開墾の父・横山敬英翁

大仙市大曲西根

開墾と自家発電で貧困の村を救った偉人(12月7日・水)

  大仙市大曲西根はテレビ塔のある姫神山(標高387メートル)を中心とする西山の麓に開けた集落である。昭和の大合併前までは「大川西根村」として独立していた。横山敬英翁は1914年(大正3年)から1926年(昭和元年)まで、その村の第7代・8代村長を務め、「開墾の父」として村人からあがめられ、尊敬された人だった。1951年4月19日、74歳で亡くなった時は「村葬」の礼をもって告別式も行われた。その横山翁は1877年(明治10年)4月29日生まれで、来年は生誕129年を迎える。横山翁の功績を代々、語り伝えてきた大川西根「昔を語る会」の有志の人たちは翁の生誕を1年先取りして来年4月29日に蛭川にある菩提寺「見秀寺」で、老朽化した墓地の移転改葬を兼ねた「生誕130年祭」を開きたいと企画している。開墾の父・横山敬英翁を語りたい。

  大川西根「昔を語る会」の会報によると横山翁は山形県新庄市に生まれ、17歳で教員採用試験に合格。22歳で裁判所書記として奉職。さらに農商務省職員となって秋田県入りし、森林主事として活躍。再び転職して三菱合資会社荒川鉱山庶務課職員となり、1913年(大正2年)秋田県巡査を拝命し、大川西根村巡査駐在所勤務となった。

  翁は駐在所員として赴任すると同時に本籍地を同村に移す。当時、村では村長が欠員中で後任の村長選出のため、村議会は適材をどうするかと色をなしていた。そこへ赴任してきた横山翁。村議会はその多彩な経歴、そして豊富な知識と高邁な人格に一目惚れし、この人こそ村長最適任者として就任を懇願。しかし、承諾は得たものの当時の制度上、2年の居住期間がなければ住民権がなく、村長になる有資格者ではなかった。このため法定上ストレートに横山翁を村長に選任するわけにはいかず、例外規定で公民権を与え、1914年(大正3年)6月14日の議会で出席議員の満票をもって当選させる。こうして38歳の横山村長が誕生した。

  翁が村長就任当時の村は戸数がわずかに295戸、人口2037人、水田面積は120ヘクタールしかなかった。しかも水田の一部は西山からの沢水を用水とし、雄物川からの水も取水源から遠く離れているため田んぼに生産力がなく、農家経済は極めて困窮していた。

  その窮状を目にした横山翁は村の苦境脱出には西山の麓に広がる原野、荒れ地を開墾するしかないと開墾事業計画を提唱。就任1年後の1915年には大川西根村耕地整理組合を設立させ、事業に着手した。

  一方で田んぼに必要な用水は雄物川から直接、くみ上げるしかないと自家発電を計画、太田町の真木渓谷に発電所を建設するという壮挙も買って出た。こうして1926年までに182ヘクタールの田んぼを開墾させ、旧田面積と合わせ約300ヘクタールもの耕地面積に増大。さらに真木渓谷の水力を利用した自家発電所の建設という事業もなし遂げ、村の農業経営基盤は確立させた。こうして昭和の幕が開けた1926年、変則2期12年の重責を果たして横山翁は村長を辞任。

  その後は再び県職員として県内自治体の発展に尽くしたが、1945年7月、当時の村長だった小原六兵衛氏(故人)が晩年になった翁を村に迎え、顧問的存在として74歳の生涯を終えるまで役場に勤務した。

  その横山翁が亡くなって30年後の1981年、翁の功績を知る当時の大川西根「昔を語る会」の故・小原徹二会長(秋田振興建設)が「郷土発展に尽くした横山翁の功績を後世に伝えたい」と顕彰碑建立を呼びかけ、開墾された田んぼを一望に見わたせる秋山の一角に高さ約3メートルの碑を建てている。さらに2000年10月には昔を語る会が翁の50回忌法要を営んでいる。

  その横山翁が再び話題になったのは2年前から。大川西根小学校の子どもたちが先人の偉業を学ぼうとして翁の業績を知り、蛭川にある見秀寺にある墓地を訪ねたことから。子どもたちが訪ねた墓地の墓石はそれほど風化してないが、ブロックで囲んだ周囲ボロボロに朽ちてみすぼらしい状態。

  「これがかつての大川西根村の村長の墓では気の毒」との声が出て、昔を語る会の有志の手で移転、建て直しの話となった。しかし、遺族の承諾も得ないで進めるわけにはいかず同会の佐々木眞一会長が昨年4月、翁のお孫さんで東京で会社経営者をしている布川立さん(57)に手紙を出した。布川さんは横山翁の娘さんの子息。生前、母がちょくちょく、墓参りのため見秀寺を訪れているのを目にしている布川さんは佐々木会長からの手紙を読んで、墓地の移転改築費は布川家で負担したいと返事した。

  そしてその打ち合わせのため布川さんが6日、見秀寺を訪れ、佐々木会長とも面談。その佐々木会長から「横山翁のお孫さんが東京から訪ねて来る」と聞いた栗林次美市長も強い関心を寄せ、「ぜひ、お会いしたい」と同日午後には大仙市役所を訪問。

  栗林市長は「横山翁の偉業は亡くなった小原徹二さんからも何度か聞いている。当時で182町歩もの田んぼを開墾させ、さらにあの真木渓谷に発電所を建設し、揚水機を運転させるなどの業績をうかがうと単に大曲西根の横山翁ではもったいない。大仙市全体にその功績を伝えるようにしたい」と述べた。

  栗林市長からそうした話を聞いた布川さんは「母は良く、村長をしていた父のことを奇想天外で突拍子もない発想を持った人だったと語ったものでした。大正のあのころでさえ宇宙に思いを馳せ、人間は将来、月に住むようになると言ってたものだと母から聞かされたものです」と思い出を語り、横山翁の功績を大仙市全体のものとしたいとする栗林市長の思いやりに感謝していた。

  真木渓谷に建設された発電所及び開墾工事、揚水場建設運営費の総工費は米1俵7円84銭だった当時で74万4089円と多額だった。その工費は当時の大曲町の地主からの援助、そして勧業銀行から融資を受け、年賦償還した。発電所は1971年7月に廃止されている。