子どもの自立を考える集い

不登校とは「生きづらさ」である

児童と青年がかかえる問題と家族ケアの講演から(7月13日・火)

 大曲市中央児童館で「子どもの自立を考える集い」(主催:フリースペーストゥビー・代表横井伸夫)が11日開かれた。今回は山本町の長信田の森診療クリニックのケースワーカー・水野淳一郎氏が「児童・青年期のかかえる問題と家族ケア」と題して講演した。水野氏は集まった10人の出席者に問いかけ、また不登校児をかかえる親の気持ちを受け止めながら、丁寧な口調で講話した。

 水野氏は、はじめに長崎の小学校の同級生殺人事件に触れ、「現在、加害女児は精神鑑定中であるが、世の中のお母さんたちの大半は彼女に○○病あるいは○○障害という判定が下されることを期待しているのではないか。つまり彼女とうちの子は違うと思いたいのではないか。しかし、もしそのような判定が下らなかったらどの子もあのような残虐行為をする可能性があるということになり、慌てることになるのではないか」と質問した。そして「(あの事件について)新聞や報道で見聞きする範囲で感じたことであるが、加害女児が犯行後『会って謝りたい』と語った。これは被害者の両親に対してではなく、被害者本人に対してである。小学生の10〜20%が「死んだ人は生き返る」と思っているというデーターがある。それはつまり「人を殺す」ということが「取り返しのつかない事」とは感じていないということである。そのような感覚を子どもたちが持ってしまっているのである」と話した。

 その上で「現在の、子どもたちにはある種の体験が不足している。その体験不足があるため、子どもたちは不登校になりやすい。小学校・中学校でのムレ(群れ)る体験、今の地域でどれだけ他者とムレられるか。今の若者は、ムレる体験がしにくい。他者とつきあう時、傷つくことは避けられない。しかしそれが自立につながっていく。そこから自己性が育つ。傷つくことを回避すれば成長はない。無菌状態の中に子どもを置くのではなく、雑菌の中で如何に生きるかを学ばせなければならない。「傷つかないように。傷つかないように」という方向に社会が向かえば、誰でも不登校になりうる」と強調した。

 さらに「子どもに現実感というものがない。思春期の頃は、挫折すれば誰でも自分を悲劇のヒーロー、ヒロインにする。『自分の悩みを分かってくれない』という思いがある時に親や教師から「お前はなぜ○○することが出来ないのだ。〜しないのだ」と言われる。そうなると子どもは自分の身の置きどころがなくなる。今の子どもの問題は現実の中で悩めないというところにある。テレビ、パソコン、インターネット、携帯電話などによって失われたものをどう補い、回復するかが課題である」と語った。

 また不登校について「誰も望んで不登校になるわけではない。彼らは怠けているのではなく、自分の将来が描けないことで悩んでいる」と話した。不登校を引き起こす要因は「病気」(うつ病、統合失調症など)と「環境」(挫折体験・傷つき体験、罪悪感・将来に対する不安・・「こんな自分でどうやって生きていけるかという思い」であると語り、不登校の子どもが陥る「昼夜逆転現象」について「昼夜逆転はどうして起ると思いますか」と参加者に問いかけた。その上で「昼夜逆転は本人の無意識の中にある罪責感から来る。昼間は皆が学校に行っているが自分は学校に行くことが出来ない。無意識に罪責感が働き、その罪責感から逃れる方法が睡眠なのである。昼間眠って、夕方目を覚ますとその時は学校に行っている子も帰宅している時間であるため、罪責感が薄らぐ。昼夜逆転は本人の無意識の中での防衛なのである。夜、ゲームをしているのは意識的に自分の罪責感をまぎらわしている。そのことを受け止めずに、子供から一方的にゲームを取り上げることはすべきではない」と強調した。また「本人は親に対する罪責感も持っている。自分が親を悩ませ、苦しめていることを感じている。それが本人の心をより暗くし、重くしている」とも語った。

 「不登校の状態になった当初は混乱した状態である。そして1ヶ月位から罪責感に悩まされ、昼夜逆転現象が起る。本人が罪責感を持っていることを親は教師は受け止めてあげなければならない。例えば不登校後、三日間登校したが四日目からまた行けなくなった場合、親から「今日はどうして行けないの」と言われ、担任教師はすぐ家庭訪問に来て「今日はどうした」と声をかける。このような声かけまた家庭訪問事体を慎まなくてはならない。親は「三日間がんばったね」と声をかけ、教師は一週間くらい待ってから家庭訪問をすべきである」とアドバイスした。

 また家庭訪問の時も「先生が来た」というだけで子どもは罪責感を増幅させてしまう。最初は「ゲームやっていたか。先生も一緒にやろう」と言ってやるのはいいが、やがて「ところで最近、どうしてる」と声をかけた途端に本人は「やっぱり、先生はわたしのことを責めにきた」と思って落ち込む。「だから最初は一緒にゲームをして何も問わずに帰った方がよい。すると次回の訪問から子どもの受け止め方が違う」と話した。「但し、親や教師は本人に情報を提供することを怠ってはいけない。つまり後、何日来なければあなたは留年するよ」という情報は本人にしっかり伝えなければならない。「それを聞いたら本人が余計落ち込むのではないかと思って伝えないのではなく、伝えて本人の決断を促していく。その時『だから明日から登校しろ』などと余計なことは言わずに本人を信じて待つことが大事である」と述べた。

 登校刺激についても「本人ができること」と「本人が出来ない」ことを分けてやり、本人ができることには期待をかけ、できないことには期待をかけず見守ることが大事である」と述べた。それまで家の皿洗いの手伝いをしていたのに不登校になった途端から「あなたは何もしなくてよい。休んでいないさい」というのはよくない。できることを見い出してあげることと「学校に行かなければならない」という思いから解放してあげることが大切であるとも語った。

 「不登校の解決は再登校ではない。不登校とは『生きづらさ』である。彼らは悩みながら自分を探している。自分の適性を見い出そうとしている。自分の方向性を見定めようとしている。彼らは『〜でなければならない』という極端な価値観に捕われている。また『自分のような不登校の人間はいない』とも思っている。そのような思いを壊してあげなくてはならない」と話した。

 最期に家族ケアについて図を書いて説明。父親の円と母親の円と子どもの円がバランスよく重なっているのを自然体の家族とするならば、不登校の子を抱える家族は、このバランスがくずれ子どものところに父親も母親もかなりの部分が重なってしまう。不自然な状態である。父親は母親との間では夫であり、子どもとの間では父親であるがどちらにも重ならない一人の男としての人格がある。母親も同じである。この「自分」というところを親は大切に保っていただきたい。子どもが家にいてもそれまでとはかわらず、親が生きることによって子どもにも良い影響を与える。親が自分を責めるのはよくない。また、父親や親戚が母親に対して「お前のせいだ」と責めることなど言語道断である。不登校は、親のせいではない。親(特に母親)が自分を責めるのをやめなければ何も変わらない。犯人探しは絶対にやめる。大切なことは子どもが発しているメッセージに気づくことである。他人を変えるよりは自分を変える
方が楽である。いったん「親業」をやめましょう。子どもを孤独感から解放すること
を考えていきましょう─とアドバイスした。

 講演の後、活発な質議応答がなされ、予定の時間をかなり超過した。次回は9月に体験者の会(23日を予定)や「人生いろいろ、学校いろいろ」という主題で北海道のフリースクールの紹介(26日)などを行う予定。