子どもの自立を考える集い

フリースペース トウービー主催

登校拒否文化医療研究所の高橋所長の講演から(2)=3月3日・水=
 
 大曲市のボランティアグループ「フリースペース トウービー(事務局・日本キリスト教団大曲教会)」主催の「子どもの自立を考える集い」が29日、同市の中央児童館で開かれた。講師で登校拒否文化医療研究所の高橋良臣所長は「思春期・青年期の人々への親や教師の関わり方」と題して講演した。登校拒否に悩む親やボランティアの方など15人が熱心に聴講した。2回にわたって概要を報告します。なお次回は20日午後2時から大曲市中央児童館で開かれます。問い合わせは大曲教会の横井伸夫さんへ(0187─62─2598)。

 ◇その7=睡眠に関する問題
 多くの登校拒否・不登校の子どもたちは順調な睡眠ができなくなって混乱します。「眠りたいのに眠れない」「起きたいのに起きれない」などと言います。入眠時刻が遅くなっているのですこれには幼児期からの自律性の獲得の問題もあります。そのことによる生理的な影響やその二次的な反応への影響はかなり大きいはずです。
 幼児期の睡眠不足から引き起こされる慢性疲労。目覚めの悪さから起きる気分不調。気分不調から引き起こされる運動不足。そのことにより引き起こされる同世代との対人関係不全。それに引き続き起きる同世代への違和感。同世代共同性の獲得不全。全般的なコミュニケーション不全。もちろん食嗜不振もあります。そのような体力不足による心身の疲労も起きます。

 パソコンなどの長時間使用による睡眠相のずれや睡眠不足に陥る子どもは、幼児期のみならず思春期でも最近、かなり多くなっています。パソコンなどの使用に関しても親子間のトラブルの火種になる場合もあります。おおよそ10時間以上もパソコンに向かっている子どももかなりいるのです。人間が10時間集中して物事に取り組んだ場合、どれだけ疲労するかは見当も付きません。しかし、子どもは「好きなことだから平気だ」と言い切ります。パソコンなどを長時間使用する子どもたちの多くは、疲労に関する感覚マヒを引き起こしています。疲労の自覚がなくなると、その他の感覚マヒも連鎖して起こる可能性があります。そのようになると単に睡眠不足だけの解決だけでは問題は片づかなくなります。

 単に睡眠不足ではあってもその成り立ちが生活習慣だけの問題ではなく、IT機器に対する依存的な場合は、さらに複雑な反応が引き起こされる可能性をはらんでいます。眠れない、眠らないことは危険信号です。

 ◇その8=見当違いな自立‥‥孤立する子ども
 対人関係を嫌い、孤立する子どもが増加しています。人が怖いという子どもがいます。たいがい誰でも成長過程で、人に対する怖い思いはするのですが、ほとんどの子どもたちはたいがい、怖い体験以上の素敵な思いで怖い体験を克服し、より素敵な方向へ期待と希望を寄せていきます。孤立する子どもたちの多くは、怖い体験をした時に「人と会うことが嫌だから自分一人でできることをしていたい」と言います。「自分一人でできることをしていたら『おとなしくていい子だね』と言われた」とも言います。孤立状態を勘違いして誉めた人々の多くは、自立と孤立の違いについて思い違いをしています。一人でやる子との中身がゲームやテレビやパソコンに限られてくると、さすがに誉める人は少なくなります。これは自立ではなく、孤立かもしれないと。「おとなしくていい子」ではあっても対人関係ができない子どもであるとは思えなかったでしょうか。

 孤立は誰にかかわりを持てない状態です。かかわる相手がいない自分自身が、社会的にどのような対象になるかが見当も付かなくなっている子どもです。そのような状態は「自分は何者か」という命題に悩まされる根源になります。「自分が何者か」はかかわる相手がいない場合、どんなに頑張っても見当が付かなくなり、ますます悩みます。予測できない自分が産まれてしまいます。

 一方、自立は「相手にどれだけ頼り、自分は相手にどれだけ頼られているかが分かっている」状態です。その相互依存関係に無理がない状態が好ましい自立です。相手がいない孤立とはかなり違います。自分には必ず自分を認めてくれる相手がいるのです。孤立の場合には自分を認めてくれる人がいるかどうかも確信が持てない状態です。

 孤立と不眠が合わさり、気分変調を引き起こす子どももいます。活動性が失われ、自信がなくなり、集中力が欠けてきて、絶望感に襲われ、将来に希望が持てなくなり、無口になっていく場合が多くなります。

