子どもの自立を考える集い

フリースペース トウービー主催

登校拒否文化医療研究所の高橋所長の講演から(2)=3月24日・水=

 講師の高橋さん(左)と横井牧師(右)大曲市のボランティアグループ「フリースペース トウービー(事務局・日本キリスト教団大曲教会)」主催の「子どもの自立を考える集い」が20日、同市の中央児童館で開かれた。講師で登校拒否文化医療研究所の高橋良臣所長は「子どもの状態に合わせた親・教師の関わり〜子どもの自立を支援するために〜」と題して講演した。登校拒否に悩む親やボランティアの方など10人が熱心に聴講した。2回にわたって概要を報告します。次回は4月25日午後2時から、同じく中央児童館で開催される。

【不登校(登校拒否)の子どもの自立とは】
 登校拒否・不登校いの子どもの自立とはどんな状態を指すのかは、人により異論がたくさんあります。自立の概念さえもそれほど明確ではありません。また「あの子は登校拒否をしているから、まだ自立していない」と言って良いのかどうかも、さだかではありません。仮に自分の意思で登校拒否を自己決定していたとしたら、その世代の他の子どもよりはかない自立的であろうと思われます。登校拒否は幼稚な状態、未熟な状態であるという前提に立ったり、登校拒否はしない方が善い(良い)という立場に立つと「自立とは?」という設問が生まれます。登校拒否体験者の多くは「登校拒否したおかげで、普通に登校していたら出会う機会がなかった人達と出会えて、自分の人間成長の役に立った」と言ってます。もしそうなら、とても良い自立をしていったことになります。そうは言っても不安や緊張や疲労がいつまでも続き、良い自立の方向性をたどっているとは言い切れなくなります。

 1.登校拒否の子どもたちの自立の要件
 以下に登校拒否の子どもの自立に関する大切な要件を述べてみます。

 a.それまでは不安や緊張や疲労を感じていたことに関し、感じなくなり、自由な生活を楽しむことができるようになる。共同性の獲得。

 b.そのために、不安や緊張や疲労などから克服に関して、自分一人で頑張るのではなく、適切な相手とのかかわりで克服できるようになる。思い込みによる過剰や過少な言動とか相手との関係による適切な言動。

 c.相手とのかかわりで自己の内面の理解が深まり、人に頼る部分と自分で取り組む部分の区別ができるようになる。相互依存性。

 d.併せて、自分が相手に対して何ができるかを知る。自己能力確認。

 e.相手との対人関係で自分の役割を理解でき、自他の区別ができる。対人自己役割の確認、同世代同姓の獲得。

 f.相手の発言から相手の気持ちを理解し、自分の気持ちも相手に伝えるようになる。間主観的な相互関係、共感できる。

 g.自己主張をし、相手の主張も理解し、検討できるようになる。現実検討能力、現実思考能力の獲得。

 h.自分は何を大切にしたい人間かを自己理解できるようになる。理想化自己対象自己の獲得、自己志向性の確立。

 i.相手とのかかわりで自分の利点や欠点を理解できるようになる。自己現実の認識、正しいことだけを実行するほど強くはない人間理解。

 j.対人関係において、愛情を理解できるようになる。親密感の獲得。

 k.自分の性(成長)に関して理解できるようになる。性の責任獲得。

 i.日常生活を安定させる努力ができるようになる。自律の獲得。

m.自分が所属する社会を理解できるようになる。社会肯定感の獲得。

n.家族関係と友だち関係と教師との関係の区別ができるようになる。血縁、地縁、組織縁の差異理解。

o.社会性について理解でき、社会性がある方向に肯定的な態度を取ることができるようになる。拒否感・戸惑い感や自己評価からの脱却。

 これらの要因の全てを同時期に満たすことは不可能に近いことですが、満たす方向に向かうことは、登校拒否の子どもが自立の方向性の獲得をしていると言っても差し支えないでしょう。登校し続けることができるようになる場合には、このような内容が充実してきているのです。

