フリースペース トウービー主催
登校拒否文化医療研究所の高橋所長の講演から(1)=1月27日・火=
大曲市のボランティアグループ「フリースペース トウービー(事務局・日本キリスト教団大曲教会)」主催の「子どもの自立を考える集い」が25日、同市の中央児童館で開かれた。講師で登校拒否文化医療研究所の高橋良臣所長は「思春期・青年期の人々への親や教師の関わり方」と題して講演した。3回にわたって概要を報告します。
【過去の体験が身に付かない子ども】
登校拒否・不登校の子どもたちと生活を共にしていて、彼らの中には過去の体験が現在の状況に応用できない子どもが多くいることに気がつきました。瑣末(さまつ)なことですが、集団生活をしていると食品衛生には気を使います。そこで「洗った食器は流しで使った水が飛散することもあるから、器の内側を流しの反対側に向けて置くと清潔だ」と教えます。しかし、何回教えても実行できる子どもは少数です。親が使っていない部屋の電気を消すように教えても、できないことと似ています。人から教えられた「やらされ体験(不快な体験)」であって、自分から積極的に「より良くしよう」という気持ちの「やりたい体験(快い体験)」ではないからです。子どもの場合、相手から注意されると不快な体験になってしまいます。それとは別に登校拒否などの生活では、心に負荷がたくさんあります。子どもにとって不都合な状況の中では、自分が体験してきた過去の出来事を応用して、新しい場面に適応していけるように、今までのパターンを変えることは困難なのです。
人間には「快」に関しては良く記憶するシステムが備わっています。楽しいことや快いことや気持ちが良いことなどは良く記憶し、言動化しやすくなってます。登校拒否に陥ってしまった子どもたちの多くは、過去に素敵な快い体験があったとしても、不安が多い登校拒否期間中にその「素敵な記憶」について思い出すことはほとんどできなくなります。その代わり「不快な体験」ばかりを記憶の中から思い出してきます。現在の登校拒否という不利益で不快な生活と連鎖している可能性があります。
言い換えれば過去の記憶の多くは、今、起こっている状況に呼応連鎖する可能性があるということです。ただし、不安が強い人の場合には呼応連鎖が負の体験の方向に連鎖し、嫌な思いばかりが浮かび上がってくるのです。快かった思い出は記憶の中からは現れにくくなっています。
1.記憶はしているけど、思い浮かばない。
登校拒否をしている子どもたちの多くは記憶力は抜群に良く、知的レベルも高く、本格的に学習に取り組むと、かなりの好成績を獲得します。また、好きなことで自分から取り組み始めた学習などに関しては、専門家も顔負けの知識を持っています。そのような子どもであっても、前段で述べたように過去の良い体験を生かして、現在起こっている嫌な現実の課題を克服することは困難な状況に陥ります。
これはテレビばかり見ていたからとか、マンガばかり読んでいたとか、ゲームばかりしていたからというだけでは十分に説明できません。そのようにしていなかった子どもも、似たようになっているからです。テレビもマンガもゲームもあまり好きでない子どもでも「考えがまとまらない」し「思い浮かばない」状態になります。生活体験にしろ学習にしろ遊びにしろ、それぞれの部分部分の記憶量はかなり多いのです。が、現在起こっている場面に適応できるように過去の記憶をまとめることには困難を極めています。良い方向とか快いことへの希望が十分には持てません。
彼らの多くに共通していることは幼いころから「友だちとはあまり遊ばなかった」事実です。特に「外遊びはほとんどしなかった」子どもが多いのです。そこで考えられるのが多様な場面に対応できるような神経伝達システム形成の問題です。家遊びなどで獲得できる単純な神経伝達システムはできていても、外遊びなどを通して獲得できる不規則で多彩な神経伝達システムは十分な発達を遂げていなかった可能性があります。もう一つの可能性は「快」「不快」にかかわる神経伝達システムの内「不快」システムが体験上発達している可能性です。生理学、神経学的理解では反復して良く使う神経伝達システムは発達すると考えられます。同様の理由で大脳前頭葉連合野といわれる組織が、機能しにくくなっているという人もいます。これは過去の体験している数々の記憶の関連付けができるかどうかにかかわります。いずれにしろ同世代の子どもとの外遊びは大切なことです。
2.体験不足
