フリースペース To Be主催
登校拒否文化医療研究所の高橋所長の講演から(2)=9月28日・火=
大曲市のボランティアグループ「フリースペース To Be(事務局・日本キリスト教団大曲教会・横井伸夫牧師.)」主催の「子どもの自立を考える集い」が23日、同市の中央児童館で開かれた。臨床心理士で登校拒否文化医療研究所(東京)の高橋良臣所長と不登校・引きこもりの体験者2人が講師となって講話した。2回にわたって掲載する。今回は登校拒否体験者2人の体験談も掲載してます。
【子どもは親に何を求めているか】
親子は家族を形成しています。家族を形成する基盤は『特別な愛』です。家族がそれぞれにどんな『特別な愛』を持っているのかが分かれば、子どもが親に何を求めているのかは自ずから明確になってきます。もちろんその『特別な愛』は子どもや親の加齢によって変化していくはずです。子どもが親に求めているところは、親の側がしっかり見ていれば分かってくる事です。先入観は捨てて、不安の先取りや取り越し苦労もやめて、今、子どもと自分との間で起こっている状況を見つめて下さい。その状況が今、親は何をなすべきかを語ってくれます。
1.子どもが幼児の頃‥‥親の愛情に万能感、全能感を感じる
幼児は不快な事が起こってきた時に、親の前で「泣けば、すべてがうまく解決する」体験をしています。健全な親は幼児が泣く事で何を訴えているのかを推察し、幼児の不快な状態を改善するように気を配り、適切にかかわります。幼児の喜ぶ様相を見ることで親は自分の言動がどのような愛情であったかを確認します。この時期が愛情という点では親にとっては最も明確に自信を持てる時期です。幼児には自分の訴えで「親をも動かすことができる」自覚が芽生えます。『愛』に基づく信頼感もできてきます。しかし、それらの『愛』が『特別な愛』であるとは、まだ思うことができません。なぜなら、いつも無条件に与えられる親からの愛情は「特別なものであるはずはない」からです。
2.子どもが小学生くらいになった頃‥‥実物大の愛の発見、自分つくり
親たちは多くの場合、子どもの加齢にしたがって、愛情を徐々に変質させていきます。子どもの側でも周囲にいる身近な人びととのかかわりが増加していきます。幼児の頃のどんなことでも実現する『特別な愛』は、やがて現実的な対人関係のもとで等身大の『普通の愛』に修正されていきます。「自分の思いは全て実現する」という思い込みの時代から「親から与えられる援助と自分の活動によって、今までのような満足できる自己実現は起こる」事を確認していきます。幼児が児童へと成長していく過程で、自分つくりができ、親から与えられてきた全てのうちの一部分を自己負担できるようになったから実現する自己満足です。この時期に、その児童には何ができて何ができないかが明確ではないため、親子の間でしばしば強い葛藤が起こります。
それまでの親子関係で積極的な意欲を持った子どもは、何でもやってみたい気持ちを持ちます。人とも競争をして勝ちたい気持ちも持ち、物事に取り組む時に強いエネルギーを燃やします。このような状況なら、親は失敗させないように先回りしたり、余計な口出しはしない方がよいのです。失敗や成功を繰り返し、等身大の自己発見をしていくようになる手始めです。
3.子どもが思春期を迎えた頃‥‥自分づくりをしながらの自己発見
性成長が始まると児童期とは違った状態になっていきます。学齢期にある自分は「まだ親の世話になっているけれど、いつまでも親の言いなりになってはいられない」意識が心身の底から沸き上がり、強くなっていきます。本人にとっては理由もないのにイライラしたり、カッとなったりします。確かに親の下にいて、親からの愛情ある特別な援助はありがたいのだけれど、その援助が自分の本来の自分づくりの目的にかなう成長課題を抑圧しているような気分を味わいます。「せっかくやろうと思っていたのにィ‥‥」という思いから、自己実現の満足感は獲得しにくくなります。