 2.注意するべきこと‥‥誤解しやすいこと

 a.一番多い誤解は、孤立と自立の勘違いです。「本当は人と関わりたいのだけれど、相手が見つからないから、いつも一人でいる」状態は孤立です。「友だちはいるけれど、今は一人でやりたいことがあるから、一人で取り組んでいる」のは自立の状態です。前者は寂寥感に苦しみます。気持ちが沈んだ状態です。後者は熱心に物事に取り組み、集中していますから、満足感や充実感があります。「本当は言いたいことがあるのだけれど、相手が忙しそうで、言うのは悪い気がした。だから静かにテレビを観ていた」状態は孤立です。例えば、親が老人の介護や病人の介護、仕事などで忙しそうにしていた場合、このような状況は生まれます。「親はしつこくいろいろ訊いてきたけれど、自分と友だちとの間では問題は十分に解決済みだったから、親には何も言わなかった」のは自立に近い状態です。子どもが親の質問に「うるさいなぁ(もう解決したから放っておいてくれ)」の状態です。これらの違いを誤解しないで下さい。

 b.登校拒否の子どもの日常生活現象が病気ではないかと言う疑いも、ほとんどは誤解です。朝起きない、夜寝ない、ご飯は食べたり食べなかったり、着替えたり着替えなかったり、洗面したりしなかったり、外出したがらない、人に会いたがらない、学習は全くしない‥‥こんな現象から精神の病気も疑う親もいます。これらの現象の出現は人間性(人間学)という観点からは、ことごとく合理的に理解できるものです。登校拒否の子どもの対人関係や環境に関する検討をしていけば、合理的な背景を発見できます。「いろいろ考えることが多くて、夜眠る時刻が遅くなってしまった」「余り動いてないから今はご飯はいらない」「ずっと家にいるのだから、入浴は洗面や着替えをしなければならないという理由はない」「人と会ってもろくなことはないから会わないようにしている」「勉強をしようとしても虚しさが先に立つ(もう追いつくはずがない)」などの合理的な理由があります。これらの現象は、子どもの性質気質の問題です。決して病気のなせる業(わざ)ではありません。この時期の子どもの性質気質は、支える相手によりかなり左右されるものですから、やがては変化していきます。支え上手な人と出会うと登校拒否の子どもは元気になっていきます。

 一部強迫神経症の子どももいることはいますが、登校拒否に伴う強迫行動は、強い恐怖に裏付けられているわけではないので、ほとんどの場合、一過性で終わります。しかし、病理的「恐怖心」があって「反復確認・強迫行動」が出ている場合は神経症として診て、治療は必要です。病気であるとは認めたくない親はしばしば、この強迫・反復確認行動などを無視しがちです。思春期の専門医に診てもらう必要があります。

 c.このまま治らないのではないかという誤解もあります。普通の登校拒否なら95%以上は2年以内に改善されて登校したり、社会参加の方向に進みます(残りの5%は病気の場合が多かったです)。そのためには継続的に安定した人の援助が必要です。安定した人とは性成長を遂げていても、子どもにとって望ましい人で、比較的長期にかかわることができる人です。子どもにとって望ましい人がどんな人であるかは子どもの性気質によって異なります。望ましい人とは子どもが自己成長のために理想化したい人で、その人とのかかわりが継続できれば子どもは元気になります。

【自分でやるの?頼っていいの?】

 登校拒否・不登校の子どもたちの多くは依存下手です。自分(一人)ではできないことなのに「やって(手を貸して)下さい。お願いします」とはなかなか言えません。実際の本音とは違っても「手を貸してくれなくてもいい」ような素振りを示しながら、全面依存する登校拒否の子どもも中にはいます。特に親たちには「否定的で拒否的な依存」をします。「うるさい。放っておいてくれ」と言いながら、いよいよになると「なぜ手を貸してくれなかった」的な依存です。

 登校拒否の子どもたちに言わせると、そのようになる背景があるのです。以下に登校拒否の子どもたちから訊いたことを述べます。

 1.あてにできなかった親(相手)
 幼稚園児や小学生のころ、本当に困った時に、話をしたくて「ねぇー」と親に声をかけても「今は話ができない」とか「そんなことはお母さんに訊いてもらいなさい」などと言われて、相手にしてもらえなかった事実があると言います。話ができる相手、かかわってくれる対象、子どものコミニュケーション環境を整えてくれる支え手などがなかったり、少なかった状態が見えてきます。父親は母親に任せ、母親は多忙を理由にしやすい状況があります。

 そのような現実から子どもは「何でも一人でやらなければならない」自己環境に身を置きます。「せっかく頼りにしても、あてにはできない」状態が連続すると「人は信用できない」方向に子どもの気持ちは変容していきます。「仕方がないから一人で頑張る」状態をも作ります。一人で頑張ってうまくできたことを褒め、気持ちを支えてくれる親、教師たちがいれば良いのですが「そんなことは誰だってできて当たり前だ。自慢するな」というような反応だと、子どもの気持ちは虚しくなります。