 孤立した場合、外部からの支援が得られない場合が多く、このような状態を招きかねません。

 ◇その9=解離的な反応
 登校拒否状態の子どもの場合、しばしば自分の言動について健忘する場合があります。実際に言った言動に関しても「そんなことは喋っていない」「そんなことをするはずがない」といった自覚です。疲れているはずなのに「疲れていない」という自覚もある意味では解離です。暑いのに皮ジャンを着ているような場合も同様です。

 散々乱暴狼藉を働いても、数分後には全く記憶がないと言い、平静になる子どももいます。

 中には自分が何かをしていても、何かをしている実感がないということで悩む場合もあります。家族を愛している実感が湧かない、人から愛されている実感がないなども似ています。
 生身の対人関係がどこかの時点から、空想の世界に取り込まれてしまった状態に陥っているようです。

 実際、彼らの多くは人間の機能から考えてかなり強く大きなストレスのある生活をしています。先にも述べましたが長時間、パソコン漬けの生活だったり、テレビ漬けの生活だったり、マンガだけの生活だったりして、多彩だ多様な生活を送っていない場合が多いのです。人間の豊かな機能の一部しか使わない生活は、人間機能の退行性萎縮や無用性萎縮を引き起こします。身体的にはできるはずなのに、現実には感じる部分が欠落している状態です。

 またパソコンなどのIT機器依存によっては、子どもの現実感覚離れは急激にやってきます。私たちは現実から理想を学びますが、ゲームやマンガやパソコン依存の一部の人は現実からではなく、空想や架空の状態から理想を形成します。現実とは結び付かないイメージだけの世界に居続けることは、解離状態を助長します。言い換えれば空想や架空の神経伝達システムだけが発達することになるのです。その場合、現実に起こっていることを等身大に認識できなくなる可能性があります。

 やはりかかわる相手が必要です。しかも、かかわる相手は、子どもの気持ちを支え、誉め、尊敬できる相手であったほうが良いのです。基本的には解離現象を引き起こす子どもたちの多くは人間不信、社会関係不全(悪い環境)状態にあります。対人関係と生活環境が悪ければストレスは強くなります。今日の子どもが置かれている状況は危機的です。

 対人関係や生活環境を豊かにするための協力や支援を大人が継続することから、子どもの解離的な危機は薄れていきます。

 ◇その10=閉じこもり‥‥引きこもり
 親密にかかわる相手が自分の身辺から徐々に減少していく状態は、最近の子ども社会では当然のことのように起こっています。しかし、親密ではない子ども同士のかかわりは、不規則に思いついたようにいつでも体験できます。このような不安定なかかわりを通して「こんな不器用な対人関係をしているのは自分だけである」と思い込む子どもも中にはいます。「もっと注意深く、気をつけていないと仲間からは置き去りにされてしまうのではないか」という不安を抱きます。仲間外しを恐れています。注意深く、用心深く、警戒心を持って周囲の状況を見つめていても「訳が分からない」状態になってしまうのが今日の子ども社会の対人関係の特徴です。先ほどまではいい調子で遊んでいたのに、相手がいなくなった途端に「あんなバカを相手に遊んではいられない」程度のことは言ってのける子どもがいるのです。その様な粗雑な現実にさらされて「自分の相手をしてくれる人はいないだろう」という予測を立ててしまう子どもも中にはいます。「自分はこの社会には不適切な人間だ」と思い込むのです。出発点は違っていても、不適切感から閉じこもりに入ってしまう人は多くいます。

 「自分はどんなに頑張っても、みんなとはうまくやっていけない」気持ちを抱く場合もあります。「自分は他の人よりは劣っていて、ついていけない。社会生活は営めない」と思い込む場合もあります。「人からバカにされないよう密かに生活をしよう」と決めてしまう子どももいます。そのような決意や気持ちを周囲の者に語る場合はほとんどありません。周囲の人々は、閉じこもっている「あの子は何を考えているのか分からない」状態でうろたえます。何を考えているのか分からないなら聴けば良いのですが、どう聴いたらいいかが分からないという親もいます。スッキリと一度で解決しようという思いが強いからうまい決め言葉で質問しようという傾向があります。そうなると親としては子どもに質問しにくくなります。