反対に親や教師からは成長課題や自分づくりの課題を与えられた場合、子どもは自分の道を自分で歩むという思いを失います。
4.自発的な生き方か、反応的な生き方か‥‥自分の道を歩む
思春期までの子どもたちの多くは親や教師のご機嫌を取りながらも、親や教師とは無関係に自分自身の意思で生きていこうという内発的な意識を持ちます。これは自発的な生き方のスタートになります。
一方、親や教師の思惑や希望や方針に従い(反応して)生きていくことを余儀なくされるような状況も、この時期には起こりがちです。「親や教師のいう通りに生きていくことが、学校社会で生きていく上では必要なのだ」と思い込んでしまいます。自分の本音をごまかして生きていくことになります。偽りの自己を形成し、偽りの人生を送ることになりかねません。
思春期前後までの親子関係や子弟関係によって、自発的な生き方をするのか、他人の意思や希望に反応する反応型の生き方をするのかが分かれます。自分づくりをしてきた方向性を失わない子どもは「自発的な生き方」の道を選択します。親や教師が敷いたレールの上を歩んできた子どもたちの多くは、途中から生き方を変えることは困難になります。
5.思春期後期‥‥親への別離の予兆、親の価値観の間違い探し
「自分はいつまでも親のものではないし、親には間違いがいっぱいあることにこの頃、気がつくようになった」という高校生や大学生がいます。当然といえば当然です。愛情一つ取っても、小学生や中学生に注がれるような愛情は、彼らにとっては「迷惑な大きなお世話」で愛情ではなくなってしまいます。「アルバイトをしたい」「お金がほしいならお小遣いを増やすよ」「自分の自由になる金を自分の手で稼ぎたいのだ」「そんなに無理をしないで、少しでも勉強の時間を作った方が将来のためじゃないの?」「自分は勉強よりも社会体験をしたいんだよ」「そんなことを言っているとまともな大学には入れないわよ」「なんだよ。まともな大学って」「決まっているじゃない。良い会社に入れる大学よ」「バッカじゃネェーの。あんた、それでも大人かよ。自分がやりたい学科がある大学には行くけど、有名企業なんで関係ないね」‥‥どこにでもあるような親子のやり取りです。この高校生はどんなことを親に言いたいのでしょうか。
自分はいつまでも親のものではないし、これからは自分のできる範囲で社会体験をしてゆき、自分の自発的な生き方をすると宣言しているのです。このように順調に成長してきた子どもは少数派になりつつあります。
「親の歩んできた道は正しい。だから親の保護の下で、親に守られながら生きていくと良い人生を送ることができるに違いない」。自分はいつも親のものであるという思いを抱いている思春期後期の子どもには、親は多大なお世話と指導をしなければなりません。これは家族の基盤である愛情とは掛け離れたものです。
順調に成長しつつある子どもは親に対しては親が悲しむほどの憎まれ口をたたき、別離の方向づけをし、社会参加していきます。
いつまでも自分は親のものであると誤解してしまった子どもは、オーバーな言い方をすれば、親が死ぬまで親の脛(すね)をかじり続けます。
自分づくりから自分探し、そして自己発見して、自発的な生き方をし、良い連れ合いとのかかわりで愛を基盤として家族を形成していくことを願う親は多いはずです。子どもの反発を受け、耐える愛情を持って下さい。
【子どもが親に求めることは】
親子と言う対人関係は、それぞれ子どもの年齢によって変わってきます。併せて子どもの生き方が、どの程度自発的な生き方なのか、どの程度親の思いかなどをくみ取る反応的な生き方なのかによって変わってきます。どの子どもにも共通する一つの援助や一つのやり方はあり得ません。子どもと親との間にある状況が全ての意味を明確にしてくれます。したがってその状況を良く見ていなければ、子どもが出しているサインさえも間違えて解釈をしてしまう可能性があります。子どもが親の援助を求めているのか、子どもに任せてほしいと願っているのかさえ分からないと言う親は、親しい第三者である周囲の人びとの意見を聞くことも大切です。