 思春期になって子どもはさらに大きな悩みや課題を抱えます。が、過去の体験から、人はあてにできないと思っていたり、信用できないと思っていた場合「無理しても、自分でやるしかない」状態に追い詰められていきます。追い詰められた結果、解決に行き詰まります。宗教の世界なら自力本願とか訓練(修行)とかを励行するような教派もあります。しかし、僧職にあるわけでもなく聖職にあるわけでもない登校拒否の子どもにとっては、周囲が自力を要求するだけの世界(人々)だったり、修行だけを認める世界(人々)だとしたら、ただ疲れるだけです。そのような体験が日常的にあったとしたら「あの人に良いところがあり自分にも良いところがあって、お互いの欠点を補い合おう」、「それで持ちつ持たれつの関係ができるのだ」という状態が崩れてしまいます。そのような状態の連続からやがては相互関係性を保つ気力も消失してしまいます。結論として「自分は駄目な人間なのだ」「誰よりも劣る人間なのだ」になってしまいます。

 2.無気力になった、疲れた
 子どもが他者をあてにする時には、他者に対する信頼感が必ずあります。同時にあてにしている人に対する尊敬の念や親密感もあります。最初のそのような対象は母親です。やがて父親も対象になり得る時期がきます。

 その時期に父母が、子どもにとってあてにできない対象(状態)になっていた場合、子どもはあてにできなくなり、信じられなくなり、自己対象としての存在を失うことになります。無条件に信じる対象があるから、自力(本願)だろうが他力(本願)だろうが、頑張る気力(励む力)が子どもには生まれるのです。その信ずる(あてにできる)対象が不在だったり、実際には目の前にいても、かかわらない場合、子どもは自力の努力も他力の生き方も失っていきます。どんな人でも素敵な人がいれば「その人のために頑張ろう」と言う気持ちは自然に湧いてきます。それは自力です。また、状況が行き詰まっていても適切な相手がいれば「あの人になら依存できる」ようになるのです。それが他力なのです。

 a.本当に困り切っている時に相談相手がいないb.頼りたい相手から相手にしてもらえないc.せっかく頑張っているのに、何も褒めてもらえないd.信頼して相談してもはぐらかされるe.いつも常識的なことばかりで答えられてしまうf.目の前にいるのに無視している。こんな状態では子どもは頑張ったり、頼る気力がなくなります。

 このような状況から子どもたちは、どんなやり方で生きていったら良いのか、生き方も分からなくなってしまうのです。平たく言えば「右往左往した生き方」をするはめに陥ります。そのような生き方で納得する子どもはいません。やがて疲労し、無気力になっていきます。

 3.何を頼り、何を自分でやるか
 登校拒否の子どもたちの多くは「自分は何をしたら良いのか分からない」し「誰に何を依存したらいいのか分からない」状態に陥ります。

 子どもの気持ちが落ち着かない時に、通常は自分でもできていても、やってもらいたいことを父母や教師に頼んだ場合「それくらいは自分でやりなさい」と言われたり、通常はあまり手をつけないことでも、興味があって自分でやってみたいことをしていたら「そんなことはお母さんがやるから、あなたは勉強をしていなさい」と言われたとします。このような親子間での行き違いが多くなってくると、子どもは親や教師には何を依存し、自分は何に手をつけたら良いのかが分からなくなるのです。

 自分ではできないから人をあてにすると「人を頼ってはいけない。自分でやりなさい」と言われ、自分で努力していると「そんなことはお前はやらなくて良い」と言われたのでは、子どもの自己の存在から生じてくる自己役割や意欲が不鮮明になってしまいます。

 親や教師の中には「子どもを甘やかしていたのでは、自発的なことができなくなる」、「いつも依存するようになってしまうのではないか」と不安に思う人もいます。そういう人は、子どもには無理をさせて「何事も挑戦しなさい」と激励しがちです。基本的には子どもの生きる姿勢とは無関係に激励してしまう人です。子どもの生き方を信頼してない人達です。

 子どもは自分自身をより良くしようという意思を持っているから、子どもが活動しやすい関係や環境を作れば、子どもは自発的に物事に取り組むようになると考えている人もいます。このような人々は、子どもはもともと意欲を持っている存在であると信頼している人です。

 子どもの生き方を信頼していない人々に対しては、子どもたちは拒否的な否定的な依存をしがちです。子どもの生きる姿勢に温かい眼差しを向ける人々に対しては、子どもたちは素直に意欲に結び付く依存(肯定的依存)をしていきます。親や教師とはひと味違う生き方をしている登校拒否の子どもの生き方に、温かい眼差しを向けてみる気はありませんか。大人としての人生観も変わるかもしれませんよ。

 登校拒否文化医療研究所のホームページは下記へ。

http://www.asahi-net.or.jp/~pr8y-tkhs/index.htm