子どもの自立を考える集い

フリースペース To Be主催

登校拒否文化医療研究所の高橋所長の講演から(1)=1月26日・水=

  講師の高橋さん大曲市のボランティアグループ「フリースペースTo  Be」主催の「子どもの自立を考える集い」が23日、花園町の中央児童館で開かれた。講師の登校拒否文化医療研究所の高橋良臣所長は「責任を感じるよりも支援することを」と題した講演を行った。2回にわたって詳細を掲載する。

【日常生活が乱れる意味】…自律性の喪失

  登校拒否になっていく子どもたちの多くは日常生活が不安定になっていきます。学校集団などに馴染めないという違和感を持ちます。自分自身の言動や社会システムなどの状況に関して心に葛藤を起こし、悩みます。対人関係に関しても周囲に違和感や不信感を抱き、苦悩します。

  自分の生活を巡る状況や関わる人々との間に共通した生活の流れや、共通した正義感などが発見できなくなり困惑します。一人で考え込んでいる間に周囲の人々は先に進みます。やがて現実の生活や同世代の仲間からは孤立していきます。孤立しそうな子どもは必死になって母親にすがり付きます。母親から現実感の獲得や生きている人間の感性を確認したいからです。母親に依存するのは子どもが獲得してきた「信頼感や生」そのものを確認できる相手だからです。

  1.違和感の始まり…同世代共同体の流れ…学校などでの時の流れ
  学校という組織は同世代の子ども同士の集団として、子どもの心身にはとても大きな影響を及ぼします。子どもは学校で多くの時間を過ごします。その時間は教科ごとに区切られ、役割ごとに流れが変わる場合もあります。その区切りや流れは必ずしも自分のペースに合っているわけではありません。自分のペースとは異なるペースだと子どもはここでも抵抗を感じます。

  また、他の子どもとの共同作業が多くなります。他の子どもは自分とは違った感覚を持っているのです。さらにその同世代共同体は最大公約数的ん共同体感覚を、いつの間にか形成します。それは学校の規則や教師の指導によって条件が変わってきます。子どもたちは共同体に参加することで、自分の心に協調性を形成していきます。この協調性の形成(獲得)はうまくいけば集団適応につながります。協調性の獲得に関して、違和感を感じた場合には、集団不適応を起こしやすくなっていきます。

  家族の中では違和感を感じなかった子どもたちも、他人が集まる集団では違和感を感じる場合があります。多くの子どもはそれまでの遊びや体験や対人信頼関係などで、多少の違和感については感じたとしても、やり過ごすことができますしかし、個人的なこだわりが強い(個人幻想が強い)子どもの場合、その集団には馴染めなくなっていきます。

  集団から離れた生活で社会的なリズムを見失います。社会的なリズムは人間の生理的な自律のリズムとはかなり連動しています。自律性の喪失は疲労を生み、疲労は緊張を生み、緊張は不安や恐怖につながりやすくなります。生理的な身体感覚から始まって心の機能に異変をもたらすのです。ここに悪循環が起こってきます。

  誰もがこのようになるわけではありません。身体感覚や心の機能が硬化している(一定の強い枠を持っている)場合にこのようになりやすいのです。言い換えれば融通が利かないとか、こだわりが強いとか、ささいな変化も気にするような子どもたちです。その根底にある心には基本的な信頼感の不足があります。数々の不都合な体験から、また、混乱している時の援助が得られなかった体験から、基本的な信頼感は失われています。また、生育過程で養育者との間に、もともと基本的な信頼感を獲得できなかった子どももいます。

  2.違和感から起こる様々な現象
  登校拒否の子どもは学校集団や学校生活から離れていきます。それだけではなく、家庭内に居続けて、様々な反応を示します。

  目立つのは母親への依存です。同世代集団に違和感を感じて孤立した子どもは、かつて学校集団に参加する前には違和感を感じなかった、良く馴染んでいる母親のそばに居続けます。しかし、その母親も実際には年齢を重ねて、子どもが幼かった頃の優しさとは異なる性質の気持ちを持つように変化しています。それでも子どもは母親のかつての優しさを引き出そうとして、疲労した母親と子どもとの間に揉め事を起こします。子どもはかつて体験した良い思い出にこだわりを持っていて、何回もその良い思い出を再実現しようとします。その要求の強さに親たちは疲労します。このような時には子どもは外部の人々とのつながりを回避します。

