子どもの自立を考える集い

フリースペース トウービー主催

登校拒否文化医療研究所の高橋所長の講演から(1)=3月21日・日=

 大曲市のボランティアグループ「フリースペース トウービー(事務局・日本キリスト教団大曲教会)」主催の「子どもの自立を考える集い」が20日、同市の中央児童館で開かれた。講師で登校拒否文化医療研究所の高橋良臣所長は「子どもの状態に合わせた親・教師の関わり〜子どもの自立を支援するために〜」と題して講演した。登校拒否に悩む親やボランティアの方など10人が熱心に聴講した。2回にわたって概要を報告します。

講師の高橋さん(左)と横井牧師(右)【子どもの社会参加や学校復帰が始まる条件】

 登校拒否・不登校の子どもの復学や社会参加には様々な道程があります。mた、それでまでのかかわりにも幾通りものかかわり方があります。特に最近はひどいかかわりをして子どもを追い詰め、脅すことで、子どもを強制的に動かそうという人が増えてきたように思います。登校刺激はするなとか、黙って見ていなさいというやり方に対する反動かもしれません。どちらも決して良いかかわりとは言えません。子どもに必要なかかわりとは、子どもが求めている理想的な相手による、心の支えとなる継続的なかかわりです。もともと子どもの存在をどのように捕らえるかによってかかわり方が違ってくるのです。

 「我が家にはテロリストがいて、いつ暴れ出すか分かりません」という親は、いつも先制攻撃を子どもに仕掛けていました。子どもはその都度、強い抵抗を示し、ゲリラ戦はいつまでも続きました。「子どもはもともと甘える存在だから厳しく突き放しました」という親は、その後、子どもの幼児戻りに遭い辟易(へきえき)としていました。「子どもの言い分は全て認めてきました」という親は、子どもの要求がエスカレートしていくことのうんざりしていました。一辺倒なやり方で済まそうと言う考えがお粗末なのです。相手は閉じこもりがちで、動きは少なくても生きて生活している人間です。いつも神経を尖らせているのです。状況によりかかわりの変更は必要です。子どもとのかかわりにおいても、人間尊厳が必要です。

 1.子どもの言い分を理解するかかわり

 登校拒否の子どもの言い分は親から見ると「自分勝手」なように思えます。しかし、それまでの言い分が自分勝手ではなかった子どもが自分勝手なことを言い出すとしたら、親としては子どもにはa.それなりの訳があるb.我を通さなければ気が済まなくなっているc.周囲には気を遣っていられなくなるような状況があるd.関係性や環境が登校拒否の子どもにとって不都合な状態に変化したe.助けを必要としているなどの状態が起こっていることを考えなくてはなりません。

 いきなり「わがままをいうな」とか、即座に「お前の言い分は何でも認めてあげる」では、子どもは自分が訴えている言動の内容を、親たちに受け止めて、理解してもらえたという気持ちにはなりません。子どもにとって必要なのは、自分の気持ちを支えてくれる人間です。理解してくれる人です。その上で要求を満たしてくれる人です。

 「子どもの言うことは全て認めてあげているのに、うちの子は学校へは行きません」は当然の成り行きです。子どもの言い分についての気持ちを理解することが前提なのです。何も言わずに、単に認めるよりは気持ちの理解です。だから子どもの言い分を理解するための対話が必要なのです。

 多くの子どもは自分の言い分に耳を傾けて聴いてくれて、話の内容の分からないことについては理解しようとして、本気で受け答えしてくれる人を求めています。その人の影響で、それまでバラバラに乱れていた心がまとまりをもって、輪郭をなしてくるのです。親切なかかわりを継続してくれる人の影響で、将来に野心(希望)を抱くことができるようになっていくのです。さらに言えば、かかわる人との関係から、相手の感情も理解できるようになるのです。自分の主観がなければ相手の主観も理解できないので、相手の主観を感じることができるようになるということは大変に重要な出来事なのです。そして言葉で自分の主観を述べることは登校拒否の子どもにとっては重要な作業です。間主観的な相互関係とは、心の交流としての対人関係ができるということになるのです。

 2.いつまで支援は必要か

 厳しい人は「子どもはいつまでも甘える存在だから、厳しくしつけて親から離れていくようにしなければ、いつまでも甘えていて、自立はしない存在だ」と言います。切り離す必要性を説きます。

 一方、自立とは相互依存関係であり、それこそ社会の営みの現実であるという人は「親への依存も友だちとの依存関係も異性との依存関係も成長の積み重ねであって、捨て去ったり忘れていく内容ではないから、社会参加していく上で大切な、人間としての成長発達である」と考えます。年齢ごとに変化する様々な依存は、積み重なり健全な成長発達となると主張します。