 思春期の子どもが閉じこもり状態に入ってしまったら、家族が対話の相手になり、様々な対話をして誠実に丁寧なかかわりが必要です。その場合、常識は必要ありません。子どもが抱いている心配事を理解することから始めると良いでしょう。「そういう心配をしていたの?すごく相手の気持ちを気遣っていたんだね。あなたは本当は優しい」というような理解的なかかわりが必要です。「そんなことに気を遣うなんて、バカバカしい」ではいけません。本人もそう思いつつ気を遣ってしまうのです。言動を認めてもらい、なおかつ意外な展開があれば、新しい開放の道は開けます。

 繊細過敏で、臆病になり、警戒心を強め、用心深くなっている子どもとかかわるためには「静かに寄り添う」心構えが必要になります。

 ◇その11=性成長からの逸脱‥‥過激な空想
 登校拒否・不登校の子どもたちは同世代の性意識に触れる機会が余りありません。たまに友だちと遊ぶことができる子どもはまだ良いとしても、孤立してしまい、友だちが訪ねてくることもなくなった子どもの場合には幾つかの心配があります。

 同世代の共通性意識を持ちにくいと言うことです。孤立し、閉じこもっている一部のある子どもの場合「お父さんのパソコンを開いたら、エッチな画像が出てきた。みんなこんなのを観ているんだ(こんなことをしているんだ)」と思います。遊ぶ相手がいなくて、周囲から性の話も届かない子どもの中には、過激な性衝動的言動に走る子どももいます。性と暴力とは近い関係にあるようです。最近では行為障害的な性の発散をする子どもは少なからずいます。性の逸脱行動もあります。

 かつて私は性衝動は男子にあると言っていましたが、最近は女子にも強い性衝動はあると訂正します。生理学的には理解しにくい(出来ない)心理的な性衝動です。気がついたのは18年ほど前からです。閉じこもり傾向が強い女子から、あからさまに性や性器の話を持ち出されて以来、随分多くの女子の性の悩みに付き合ってきました。男子の性衝動と何ら変わりがないのです。最近の若い女性の小説家の記述でも分かるように、女子の性衝動は過去と比較してかなり変化してきたように思います。

 男子では性衝動を抑えきれず夜間、女性の下着泥棒をしたり、女性の部屋を覗いたり、風呂場の覗きをする子どもも出てきました。学校には行かないけれどわざわざ、満員電車に乗り、痴漢行為に及ぶ子どももいます。過激なポルノビデオを自動販売機で購入して観ていたりします。閉じこもっている子どもの一部は「みんなそうしている」と思い込んでいるのです。適切な相手がいれば「あり得ない」と言って訂正できるのですが‥‥。

 女子の場合も「援助交際なんかみんなやっているよ」(本当は限られた一部の子どもたちしかやっていない)、「儲かるしさぁ、身体が減るもんじゃないしさぁ」(本当は身体と心の間には捩(ねじ)れと歪みが生じている)、「下着なんか売ったって、こっちは何にも気持ちわるくないしさぁ。カレシにしてもらった方が気持ちいい」(本当は自分の心の寂しさ、空しさに気が付いてないだけ)と言ったあからさまな表現で言います。

 私の独断ですが、心の成長が貧困になった現代社会では性的な欲望がホルモンの分泌に応じてストレートに身体を支配している状態が今日、女子の間にも急速に浸透してきたと言うことです。これには男女の差は最初からないかもしれません。人間と人間の心の交流を通しての精神的な愛の交流を無視して、異性との身体的な性関係に飛躍超越していきます。そのような社会的な状況があります。

 パソコン、アニメ、劇画、多くの雑誌などで性情報は氾濫しています。その年齢にふさわしい情報かどうかとは無関係に市販されています。そのような拡大された情報に触れた思春期で性成長の真っ直中にある子ども多くは、性幻想を抱きます。現実の自分のかかわりの相手となる自己対象がいた場合、性幻想が空想の空虚な物語であることが認識されます。その場合、大きな逸脱言動は起きません。

 今日の社会では性に関して、大人と子どもの境界は不鮮明になっています。成人している大人たちの精神的な成長の貧困さが、子どもたちの性成長に暗い影を落としています。遊びとしての性が子どもの世界に蔓延する切っ掛けを提供しているのは大人たちです。

 子どもが身体的に性成長を精神的な心の成長と連動させるための相手が少ないということです。子どもは「性なんて心とは関係ない」と思い込まされている節があります。子どもの性を道具として使おうとしている大人たちの犠牲者が、ある種の今時の子どもたちです。

 様々な思春期の特徴を述べてきましたが、いずれの問題でも子どもの自己対象となる相手が不在であることが根源にあります。子どもが理想化自己対象としたい多くの大人の出現や存在を期待します。