子どもの自立を考える集い

フリースペース To Be主催

登校拒否文化医療研究所の高橋所長の講演から(2)=12月30日・木=

 【自分づくり、自分探し】……2
  自分づくり、自分探しをしていく上で大切な前提となる価値観は、ことの「善・悪」、「正義・不正義」、「安全・危険」、「服従・反抗」などの価値観が重要です。しかし、登校拒否・不登校の子どもはもちろん、登校している子どもたちの多くは、前提価値観として「好き・嫌い」の価値観が何よりも最優先されています。そして「快・不快」が次ぎにくる価値観です。これは社会通念的な「良い・悪い」という価値観と隣接していますが、登校拒否・不登校の子どもをはじめとして、現代社会で生活している思春期の子どもたちには、善悪の価値観とは統合しにくい価値観となっているようです。

  その背景としては、子どもの自主性や主体性を大切にするという育児書の影響もあります。幼いころから「あなたの自由にして良い」のだという親たちの育児方針によって、好き嫌い価値観だけが突出して肥大しています。

  社会生活を送る上で大切な価値観は「個人の自由」という名目のもとに否定される場合もあります。さらに付け加えれば「楽」か「難儀(過酷)」かが重視されます。快適で、面白くて、楽なことなら、例え悪いことでも実行してしまう子どもはいます。正しいことや良いことであると分かっていても過酷な試練があったり嫌いなことならやらない選択をする子どもは多くいます。

  講師の高橋さん(左)と横井牧師(右)理由として「暗い」「面倒臭い」「真面目っぽい」という一言の批判で、すべてを片づけてしまいます。これでは積み重ねを必要とする試練は成り立ちません。自分づくりは試練の積み重ねから成り立ちます。

  A.学ぶということ……自分づくりの前段階
  多くの登校拒否・不登校の子どもたちが学ぶ体験においてつまずいていきます。その理由はそれまで、家庭で「勝手気まま」に行動し、「好き勝手」んことで日常生活を送ってきたのに、学校では集団のルールを教えられ、係の役割も担当させられ、好きでもない学習もさせられるからです。

  多くの子どもたちは「なぜ集団のルールがあるのか分からない」ままに、学校生活を送っています。具体的なルールの背景が余りにも現実の学校生活と馴染まない場合は、子どもたちは混乱するばかりです。同時にルールの意義を説明されていない場合も混乱は起こり得ます。集団のルールに関しては「常識だ」というだけでは済まされない部分があります。そのようだと規則嫌い、集団嫌いの根源になる可能性があります。

  教科の学習を教える教師の人間性にもよりますが、教科の学習云々よりは、教える教師の人間性とか人格の好き嫌いに影響される子どもの方が多くなっています。嫌いな教師が教える科目ならば例え、それが自分にとって大切な科目であっても放棄してしまう子どもは少なからずいます。嫌いな教師が教えている科目ではあるけれども、自分の将来にとっては大切な教科だから「学ぶ」という姿勢を、自分の気持ちの中から導き出すことは大切です。しかし、今日的な子どもの価値観においては人から「学ぶ」姿勢の獲得が困難な状況に陥っています。

  人から「学ぶ」姿勢は受け身です。親たちの中には受け身の生き方、そのものを否定する親も中にはいたからです。「人に聞いてばかりいないで自分で調べなさい」といったことはしばしば耳にします。しかし、方法論を知らない子どもの場合は、自分で調べようにも調べられないのです。

  あるいはせっかく学んでも、周囲から何ら評価されずに、できが悪かった部分だけ修正されるように要求された場合、子どもの側には「せっかく学んでも何にもならなかった」思いが支配的になり「もう、学ぶことはやめたい」という気分を引き出してしまいます。

  反対に、親や教師が「このようにしなさい」「こうしたらだめですよ」「このようにやらなければならない」など手取り足取り、精密機械の運転や操作のように指図した場合、子どもは親や教師の指図や命令に従うことに疲れてしまい、緊張し、疲労し、無気力になってしまいます。

  今日の教育環境は子どもの心を育てるのに最適というわけにはできていません。個性に合う試行錯誤が行われていく必要性を感じています。子どもたちが「教えられること」に抵抗を感じ、「学ぶこと」もできにくくなっているからといって、学校を悪者にして「学校教育が悪い方向に向かっている」とは言えませんが、学校教育においても修正は常に必要です。

  B.自分づくり中身
  自分づくりは学ぶことから始まります。教える側と教えられる側とのかかわり(関係の継続)が重要になります。このかかわりの間に生じる感情形成が良い感情の方向に向かわない場合は、学ぶことに懲りてしまう子どもも出てきます。学ぶことの中身は何かというと、子どもの側の欲求からいうと「楽しいこと」「好きなこと」「役にたつこと」「楽なこと」「快感が得られること」が優先されます。

  しかし、学校教育の教科の中からは「楽しい」「好き」「快感」「楽なこと」は抜けています。「役に立つ」という概念は、間違いなくあるのですが、それは「近い将来役に立つ」のではなく「受験の時」や「遠い、いつかに」役に立つかもしれないのであって、子どもにとっては「余りあてにならない」シロモノなのです。なぜなら自分が学校教育で教えられたことを使うような仕事に就くかどうかも分からないからです。

  「無駄なことはしたくない」のが人情です。子どもが現在、楽しんでいる現在進行形の遊びが、将来の自分の社会性につながることなど、子どもには到底知るよしもありません。まして、現在学んでいる教科の学習が将来、どのように生かすことができるのかはいくら親や教師が説明してもスッキリと受け入れることは困難です。本当の教育は今起こっていることを様々な角度から検討する思考方法を学ぶことにあるのですが……。

  本当は試行錯誤を子どもの側にも体験していかなければなりませんが、失敗をさせないような教育体制では試行錯誤のしようもありません。もともと面白くはなく、楽でもなく好きでもない可能性が高い教科の学習に子どもの関心を向けることこそが、教育者の努力ではないでしょうか。

  そして何よりも学校教育現場は単なる教科の学習の場だけではないという認識を持たなければなりません。

  ほとんどの子どもが学校で友だち関係を獲得しています(92.2%)。地域で友だちを獲得することはまれです。そうなると自分づくりや自分探しの対象としての対人関係には、学校はなくてはならない存在となります。

  自分づくりには対人関係も大切な要因であることはいうまでもありません。対人関係で学ぶことは多くあります。対人関係においても「善・悪」「正義・不正義」「安全・危険」などの基本的な価値観は同様に必要です。思春期までにはこのような価値観はできていても良いのですが、現代社会の子どもには未完成な子どもの方が多くいます。成熟した大人がこのような子どもの状況を理解して、心の成長にかかわってほしいものです。

登校拒否文化医学研究所のホームページは下記から。

http://www.asahi-net.or.jp/~pr8y-tkhs/index.htm