世間では登校拒否の子どもの体験不足を指摘する人がいます。確かに身体を動かして覚える体験という点では不足しています。したがって次々に起こってくる場面に、習慣的に反応するような適応の仕方は登校拒否の子どもにはできにくいのです。たとえば学校の朝礼などのような儀式に関しては、他の子どもたちよりは体験回数ははるかに少なく、どういう場面で礼をしたらいいのか混乱する場合もあります。明らかに体験不足です。
信頼している母親や、信頼している(年上の)人に依存していく傾向があります。甘えるわけです。そうしなければ自分が所属する社会から外されるという予感(イメージ)があるからです。体験不足はイメージだけの世界に没頭しやすい状況を作ってしまいます。このような状態からイメージによる不安(予期不安)も強くなります。実際の体験よりはイメージの世界に親しみを感じる傾向が、登校拒否の子どもにはできやすいのです。
3.気持ちがコロコロ変わる
登校拒否の子どもの言い分はコロコロ変わります。時間ごとに変わる場合もあるし、朝晩ごとに変わる場合もあります。日曜日には元気でも、月曜日には不機嫌なことはしばしばあります。
誰でもそうですが、自分の心が混乱している状態では過去の体験を現在の状況に合わせて、その場面に適応できるように調節することはできにくくなります。考えがまとまらない状態です。一つのことを考えようとしていても、次々に起こる不安に圧倒されて、結局は考えがまとまらなくなります。過去の体験していて分かっているはずではあっても「良くわからない」結論に達します。
このような状況になる二つの理由があります。一つ目は人間の心がもともと流動的だからです。心の奥底を占めて日常は表に現れてこなかった気持ちも、特別な状況や関係や環境のもとではふと、表に現れてくるのです。そうなると昨日決めたことでもぐらついたり迷ったりするのです。二つ目は登校拒否の子どもの多くは、限られた閉鎖空間にいて外部刺激がほとんどない状態に置かれます。しかも長時間対人関係がない状態です。さらに区切りがない生活時間を送っています。そのことによって起こる人間の反応は「現実思考能力」の低下です。考えても「分からない」状態です。どうしたら良いのかも分からなくなります。自分がどうしたらいいのかも不鮮明になってきます。
このような状態の子どもには批判や反論や否定は禁物です。子どものその通りの苦悩を受け止めて、それから対人関係に目を向けていくことが大切です。一人で生活時間に区切りをつけさせるようなことは無理です。それよりは対人関係を復帰できるように援助する方が大切です。
【葛藤する子ども、葛藤しない子どもの違い】
最近、登校拒否・不登校をしている子どもが「葛藤しなくなった」と言われています。特に教育相談にかかわる臨床心理士や養護教諭からそのような声が聞こえてきます。多分事実だと思います。私の心の相談室にも「うちの子はちっとも悩んでいないようです」という親が相談にきます。そのような親の多くは「前に通っていた相談室の先生からは『登校刺激』はするなと言われていました」と言います。とにかく学校のことは口にしない生活をさせていた親は多いようです。「余計なことは言うな」と言われ、日常的な会話もほとんどしないままに長い期間が経過してしまったという親もいました。一方で、学校のことばかりを気にして悩む子どももいます。教師や友だちが訪問していたり、親たちが学校のことを頻繁に口にすることがあるからです。
ここではどちらが良いとか悪いという論争はしません。どちらにも一長一短があるからです。ある時期には学校のことに触れず、静かにしておいてあげた方が良いし、ある時期には学校のことには触れた方が良いのです。長期化してしまう子どもの場合、全期間にわたって周囲のものがいつも登校刺激をしていたか、あるいは周囲のものがほとんど学校のことについて触れなかったかのどちらかです。
1.葛藤しない子ども
葛藤しない登校拒否の子どもの増加は「登校刺激はするな」という流行と平行して増加しました。登校刺激をすることによって家庭内暴力が引き起こされる場合が多かったこともその一因です。また、子どもの心身に負の反応が顕著に現れてしまったことも原因していると思われます。
登校刺激をしないと子どもの心は平穏になります。子どもの気持ちを穏やかにするのは当初には必要なことです。子どもの気持ちが安定してもそのまま、学校のことには何も触れない場合、子どもが自発的に登校できるような精神的成長を遂げていれば問題はありません。または周囲の状況や環境や関係が、整っていれば子どもは自発的な登校を果たします。