 人から離れると言う自立説だと、恋愛関係は退行現象とされてしまい、性成長の重要な発達課題ではなく問題となります。相互依存関係は大切であるという説に従えば、恋愛関係は心の成長発達として当然なのです。

 切り離し説か、積み重ね説かにより、かかわりは大きく変わってきます。精神学者らによれば、十分に支えられ、認められ、誉められた子どもは自発的に積極性を身につけていくと言います。社会に対して野心を抱き、希望に向かって歩むというのです。その間一人で歩くのではなく、常に自己対象としての相手との関係を維持していくといいます。「後は一人きりでやりますから、放っておいて下さい」ではないのです。「これからもどうぞよろしくお願いします」なのです。その上で相互依存性とは「その代わり、私もあなたの希望や期待に添うような分担はします」というかかわりになります。「お父さん、お母さん。どうもありがとうございました。もうこれであなた方には一切かかわっていただかなくって結構です」なのか「お父さん、お母さん。今までどうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします。そして、私に出来ることがあったら、私は一生懸命にお役にたちます」なのか。多くの人間が誰しも、自立はしたいけれど孤立はしたくないと考えています。そして、いつも信頼でき、尊敬できる人に「少しは甘えたい。頼りたい」という自然な欲求を抱いていいます。

 3.かかわりは変わるけれど‥‥

 私は登校拒否から復学したり、社会参加した人々のもかかわってきました。私個人は彼らが依存的過ぎて困ったことは滅多にありません。「これくらいの依存はどこの社会にもあるだろう」と思われる程度の依存でした。そして私も彼らに依存できるところはしてきました。

 復学しても対人関係が途切れてしまい、望まない孤立をして、再び登校拒否状態になっていく子どももたくさん見てきました。社会参加しても過去の関係者との対人関係が切断されてしまい、孤立して困難に遭遇して、社会的な閉じこもり状態に陥った人々も見てきました。

 結論として言えることは対人関係はいつも必要であるということです。新しい自己対象関係ができた結果、過去の対人関係が自然消滅する以外には、無理な切断はしないことです。「過去にお世話になった人に依存できない。いつまでも甘えてはいられない」という常識は捨てて下さい。いつまでも継続できる理想的な自己対象関係を持ち続けて下さい。

【子どもの社会参加のための援助】

 登校拒否・不登校の子どもたちの多くは、たいがい、登校拒否になる前の生活の動きが極端に少なくなっています。ほとんど座ったままで多くの時を過ごしています。運動をしなくなるのです。理由としては「一緒に遊ぶ友だちがいない」「考え事をしている」「本を読んでいる」「パソコンをしている」「ゲームをしている」などです。それまでは親や教師に言わせれば「結構遊んでいました」とか「運動も好きでした」という子どもなのですが、登校拒否直前には前述のような理由から、動きが極端に少なくなります。

 パソコンやゲーム、読書に「はまる」理由は「人間関係で嫌な思いをしたから」が圧倒的に多いようです。「裏切られた」「だまされた」「いじめられた」「おとしめられた」「話題(内容や話の展開)についていけなかった」のです。

 これらの対人関係は周囲の者の援助で改善可能です。もう一つやっかいな問題があります。それはこの時期に動きが少なくなることで引き起こされる生理的な低機能化の問題です。心の気持ちを実現できないほど、身体は弱体化します。関係性と生理的機能の回復のために、援助できれば子どもの社会参加(復学も含め)は十分に可能となります。

 1.まず対人関係の改善から始める

 多くの親や教師は登校することや学習の遅れなどを気にします。登校拒否や学習性無気力の根底にある、子どもの環境や関係の不都合については問題にしていません。一般的に登校を促すことや学習の遅れを指摘することで、登校拒否の子どもの環境や関係はさらに悪化していきます。

 最初に必要なのは親子関係の改善です。早急な結論や良い結果を獲得しようとするよりは、子どもの言い分を丁寧に聴くかかわりが大切です。その場合、言い分を話している子どもの気持ちに焦点をあてます。

