佐藤羽後町長が出馬表明
県庁で会見=県政刷新を目指したいと決意(2月8日・火)
任期満了に伴う今春の知事選(3月31日告示、4月17日投開票)に立候補の意欲を示していた羽後町の佐藤正一郎町長(51)は8日、秋田県庁で記者会見し、「トップダウンの意思決定や県民の意識と乖離(かいり)した強権的な体質が表面化した『知事が主人公の県政』から『県民が主人公の県政』へと県政刷新を目指して立候補することを決意した」と正式に出馬表明した。知事選には現職の寺田典城知事(64)も12月に3選目指して立候補を表明しており、佐藤氏が2人目の候補となった。共産党も候補者擁立に向けて動いている。
佐藤氏は県庁記者クラブで「私、佐藤正一郎は3月31日に告示される秋田県知事選挙に、立候補することにいたしました」と用意した声明文に目を通しながら、淡々とした口調で読み上げた。
声明文には自らの経歴も書かれていた。県立大曲農業高校農業科を卒業したこと、卒業後、農業に従事し、派米農業研修生として2年間、アメリカに滞在したこと、帰国後の昭和55年(1980年)3月、羽後町議選に初当選し、3期11年間町議を務めたこと、そして地域活動として「うご牛まつり」「ゆきとぴあ七曲」「嫁来いトラクターデモ」などの企画と実践に携わり、羽後町の地域おこし運動の一翼を担ってきたと自己紹介した。
平成3年(1991年)3月、町長選に立候補、さらに6月の出直し選挙にも立候補したが、落選。再び農業の現場に戻り、大豆の集団転作、スイカ、イチゴの栽培に従事し、「冬は岐阜県で土木作業員としての出稼ぎも経験した」と述べた。そして「平成7年(1995年)、3度目の立候補で羽後町長に当選し、これまで3期10年間にわたって職務を全うしてきた」とも語った。
だが寺田県政の評価になると次第に語気を強め、「8年前、食糧費問題で県民の信頼を失い、その怒りで寺田県政が誕生。山積していた県政の課題解決に取り組んだ頑張りに私も敬意を表していたが、2期目の言動と政治手法には不安を感じるようになった」と訴えた。「食糧費問題を解明し、県職員のあり方を厳しく問いかけ、綱紀粛正を誓った知事自らが、県の第3セクターである秋田空港ターミナルビルの交際費で、飲食やゴルフを繰り返していたことは許されることではなく、県民の一人として理解できない」と言い切った。
さらに政治姿勢として▽無所属で県民の目線で判断する▽政党や各団体との連携を重視する▽利益誘導、職権乱用はしないなどと表明した。
会見には佐藤町長の立候補に同調した元大潟村長で新しい秋田を考えるフリーの会長の宮田正馗氏、それに羽後町の若手会社経営者ら4人が同席した。
立候補を決意したのは1月末だったと述べ、「政党が候補者擁立に向けて動き出しており、誰かが出てくると思っていたが誰も出ない。これではいけないと仲間の町村長と意見交換したら、同調する人もいて昨年秋頃から立候補を考えていた」と明らかにした。
市町村合併に関しては「時代の変化と同時に交通事情、通信事情、日常の生活圏も拡大しており、新たな枠組みが作られることは賛成だが、合併はそこに住んでいる人が最終的に判断すべきで、合併しか生き残れないというムードだけが作られてきたのはどういうものか」と寺田県政が進めている合併の手法に疑問を示した。
佐藤氏は羽後町長として県内の他市町村に先駆けて「合併しない」と自立を表明し、行財政改革をまとめ、支所の廃止、証明書交付の郵便局への委託、保育所の民営化など業務の見直しを進めている。
選挙運動に関しては「私の思いに支援してくれる方を募り、全県的に戦える体制を作っていきたい。そのため自民党をはじめ公明党、社民党に支援をしていただきたいとお願いしている。また農業団体、連合など労働者の団体、地域の商工業団体にも幅広く支援を呼びかけていきたい」と述べた。
寺田知事の行政で評価する点では「厚生連病院の改築に県も相当の負担をしていこうとする姿勢は評価できる。しかし、私は県内医療のバランスを考えながら、もっと積極的な支援を考えたい」と語った。寺田知事の「道州制」に関しては「そこまで県民の意識はまだ高まってない。道州制が果たしてこの国に馴染むのかも議論の余地があり、喫緊(きっきん)の課題ではない」と述べた。
最後に佐藤氏は「私の住んでいる地域は携帯電話も通じない所もある。そういう地域に住んでいるものが知事選挙に立候補して、県民にいろんな夢を語る。こういう幸せなことはない」とも語った。選挙戦に向けた後援会事務所は秋田市に設ける。
佐藤氏の立候補に対して寺田典城後援会長の阿部三琅氏は「8年もやってきただけに批判も出るのも当然だし、その批判を乗り越えて寺田県政3期目の仕上げに向けて頑張りたい。寺田さんが知事になって一番良かったと思えるのは、県民と知事の間が間近になって自由に話せるようになったことだ」と話した。