1.自発的な生き方を求める子どもは
幼い頃は大変うぬぼれ屋です。「自分は何でもできる」という思いもあります。「何でも自分の手でやってみたい」という欲望もあります。その背景には親から与えられてきた子どもの言動に対する褒め言葉により子どもの心に自信が生まれてきます。
児童期になると積極的で好奇心旺盛になります。周囲の目も構わずに自分がやってみたいことに熱中します。興味や関心の多くは親から与えられた場合もありますし、自分から発見する場合もあります。場合によると周囲の人びとのひんしゅくを買うような場合も起こってきます。このように自発的ん生き方をしようという子どもにとって、周囲のひんしゅくを買う理由が分からない子どもの場合には親の出番です。「あなたは自分ではどう思うのかな?」「あなたがしていることをあなたは満足していても、周りの人が何で文句を言うのか分かるかな?」とか「あなたのやり方が周りの人に対して無神経だったかもしれない」ことくらいは言ってあげたいものです。それが愛のある親のかかわりでしょう。子どもの自発的な生き方を中止させることは良い方法とは言えません。
仮に「このような場合には、こうした方がいいよ」といった指図をすると子どもの自発性は損なわれがちになります。そのようにすると結局、子どもは親たちに反応的な生き方をしていくようになってしまいます。それまでせっかく自発的な生き方を試行錯誤してきた子どもの気持ちに冷や水をかけてしまいます。そのようなことは親の愛情の本意とは異なるはずです。親が自分の愛情を子どもに伝える時には「お前の好きにして良い」という親の許可や認可の影響を与えるような言い方ではなく、子ども自身が内省できるように思考方向の修正をしてあげるだけで良いのです。
ひたすら前向きに突っ張っていた子どもに対し「あなたは周囲の人びとのことも考えてきましたか?」という疑問を投げかけ、子ども自身が自分で「自分は周囲の人びととどのようにかかわってきたか」を考えられるようにしてあげることが大切です。
親が子どもにいきなり解決の技術や方策を教えることは、少しも愛情とはつながりません。そのようなやり方は、子どもの生き方を反応的な生き方に方向転換するように求めているようなものです。
親の愛情とは、子どもの生き方に見合うものでなければ、単なる大きなお世話になってしまいます。親が子どもの成長(自立)とともに親としての自立を果たしていかなければ親子で共倒れになる可能性も起こり得ます。「あなたがいなければ私は生きていけない」状態をつくることは親にとっても子どもにとっても好ましいとは思われません。
2.親の思いに反応しながら生きる子どもは
幼い頃から『良い子』です。親の言うことを良く聞き、言いつけを守り、勝手なことはしません。自分がやってみたいことをも犠牲にして、親たちから褒められるような生き方をします。「本当はマンガを見たいのだけれど、マンガを見ると親が叱る。でも、勉強をしていると『良い子だね』といって褒めてくれる。それなら親に褒められるようなことをしていよう」ということになり、本当にやりたいことは我慢してしまいます。
児童期になると指示待ち人間とか、許認可待ち人間になっていきます。指導者が指示を出さない限り動きません。仮に自分がやるべきことが明確ではあっても、指導者の許可や認可がない限り、手をつけようとはしませ。「掃除をしても良いですか?」‥‥あったり前だろう‥‥「勉強をしても良いですか?」‥‥やりたきゃやんなよ‥‥「ご飯を食べても良いですか?」「テレビを見ても良いですか?」といった具合です。第三者には「何でいちいち聞くのだろう?」と思うほど、親の反応を気にしているのです。
このように育ってしまった子ども(親はこのように育てようとは思ってもいなかったのに関係上、このようになってしまった子ども)は多くいます。そのような子どもにいきなり「あなたの好きにして良い」は、冷たい言葉になってしまいます。「好きにして良い」という時には本人の自発性があることを前提にしているのです。だから「どうしたら良いか」を聞く子どもには適切な答えにはなりません。
