちは「昔はやりたいこともあったけど、自分がやりたいことをしなかった。そのわけは、親や教師やみんなに好まれるようにするためには自分の問題に直面している暇はなかった」ことを悔やみます。

  そのやりたかったことや問題を今、取り組んでも一連の進路指導の中で「そのような道は間違った道」であるという先入観を持たされてしまっています。「そんなことは後でいくらでもできる」という説得によって、自分の意欲を撤回する子どもは多いはずです。子どもの進路にかかわる人々の間では「偏差値が高い進路に進むことこそが正解である」という思いが強く「偏差値に関係なく、自分がやりたいことができる道を選ぶことは危険である」という思いが支配的であることは否定できません。

  そうなると子どもたちの多くは、自分の気持ちとは無関係な進路を歩みます。自分の可能性や問題に触れないままの進路を歩まされるのです。子どもが自分の問題に直面することは人間成長の上で、たとえ受験の学年であっても大切です。受験する学校においても単に教科の学習の評価だけで合否を判定するのではなく「今まで何をしてきたか」「この学校で何をしたいのか」「今の自分はどんな自分か」を理解していることも合否の判定に加える方が、今よりはましな入試になると思います。

登校拒否文化医学研究所のホームページは下記から。

http://www.asahi-net.or.jp/~pr8y-tkhs/index.htm