「友だちがいる学校へ行きたい」という気持ちは、関係性が整っている子どもの場合です。「何もやることがなくて死ぬほどつらい(こんなことばかりしていてもらちが明かない)。学校へ行けば何かやることがある」という思いは新しい状況を求める気持ちから生まれる場合もあります。「家にいても誰もいなくなってしまい寂しい。このままだと行き詰まってしまう。少し環境を変えたい」という気持ちから登校する場合もあります。
もちろん精神的に成長している子どもなら、気持ちが安定すれば「自分がやりたいことのためなら少々の困難は克服しよう。たまには学校へ行ってみようか」という意欲も出てきます。
しかし、仮に周囲に「学校なんか行かなくていいんだ。あんな所へ行って悩むなんてばかばかしい。それよりあんたがやりたいことをしていればいい」という者がいたら、子どもは何も悩まなくなり、そのまま家で好きなことをしてしまいます。社会体験が十分でない子どもの場合、後々の社会参加が困難になることが予測できます。理由はA.学校という組織での対人関係の体験が十分にはできていないから、社会生活を営む上での組織的対人関係に違和感を感じ、社会参加が困難になる場合もあります。B.好きなことだけをしていた場合、様々な教科の学習による思考方法を学ぶことができず、偏った思考方法だけが強化され、現実検討に偏りができてしまう可能性があります。C.学校などで体験する生産的な共同作業などの体験不足から社会的な生活ペースやリズムに違和感を感じて、マイペースだけでしか生活できなくなり孤立する可能性があります。このような理由で、本当に悩まない登校拒否の子どもは、後々の社会参加が危ぶまれます。このような現実から当初の混乱している時期には子どもが平穏にできるようなかかわりが必要です。やがて混乱から抜け出たころには援助的(刺激ではない)かかわりが必要となります。
2.葛藤する子ども
登校拒否をしている子どもの多くは過去に起こったことで悩みます。また、これからのことでも悩んでいます。悩みが過ぎる余り、心身に強い反応を起こし、二次的に社会生活を営みにくくなっています。このような状態にある子どもを放置することはよくありません。もちろん登校刺激は良くありません。「悩まなくていい」とか「悩むな」という指導も良くありません。子どもたちは取り返しがつかないと思い込んでいる過去の失敗などやまだ起こっていない将来のことで悩んでいるのです。どちらも人間の力で、いま、変えることは不可能です。
葛藤する子どもたちの多くは、嫌な体験だけを意識の上に登らせています。過去に起こった快い体験は意識の底に沈めてしまうのです。「自分には嫌なことばかり起こった。これからも起こるに違いない」という思いです。それで「どうしたらいいのか」と悩むのです。結論は「社会参加しなければ嫌な思いはしなくても済みそうだ」です。しかし、そのようにして登校拒否をしていても、一方では「こんなことをしていても良いのだろうか」という疑惑が頭をかすめる場合があり、ますます悩みを深めてしまいます。
葛藤する子どもの多くは一人相撲を取っている場合が多いのです。ほとんどのことを自己内完結しようとしています。精神的に発達し、社会体験も豊富な人なら別ですが、子どもの場合は、ますます困難な状態に陥ります。このように自己内完結型の子どものもう一つの危険性は対人恐怖状態になりやすいということです。
「周囲の人は自分をどんなふうに見ているか分からない」という不安から始まり、「こんな自分を周りの人は変な目で見ているに違いない」と確信するに至ります。さらに「自分は社会に不適切な存在である」と位置づけてしまう場合もあります。自分の表情や態度に自信が持てなくなり「自分は人前にいてはいけない。周囲の人が不快に感じるから」とか「こんな自分を厳しい目で見る人がいる。怖い」という思いが生まれてきます。不安が思い込みや思い付きを生み、こだわりにつながり、確信にまで強まります。このようになると回復には手間取ります。
葛藤する子どもに寄り添い、その葛藤に付き合う人がいると、子どもは自分なりのペースで寄り添う人に苦悩を打ち明けていきます。寄り添う人は子ども一人で葛藤し過ぎないように援助します。まず寄り添いながら子どもの不安の解消が必要です。過去の快かった体験の引き出し作業も大切です。将来の希望つくりも大切です。現在の展開が過去と将来の始まりであることの認識が生まれるように援助することも大切です。今を大切に生きることが新しい過去が生まれ、新しい将来に結びつくという発想を本人が抱けるように寄り添って下さい。
登校拒否文化医療研究所のホームページは下記へ。