脳卒中後のバラ色の人生
歩くことと歌う楽しさテーマに全国講演活動(5月27日・木)
大曲市佐野町の相川武夫さん(64)は脳卒中による左半身不随の重い障害を持っている。しかし、その障害を杖と装具を付けて歩くことで精神的にも乗り越え、今では秋田県身体障害者相談員として、また全国脳卒中者友の会連合会の監事、さらに大曲市身障福祉協会総務部長、リハ友サークル代表などの肩書を手に大阪から四国、九州まで講演活動に出かけるなど忙しい日々を送っている。講演の演題は「脳卒中後のバラ色の人生」。講演では歩くことの楽しさと「歌って笑うことこそ一番の妙薬」とリハ友サークル活動代表として仲間とカラオケ効果を訴えている。
相川さんは1988年12月30日に脳卒中で倒れ、大曲市の仙北組合総合病院で8カ月の入院生活を送った。まだ48歳の若さだった。当時は建具職人として働き、幼い子どもたちを育てるために懸命だった。
それだけに脳卒中という重い病気は相川さんを精神的にも落ち込ませた。自由の利かない自分の身体の悔しさに病院では看護師たちに毒舌を吐くなどわがままいっぱいの事を言い、手こずらせた。看護師にとっては困った患者だった。その時、相川さんに「そんなことでは一生、その病気から立ち直れないよ」と厳しく忠告した看護師がいた。そのひと言に相川さんは内心、カチンと来たが「負けてたまるか」と逆に開き直った。そして不自由なら不自由なりに自分の身体と付き合おうと病院でのリハビリに懸命に取り組んだ。
退院後はさらに足腰を鍛えようと雨の日を除いて杖を手に毎日、8キロ前後を歩いた。歩くことで健康も取り戻し、自信も付いた。そしてただ歩くだけでなく全県を踏破してみたいと夢を広げた。しかし、泊まり込みで全県を歩くのは無理なので、毎朝8時に家を出て、夕方5時まで歩いたらバスで帰ってくるという方法を考えた。つまりその日は横手市まで歩いたら翌日は横手市までバスで出かけ、そこから湯沢市まで歩いて帰宅するという計画を立てた。こうして94年5月12日から95年9月28日までの1年4カ月をかけて全県を踏破した。歩いた距離は493キロだった。
その同じ年に横浜市で全国脳卒中者友の会設立総会があり、相川さんは仙北組合総合病院リハビリ友の会の会長としてそれに参加した。その時に参加者が講演した「歌と笑いは副作用のない薬だ」の話に感動。相川さんは早速、仲間たちにカラオケサークルの設立を呼びかけた。それが「リハ友サークル」となり、病院のリハビリに通っていた女性7人を含む15人で会を結成し、今も活動を継続している。
同時に相川さんには全国脳卒中者友の会から「全県を歩いた時の体験を元に講演をやって、同じ病気で落ち込んでいる人たちを元気づけてもらいたい」と講演の依頼が来るようになった。こうして「脳卒中後のバラ色の人生」と題した講演活動が始まった。
一方のリハ友サークルは毎月第1、第3木曜日午後1時からを例会日とし、緑町のカラオケボックス「メロディー」に集まっている。メロディーも相川さんたちの活動に理解を示し、例会日にはマイクロバスで送迎してくれる。午後5時まで歌い放題で楽しむ。「みんな大笑いしながら会話し、終わるとストレスが解消して、伸び伸びした顔で帰ります」と相川さん。しかも、言語障害のある人は歌で次第にその障害が解消し、家族からも喜ばれているという。
何よりもいいことは「家に閉じこもってないで外へ出て、元気を取り戻すことだ」と相川さんは言う。病気で精神的な落ち込みから立ち直り、歩くことで人生を前向きに見つめられるようになった相川さんは01年12月からはパソコンも始めた。このパソコンも年1回郵便局から障害者のためにと寄贈される葉書20枚を使って、雑誌などに載る様々な懸賞に応募。偶然にパソコンが当たった。これからはパソコンの時代だとその使い方も習得し、今では全国の脳卒中仲間とメールで情報交換している。子どもたちも今は社会人となり、自宅では妻・竜子さん(54)と母のサヨさん(86)の3人暮らし。
そして県から委嘱を受けて身体障害者相談員の仕事もしている。「忙しくて今は余り家を開けてられない」と相川さん。さらには来月11日から開く障害者福祉を考える「福祉のまちづくり」勉強会の準備会の一員としても相川さんは参加。リハ友サークル代表として「歌って笑うことが一番の薬です」とその活動を紹介し、参加者を励ました。その相川さんは最後に「落ち込んだ時は自分の人生を見直し、発想の転換が必要だ。やらなければ行けないと使命感を燃やしても長続きはしない」と話した。