自発性がないままに育ってきた子どもが「どうしたら良いですか?」という時には、子どもと共に悩み検討していく真摯な姿勢が必要です。
たとえ親としては方向性や答えが分かっていても「どうしようねぇ」と返す余裕が必要です。この時が大切です。「今まではどうしてきたの?」と聴いてみるのです。「たいがいお母さんか、お父さんの希望通りにやってきた」「今度はどうしたいの?」「分かんない」「そうか‥‥困ったねぇ」。「あなた自身は本当はどうしたいの?」「よく分かんない」「そうかー。困ったネェー。自分のやりたいことが分かんないのかなぁー」「自分がやりたいことだったら分かるけどさぁ‥‥」「それなぁに?」「えっ!そんなこと言って良いの?」「いいに決まってるでしょう」「ほんとうはねっ。みんなと遊びに行きたかったんだ」「なんだ、そうだったのかぁ。そんなこと簡単だよ。今度こんな時に、はっきり言ってごらん。OKするから」「ヘェー。そうなの?」「当たり前よー」‥‥このような手順で何回も繰り返し本人の希望の自己実現に協力する忍耐が親には必要です。
3.親の愛はある時期から忍耐
ある時期から親の愛は忍耐という性質を帯びてきます。自発的な生き方をしている子どもに関してはもともと忍耐が必要です。それが親の愛です。
反応的な生き方をしている子どもには、親は途中からはかなり大きな忍耐を必要とします。時間を膨大に費やす忍耐、自信がない子どもに付き合う忍耐、いちいち確認してくる子どもに対して、本人の本意を確認していく忍耐などです。愛は忍耐強いのです。
自発的な生き方をしていく子どもはまともに親に反発をあらわに示します。そんな時に親は大人としての忍耐を示さないと、子どもは「こいつは駄目な大人だ」と直感してしまいます。忍耐は一層の円熟を生みます。そのような成長に親も向かうことで、子どもの成長は実現します。
Aさん(28)=男性・大学生=中学2年から不登校になった。理由は分からないが、ゴチャゴチャした人間関係に疲れた。友だちの関係からくる圧力、ストレスを感じた。いじめられたわけではないが、グループの中にいじめられている人がいて、いずれは自分がその立場になるのではないかという恐怖感があった。
親に「学校に行きたくない」と言ったら、「今日行かないと明日はもっと行けなくなるよ」と言われたが、どうしても行けなくて布団を被って寝た。お母さんが相談機関を頼って最後は高橋先生の所へと顔を出した。その高橋先生のやっている大須成学園(生活体験学園)に参加して、いろんな人とふれ合って中学を卒業した。高校へ行くつもりはなかったけど一からやり直すつもりで高校へ入った。しかし、高校も3回転校した。3校目が通信制の高校で、3年で卒業する人もいれば、5年、6年かけて卒業する人もいた。
自分は1年目は全く行かず、2年目からなぜか学校に行くようになった。通信制のスクーリングにも行けるようになった。同時に高橋先生のやっている好文堂教室(フリースクール)にも通うようになった。そのころから進路を考えるようになった。
兄弟は皆、大学生だった。高校を卒業して予備校へ1年間、まじめに通った。友だちはつくれなかったが幾つかの大学に合格し、東京の大学に入った。しかし授業に出なかったため先生から責められ、やる気を失った。その時、高橋先生から「ボランティアをやらないか」と勧められ、好文堂に行って自分より年下の子の面倒を見るようになった。
ボランティアで年下の子の面倒を見ているうち一緒にふざけて遊べるようにもなった。大学のサークルにも入れるようになり、現在は卒業を目指して頑張っている。