  日常生活習慣の乱れは当初からあります。朝起きない(起きられない)、夜眠れない(眠らない)、家族との生活時間が合わなくなる、着替えない、学習には手がつけられない、その他似たような反応があります。

  一日の過ごし方にも偏りが出ます。ほとんど一日中同じようなことを反復して時を過ごします。ゲーム、パソコン、マンガ、テレビ、クッキング、人形遊び、プラモデル作り、昆虫や動物の世話、人間関係には無関係な区切りがない時を過ごしています。

  家にいる母親などに話す内容も、過去の辛い体験ばかりを繰り返し話します。また話している相手である母親に対する罵(ば)りや父親に対する不信感なども多くなります。嬉しかったことや楽しかったことには触れません。しかも、母親に対する感情の起伏は激しく、気分は安定しません。

  大概は自分が気にしていることにこだわり、それ以外に対しては否定や拒否をします。その否定や拒否が恐怖にまでなっていく場合があります。例えば清潔にこだわる子どもは何回も手を洗い、家の掃除を繰り返し、不潔に関する恐怖感をあらわにします。

  3.子どものペースに合わせた寄り添い
  登校拒否状態になっている子どもたちの多くは、家の外の社会的な動きには「ついていけない」と思い込んでいます。また「学校の勉強にはついていけない」ともいいます。「だから、もう何もしなくてもいい。何もしたくない」といい、無気力になる子どもがいます。そのように言う子どもでも、心のどこかで「友だちがほしい」「友だちがいる学校へは行きたい」と思っています。あるいは「遅れている勉強だけでも取り戻したい」と思っています。そのような気持ちは焦りを生みます。焦る気持ちが空回りして、希望がうまく運ばない場合もあります。そこで信頼できる人が混乱している子どもに寄り添い、子どものペースメーカーとなり、子どもの希望が実現できるように支援していくことが必要になります。

  最初から信頼できる人がいるわけではありません。最初はその子どもとの趣味などでつながりを作ります。趣味などでつながりが出来たら、頻繁に会う機会を設けて、親しみを感じられるように努力します。親しさを形成していく関わりで知ることができた本人の心の問題に少し触れます。その上で、子どもの気持ちを支え、子どもの混乱に関わっていくことが大切です。十分に子どもの言い分を聞き、その時、ていねいに子どもの状態を観て子どもが希望するような関わりをしていきます。性急に結論を出そうとするとしばしば行き詰まります。子どものペースに合わせた関わりは、必ず子どもの心の成長を引き出します。

【イメージとしての自分】

  親たちは子どもには「あまり苦労はさせない」ように育てています。よその家の子どもが持っているものなら「ウチの子どもにも買ってあげよう」とします。子どもの方ハ「ウチは何でも買ってもらえる」「ウチは何でも買える」と思い込む場合もあります。学習時間の確保のために、母親が一生懸命に家事をして、子どもの手伝いを要求しない場合もあります。そして、相当な贅沢をさせる場合もあります。そこでできるイメージは後にかなり多くの問題を引き起こします。子どもは「ウチは金持ちだ」と思い込み、子どもは自分からは働く準備をしなくなります。「周りが自分のために働くから自分は働かなくてもいい」と誤解します。子どもは「なぜ働かなければいけないの?」「自分が働かなくても食べていけるくらいは親がお金を残してくれる」と本気で考えてしまいます。親子関係だけではなく、最近のIT機器によるコミュニケーションの取り方においても、このようなイメージはできてしまいます。対面式の対話ではなく、インターネットを介在してのやり取りが、普通になっている人々にとっては、かなり現実的ではないイメージに支配される場合があります。

  1.イメージとしての自己と現実の自己との食い違い
  「自分のウチは金持ちだ」、「自分は働かないで、好きなことをしていればいい」、「何でも手に入るから、生活に困ることはない」という強烈なイメージを持っている子どもがいます。その子どもたちは「嫌なことはしない」と宣言します。「親はなぜ嫌な仕事をしているのか分からない」とか「嫌な仕事ならやめてしまえばいいのに」とか言います。

  「嫌な仕事をしてでも稼がなければ食べていけない」現実が分からないままに成長した登校拒否・不登校の子どももいます。たとえば専門家といわれる人々であっても現実的には「それが全て好きな仕事だけ」であるはずはありません。

