いきいきビジョンまとめる
伝統の川魚料理の復活や文化の保存を提唱(8月3日・水)
大仙市角間川町では1日までに角間川地域いきいきビジョン策定計画「笑顔
行き交う この町に」をまとめ、市に提出した。地域いきいきビジョンは旧大曲市が地域の活性化構想を、その地域に住んでいる人たちの自主的な活動で作ってもらい、その活動に対して交付金を交付し、実現可能なものは事業化を検討しようと始めた。いわば現在、大仙市が旧市町村ごとに設立を進めている「地域協議会」のモデルケース。
角間川地域ではサブタイトルを「郷土の歴史・文化・伝統を学び未来につなぐ架け橋になろう」と謳っている。角間川町の歴史は古い。戦国時代は河曲川または、河隅川と呼ばれ、戦国諸大名の係争の地でもあった。徳川政権となった慶長8年(1602年)に佐竹氏に仕官を許された旧小野寺家臣団が入植して新田開発を始めたことから、同町の歴史が刻まれるようになった。江戸時代から明治38年(1905年)の奥羽本線開通までは雄物川での船運で栄え、明治29年(1896年)の町制施行時の人口は4500人余と記録されている。昭和20年(1945)には4700人とピークに達したものの、以後、減少の一途をたどり、平成12年(2000年)の記録では2418人となっている。
だが、いきいきビジョンでは「伝統食文化の復活と継承」と題して「川魚料理の復活と継承」をテーマに▽川に親しむ▽川魚料理の普及─を取り組むべき事業に挙げている。
角間川給人と呼ばれた侍たちは川での漁業(川狩り)、特にサケ漁での収益が江戸時代初期の新田開発の財源となった。そして歴代藩主が鷹狩りなどで角間川に立ち寄った際、川での漁を「川狩り」、水泳練習を「水れん」と呼んで、上覧させるのが恒例だった。給人は武士であり、農夫、漁夫でもあって、その川狩りの技術が現代に継承され、小魚のザッコむし、ザッコ田楽、カニダンゴ、カニ味噌など季節の変わり目に食卓に出る川魚料理となった。
川に親しむ事業では▽川港親水公園と雄物川河川敷の美化運動の推進で、河川愛護思想に努める▽町民と来訪者の遊びといやしの場として安心して遊べる河原の造成▽雄物川河原に散策路を設置し、自然観察とウォーキングを楽しめる場とする─としている。
また川魚料理の普及では▽川魚観察会、川魚収穫会などイベントの開催▽川魚料理の修得と伝承▽花見、グランドゴルフ大会など行事への参加者に川魚料理の提供と即売で「伝統ある食文化の継承と普及」を挙げている。
さらに雄物川と横手川の合流地点から上流にある大川橋までの雄物川右岸に魚道を設置し、川魚の誘導と繁殖、定住の促進や魚道の周辺にトチ・クリ・ハンテンボク・アカシヤ・エゴノキなどを植栽し、ミツバチを群がらせ、蜂蜜の生産も提唱している。また川港親水公園と魚道周辺を通る角間川バイパス沿いに川魚料理をはじめ、地域で採れる野菜・果物の直売とそれらを食べれるレストランを併設した「町の駅」の建設も提案している。
このほか昭和42年(1967年)、大曲市民俗無形文化財第1号に指定された「角間川盆踊り」の継承と拡大、そして明治14年(1881年)、明治天皇を迎えるために改築したという黒塀、旧川港に現存する浜倉の保存などに力を入れたいとしている。
ビジョンの提出は角間川まちづくりの会の佐藤孝次会長、石田秀雄、森川幸雄両副会長らが市役所を訪れ、栗林次美市長に提出した。
地域いきいきビジョン策定支援事業では大曲街部では「チャレンジカヌー」を、大曲農村部では「和と元気のある曲陽を目ざして」、花館地区は「花館の夢を乗せて、いきいきプラン」、大川西根地区は「みんなの夢を未来にたくし」、内小友地区は「美しい四季 癒しの郷構想」と「生かせアイディア創ろう未来」、藤木地区では「みんなが愛する藤木の里」を提出している。