「オラほの横荘っこ」出版
通学列車として懐かしさがいっぱい(12月31日・金)
「北丹鉄道─河川敷に消えた小鉄道─」など日本国内の鉄道とその車両、路線にスポットを当てた「RM LIBRARY」シリーズの第61巻として「羽後交通横荘─オラほの横荘っこ」が(株)ネコ・パブリッシングから出版された。著者は交通史研究会(日本学術会議登録学術研究団体)会員の若林宣さん(千葉県柏市)。若林さんは昨年11月、シリーズ第52巻として「羽後交通雄勝線─追憶の西馬音内電車─」を上梓している。
地元の人たちに「横荘っこ」と呼ばれ、親しまれた羽後交通横荘線は1914年(大正3年)、有力資本家らの出資で当時の横手町(現・横手市)と由利郡本荘町(現・本荘市)までの約55キロを結ぶ「横手鉄道」の名義で鉄道敷設の免許申請が出された。しかし、本荘までの延伸は未完に終わり、横手から沼館、館合、羽後大森、二井山、老方までの38.2キロの鉄道として線路が敷設された。
発足当初は米を中心とした多くの貨物と旅客輸送として栄えたが、昭和に入ると自動車輸送との競争で営業は不振に陥る。1925年(大正14年)までの旅客数は40万を下らなかったが、1938年(昭和13年)は20万程度に落ち込むほどだ。
戦後も経営難にあえぎ、バス事業が順調に伸びる一方で、鉄道部門は赤字が累積するばかりの惨憺たる状態が続く。しかし、横手市内の高校に通う高校生の通学の足として横荘線はなくてはならない鉄路だった。
経営難に追い打ちをかけたのが館合─羽後大森間の雄物川鉄橋が1965年(昭和40年)7月9日の集中豪雨で橋脚が洗堀され、危険な状態となったことだ。これによって館合以遠が運休。さらに翌年には橋脚の一部が倒壊し、会社にも鉄橋復旧の資金力はなく、館合─二井山間は営業停止となる。加えてトヨタカローラが発売された1966年(昭和41年)は「マイカー元年」と呼ばれ、公共交通機関とマイカーとが対峙する時代となって羽後交通も鉄道経営に見切りをつけざるを得なくなった。
1971年(昭和46年)7月19日午後8時10分、ブラスバンドの奏でる「蛍の光」に送られて最後の沼館行きの列車が出発して横荘線は廃止した。
著者の若林さんは「雄勝線について調べ始めた時、横荘線もまた、地域の人にとって忘れ難い大きな存在であったことに気がついた。なるほど地元の方々の、まさに人生を運んでいたのである。その存在が、喜びや悲しみと共に思い起こされるのは当然であろう。そう考えると、好奇心という名の私の中に住む虫が、むくむくと頭をもたげてくる」と前文で記している。
冬。車内に設けられた火鉢にあたりながら暖を取る乗客の姿。深い雪を掻いて走る広幅雪掻車の写真など貴重な写真、資料もいっぱいだ。
「羽後交通雄勝線─追憶の西馬音内電車─」同様、表紙の写真や資料写真の一部は鉄道マニアとして中学生のころから奥羽線のSLや羽後交通横荘線・雄勝線の写真を撮っていた大曲市の会社役員・伊藤一己さん(50)が提供した。若林さんとは雄勝線サイトの掲示板で知り合い、写真提供の依頼を受けたと言う。
本は税抜きで1000円。全国の書店で販売しているが、電話やインターネットでの通信販売も行っている。電話は03─5723─6013へ。オンラインショッピングは
雄勝線サイトと伊藤さんのホームページは下記へ。