  登校拒否気味の子どもから「私は何をしたいのか分かりません」「やりたい仕事がありません」と相談されました。「自分がやりたいことが自分では分からない?」という不思議な言い方です。心の自分、身体の自分、イメージの自分がまとまらないというのです。その子ども(人)は成人していました。薄化粧もしていました。一見、「良家の子女」です。が、現実的には両親は「日ごろの生活にも困るほど大変」だといっていました。しかし「この子だけは何一つ不自由なく育ててきました」と言います。家族間の交流や共通理解が欠けています。普通は親子の生活を共有した上で対話します。「ウチは貧乏だけれどお前が学ばなければならない年齢の間は、お父さんもお母さんも頑張る」という関係が親子間では共通理解として生まれて来るはずです。親子間の生活交流による共通理解が欠けていて、何不自由なく育てられた場合、「親がそんなに大変なら、自分にできることくらいは自分でやってみよう」という気持ちが育ちません。

  このような子どもが多くなってきたのは、親自身の心の問題かもしれません。「思春期のあの苦労を子どもにはさせたくない」という否定的な思いが強いのかもしれません。「思春期のあの苦労をしたから今日の自分がある」という肯定的な評価が獲得できていないのです。学歴が良ければ、お金があれば、高い地位があれば、もっとましな自分になっていたという、負のイメージを作っている可能性があります。このように親たちは現実の生活の中から負のイメージを強化しています。子どもが非現実的なイメージに逃れ、支配される根拠の一つになる可能性もあります。

  2.インターネットでのイメージは現実と違う
  私は電話で相談の予約を受け付けてから心理面接をしています。電話予約でのイメージと現実に対面した時の違いはかなりあります。同様にメールのやり取りでできる相手に対するイメージと、実物の人はかなり違います。今時の子どもたちが知らない人と好んでメールのやり取りをするのは、自分がイメージした、演じたい自分に変身できるからです。

時には優しい自分、時には冷たい自分、時には正義感が強い自分、時には意地悪な自分にもなれるのです。果たしてそれが本当の自分かどうかはメールをしている自分でも分かりません。おそらくそれらは、本人が希望する数々の要因であろうという予測はできます。しかし、それらの多様な自分をどのようにして、現実の自分と結びつけることができるのでしょうか。
  自分の実態を知らない相手だから、その時の自分が理想とする人柄のイメージで作った自分で、メールができているという現実を理解していなければ混乱するだけです。知らない相手とのメールでの交流には「本当の自分」だけではなく「演じてみたい自分」も含まれているのです。

  実はそれも本当は「やりたいこと」なのです。本人はメールという非現実の世界での出来事なので、現実の社会に引き戻されると「やりたいことが分からない」状態になってしまうのです。あまりたくさんの人柄の役割を担ってしまうと、現実の社会では「何をしたらいいのか分からない」自分が浮き彫りになってきます。

  その全てが自分の希望であり、現実とすり合わせてその中から、実現可能な幾つかを候補に挙げれば良いのです。が、そのためには対面して出来る対人関係が必要になります。

  3.対人関係から生まれる現実感
  日常生活が安定していて、社会的に健全な対人関係ができている人との関係(対話)が必要です。その相手との関係から生まれる共感は現実的な共通理解です。共通理解は自分の心の状態にふさわしい自分自身を引き出してくれます。共通理解は社会に通じるものとなります。生身の人間との関わり(交流)がその時の現実にふさわしい「自分自身」を明らかにしてくれるのです。これはバーチャルリアリティの世界では体験できにくいことです。メールなどによるバーチャルリアリティの世界では、非現実的なイメージだけの自分を出すことが可能ですが、生身の人間を前にしての対話では、言葉のリズムや音質、音量、表情や身振り手振りも含めて、また服装も全てあからさまになるのです。仮に演じていたとしても、相手次第では分かってしまいます。

  対面対人関係の継続によって、それまでまとまりがつかなかった本当のやりたいことが明確に自覚できるようになっていきます。自分の心と身体という現実を無視したイメージだけの世界で、しかも文字を通しての関係では、非現実的な自分のみが大きくなってしまいます。しかし、自分も相手も心と身体という現実を持ち、お互いの心と身体から出てくる言葉での関わりは、、まさに心と身体が一致し、現実に結びつけてくれるのです。電話相談やメールの相談を否定するものではありません。文章力や言語表現力があり、イメージ抜きであれば相談はうまく行くでしょう。しかし、対面した対人関係の方がもっと理解は高まり、深まり、広がるはずです。

登校拒否文化医学研究所のホームページは下記から。

http://www.asahi-net.or.jp/~pr8y-tkhs/index.htm