B子さん(21)=大学生=静岡市に住んでいて、東京の大学へは新幹線で通学している。小学校には普通に通った。中学校入ったら友だちと卓球部に入る約束をしていた。自分の入る中学は卓球部が強かった。しかし、部に入ると先輩後輩の関係がすごく厳しかった。また英語や数学が難しく、先生がとても怖かった。一方でクラスの女友だちがグループから仲間外しを受けるようになった。自分はその仲間には入らなかったが、いずれ自分もやられると思ったり、家に帰ると母親から「勉強しなさい」「後かたづけをしなさい」と言われ、休みたくても休む場がなかった。
夏休みが終わって9月1日の2学期が始まった朝、制服を着て学校に行ったが、次の日からは布団から出れなくなった。母親にはカゼで休むと言った。しかし、休むことに罪悪感を感じ、母親に部活で先輩が厳し過ぎるのを理由にして「もう学校に行きたくない」と話した。なぜ部活を理由にしたのかは分からない。多分、親を納得させるためにそう言ったものと思う。両親は共稼ぎだった。
このため幼い頃から自分は祖母に預けられ、祖母の家で大半を過ごした。祖母は保健婦をやっていてその祖母が高橋先生の講演を聴いた。そして「家の孫が」と私の不登校のことを相談した。その後、母も高橋さんと面談し、自分も交えての相談となった。そして高橋先生から20歳ぐらいの大学生のお姉さんを話し相手というかメンタルフレンドとして紹介された。
そのお姉さんが最初に訪問してきてくれた時、私は家の陰からそっとその人を覗くようにして観察した。そして自分で作った料理とご飯を茶わんに食べきれないほど山盛りに盛って、その人の前に差し出し「どうぞ」と勧めた。私が出した料理とご飯をどうするのか試して見たかった。その人は「おいしい。おいしい」とそれを食べた。しかも全部、食べてくれた。それを見てその人への信頼感が沸いて、その人と話せるようになった。
自分には幼なじみで一つ年下の女の子がいて、その子は社宅に住んでいた。その子が引っ越しして、隣の学区に移った。自分も別れたくなくて、自分の学区を幼なじみの子と一緒になれるよう移してもらった。自分が中学2年の時だった。一つ年下の女の子と再び中学1年からやり直そうと思った。しかし、その学校でも友だちが出来たが、4月の終わりには学校に行くのが辛くなり、1日行っては1日休むことを繰り返した。
ある時父親に引っ張られ校門まで行ったが、自分は学校に入るふりをして裏門から逃げた。それから3年間、保健室登校となった。友だちが部活のない時に家に遊びに来てくれて一緒にマンガ本を読んで帰った。
ある朝、学校の女の先生が自分の隣に寝ていたのでビックリした。その先生は「本当に朝、起きれないのか信じられず一緒に私と寝た」という。その先生から「学校に行こう」との説得を受けて、制服を着たが、足が動かなかった。それでその先生は「この子は本当に学校に行けないんだ」と理解してくれた。
父親は非常に威圧的な人だった。しかも無口で何を考えているのか分からなかった。父の仕事は3交代制の職場であり、夜勤を終えて帰ってきても私は寝ているため機嫌が悪かった。私はおばあさんの家に行くようになった。父もおばさんから言われたのか私を釣りに連れていくなど私と何とか交わるように努力した。
私は結局、高橋先生の紹介で大須成学園に参加することとなった。そこで自分と同じ静岡出身の人と知り合った。その人がメンタルフレンドの人と話をしているうちに私も高校に入りたいと思った。入った高校は茶髪の生徒、緑の髪の生徒もいた。服装も自由な学校だった。とにかく3年間、その高校に通って大学にも入った。
講師の高橋さんは二人の体験談を終えた後、「なぜ不登校になったのかと親たちは問いかけたくなると思う。しかし、まだ本人もその理由がきちんと心の中で整理され、構成されていない状態ではいくら原因を問い詰めても解明するのは困難だ。ただこの二人はボランティアに対して積極的に依存した。自立とは積極的に依存できることだ。一人で何でもやろうとするのは自立ではなく、孤立だ。親子関係がうまくいってない場合は、依存できる第三者が必要だ。それが学校の教師であり、メンタルフレンドであり、友だちだ」と話した。
登校拒否文化医学研究所のホームページは下記から。