 「何か疲れちゃった」「それなら早く眠ればいいでしょッ」ではいけません。「何かあったの?」なら子どもの気持ちを訊く機会を得ます。

 「昨日の夜、なかなか寝つけなかった」「寝つけなかったの?。それじゃあ疲れるね」「どうしても学校のことばかり気になるんだ」「学校のことがそんなに気になるの?」、「当たり前だ。皆、僕(私)のことを何て言ってるか分からないもん」「前に嫌なことを言われたことがあったの?」「あったからこうしてるんだ」「そうだったの?。少しも知らなかった」「お父さんもお母さんも、いつも忙しそうにしていたから、なかなか言えなかったんだ」「あなたの気持ちがそんなに追い詰められているなんて気がつかなかった。これからは協力するからね」といった会話ができれば、やがて分かってきます(出てきます)。子どもの気持ちに注目しつつ、最初の対人関係の改善は親子関係の改善であると心得て下さい。焦って「あなたの話が分かる人を見つけよう」ではいけません。そのようなことで早く問題を解決しようとしたら「親は真剣に僕(私)のことについては考えてくれない。結局、他の人たちと同じだ」になってしまいます。子どもにとって親は特別な人なのです。最も依存できる相手なのです。

 親子関係の改善ができ、親に子どもの気持ちの理解ができることは大切です。心を支えられ、気持ちを理解された子どもは、自発的に「このままではいけない。何とかしよう」という気持ちになっていきます。別の言い方をすれば、子どもが感じている不安や緊張や疲労感などの自発的な改善に、親として支援できるということです。このような状態から過去の対人関係で、良かった相手との連絡のパイプ役になっても構いません。友だちとの関係改善ができても、親の支えと援助と誉め言葉はいつも必要です。決して「あなたにも悪いところはあったんでしょ」はいけません。「あなたがそのようにしたくなった気持ちが分かる」ようになって下さい。

 2.急激に変化する思春期の身体機能

 登校拒否直前に身体的な動きが少なくなる傾向は、ほとんどの子どもに共通してあります。みんなとはペースが合わないから「違和感を感じた」り「緊張した」り「疲れた」りします。その結果、一人で過ごす時間が長くなります。思春期の子どもが一人でできることは限られてきます。テレビ観賞、ゲーム、パソコン(主にネットゲーム)、携帯のメール、読書(これは登校拒否の状態によって全くできない場合の方が多い。ただしマンガは読める)、工作、クッキング、動物いじり(世話)などは一人でできます。これらのほとんどは足を動かさない(歩いたり走ったりしない)で、座ったままの作業です。そのために血液循環や心肺機能は極端に低下します。通常登校している子どもが歩く距離は、体育があるかどうかで差はあるものの、登校拒否をしている子どもの約200倍以上です。登校拒否をしている子どもで、ほとんど座ったままの生活をしている子どもが、一日に動く距離はせいぜい多くても80メートルです。この差が心肺機能に影響を与えます。筋肉の現状維持や新たな形成にも影響を与えます。

 生理的な機能や質の維持どころか、無用性の萎縮や退行が起こります。使わないことによる萎縮や退行で、機能の弱体化が始まるのです。思春期には多く動くことで獲得できる急激な成長と、その反対のほとんど動かないことで起こる急激な萎縮や退行があります。登校拒否の子どもの場合には、この急激な退行と萎縮が起こります。本来、思春期の成長には運動とそれに相応しい栄養の獲得が必要です。食事が不規則になり、動かなくなることで、退行や萎縮が急激に始まります。

 「おかしいなあ。前はこんなことは簡単にできたのに‥‥」と登校拒否の子どもはいぶかしがります。急激な老化現象が始まっていることに気づかないのです。たくさん食べて思いっきり動いて、多彩な人々と出会って、十分に眠ることで、思春期の急激な成長は維持されます。登校拒否の子どもの場合は、そのほとんどか、あるいは全てが少なくなっているのです。しかし思春期の身体成長はホルモンの分泌で自律的に始まっています。したがって、機能や能力は萎縮したり退行したり低下しても、身体だけは大きくなっていきます。「身体が大きいのにどうして動か(動け)ないの?」と周囲の人々は萎縮や退行や弱体化の状態を理解できません。

 運動は子どもだけを動かそうとするのではなく、親も一緒に楽しく動くことから始めて下さい。子どもが希望するなら相応しい相手を探すのも親の役割です。子どもが安心して依存できる相手はいつも必要です。

 いきなりスポーツジムなどで身体を動かしたりすると長続きはしません。散歩程度から始めることが大切です。もっと科学的な言い方をすれば「有酸素運動」は身体機能の回復には有効です。例えば有酸素運動で非日常的な乗馬体験などはさらに有効です。直接の人間同士の会話は緊張しますが、馬を介しての人間同士の会話は、子どもにとっては馴染みやすいのです。

登校拒否文化医療研究所のホームページは下記へ。

http://www.asahi-net.or.jp/~pr8y-tkhs/index.htm