不登校・引きこもりへの支援

子どもの自立を考える集い

プレイセラピストの左近さんの講演から(7月17日・日)

  大仙市大曲のボランティアグループ「フリースペーストウービー」では16日、同市大曲花園町の中央児童館で、子どもの自立を考える集いを開いた。講師はプレイセラピスト・スクールカ
ウンセラーの左近リベカさんで「モヤモヤを子どもと言葉で交わす時」をテーマに講話した。左近さんはルーテル学院大学を卒業。社会福祉学士を取得して、同大学の職員に。02年から03年まで英国サリー大学院心理学部に留学、遊戯療法(プレイセラピー)を学び、遊戯療法士(プレイセラピスト)として、不登校、喪失体験、虐待経験など困難を抱える児童を対象
にセラピー活動を続けている。

  今回の講演内容の概要は次の通り。

  私はセラピストとして、またはスクールカウンセラーとして、第三者として子どもの側にいます。いつも自分の理解に限界がある、でももっとわかりたい、もっと自分の心の「引き出し」を増やして接していきたいと思っています。今日はまだまだ未熟な自分の引き出しの一部分を引っ張り出しつつ、子どもと会話する際に心がけていることをお話させていただきます。

  一つの短いお話があります。「勇敢な6人の盲人」という話です。ある村に6人の目の見えない人がいました。ある日、大きな物体が村で見つかったと聞き、おっかなびっくり、勇敢な6人がそれが何であるかを調べる為に集まりました。その物体は「象」だったのですが、目の不自由な彼らは「これはなんだろう」と触り、それぞれの意見を言い始めました。1人は耳を触りながら、これは「大きなうちわ」だ。2人目は足を触って、これは「太い木」だ。3人目は細いしっぽを触って「これはロープだ」。そして、4人目は牙を触って「これは槍だよ、間違いないさ」、5人目はわき腹を触って、「とてつもなく高い壁だよ」、と自信満々。そして最後に6人目は鼻を触って「これは蛇だよ」と答えるのでした。彼らは自分の意見のみを信じて口々に「象って言うのはうちわみたいな生き物なんだな・・・」「太い木みたいな・・・・」「ロープみたいな・・・」などといいながら、それぞれ帰って行きました。

  この話を考える時、物言わぬ象を相手に全体を知るにはいろんな人の視点が必要であり、いろんな意見を聞いて「想像力をもつこと」が必要なのかと思うのです。これは人と接する時にも通じるのです。「静かな人だよね、いい人だね、まじめな人だよね、普通っぽいね」とはっきりとした1つのレッテルを外部から貼られる時に、人は自らを語りにくくなるような気がします。「こんな面も、こんな趣味も、こんな話題もあるんだ」と発見しながら関わり合うからこそ、会話が広がっていくと思うのです。前回は、私がモヤモヤを抱えている子どもとの関わりで心がけている「ご・ま・か・さ・な・い」という言葉をつかった6つのテーマの中の一つ「い」、「いっしょにいる」ことについてお話をさせていただきました。そして私が子どもの側に寄り添う時に大事に考えている3つのことをお話ししたのです。

  1、 マニュアルはない・・・お互いの係わり合い方に正しい方法も間違った方法もない。
  2、 限界がある・・・自分に限界があることを知りつつ、相手にも限界があることを気づく。
  3、 自分を大事にする・・・相手に自分を合わせるのではなく、「自分」のままで側に寄り添い、大小の自然な変化に存在する。とお話しました。

  今日、お話しするところはもう少し具体的な部分です。紙面を見ながらお聞きください。「会話」を成立させるために、一番必要なのは「い」にあたる信頼関係づくりかもしれません。そのために、心がけているのが下記の「ごまかさな」の5つのテーマです。

  子どもに対して、
  ご めんと言えるように努める(限界がある場合に理由を伝える)
  ま じめに答えるように努める(誠実に向き合う)
  か えようとしないように努める(自分も相手も変えようとしない)
  さ ぐらないように努める(自分の興味本位で会話をつづけない)
  な ぐさめないように努める(同情するよりも共感する)
  い っしょにいるように努める(ありのままで側にいる)
  一つ一つを具体的にお話していきます。

  ○ご めんと言えるように努める(限界がある場合に理由を伝える)
  誰かにぶつかった時に謝ることはたやすいのに、自分の言動が間違いだったと知ったときに子どもに謝ることは時に勇気が必要です。私が出会った13歳の子どもは小学生まで手のかからない子、といわれていました。ところが、中学に入ると親の言うことや行うこと全てにひっかかってくるとのこと。(例:「今日は〜するって言ったじゃん!」「お母さんと話していてもつまんない!」「コロッケなんてやだ、カレーにして!」等、一見、幼い行動をくり返します。親御さんは「後にして」「今、手が離せないから」「もう、〜時間でしょ」となるべく自分が疲れないように、会話を中断していました。ところが、その子はある時期から会話をしなくなり、反応もしなった、というのでした。私は、2つのことに気づき、親御さんに提案させていただきました。ひとつは親御さんの都合で子どもの用件を後回しにした場合には理由を伝えながら謝ることを勧めてみました。もう一つは子どもの言葉の聞き方を変えてみることを提案したのでした。例えば、「話してもつまらない」はもしかしたら「もっと私の話を聞いて」というメッセージがこめられていたのかも。「今日〜するって言ったじゃない!」というのは文句ではなく、「楽しみにしていたんだ」というメッセージにも聞こえるのでは、というように。その親御さんはその後、「今は〜やってて忙しいから、5分後でいい?」「さっきは〜していて手が離せなくって話を聞けなかったけど、ごめんね」と自分の限界を見せながら、理由を加えるのでした。会話がすこしずつ増えているという報告を聞きました。

  ○ ま じめに答えるように努める
  これは何もかも、大真面目に答える、と言う意味ではありません。相手の言葉を受け取る、ということです。子どもとの距離がグッと近づくきっかけをもたらしてくれる会話方法、「ミラートーク:鏡のような反射会話」についてお話したいと思います。極端な例ですが、相手に「空をとびたい」と言われたとします。「なに言ってるの?!」などと言いたくなるかもしれませんが、「ミラートーク」では「空を?飛びたいの?」と言う風になるのです。先程の13歳の子どもの例であれば「コロッケなんてヤダ!カレー作って」と言う場合にも「今日はコロッケムードじゃなかったか・・・・カレーねぇ・・・」となるのかもしれません。「勉強なんてしたくない!いや!」と言われる場合には、「そっか、したくないよね。疲れた?」という具合です。ちょっと、まどろっこしく思えるかもしれないこの会話が、なぜ良いのかといいますと、このことで「自分の言葉を聞いてくれている」という実感を相手が持てることがあるのです。また、こちら側も「一息入れた会話」ができるので、感情的な会話を回避しやすいように思います。

○か えようとしないように努める
  私たちは状況が自分の思い通りにならない時に、相手を変えたくなることがあります。または「あなたのことがとっても心配なの」とその心配を相手に渡して、自分の重荷をおろしたくなるのです。ですが、相手を気づかうのと自分の不安を相手に丸投げすることは異なります。このことで相手は「変わろう!」と積極的に思い直すというよりは、むしろ不安のみを受け取って、「相手の理想像に合うように変わらなくては!」と無理をするかもしれません。以前に、11歳の男の子と出会いました。その子はいつも学校に行く前に吐き気をもようしていました。そんな中、親はこのままでは、と心配して学校まで送って行ったり、いくつもの病院に連れて行ったりしましたが、原因があいまいなままでした。私がお話を聞くと、ご両親はこの子に次の年の中学受験をがんばってほしい、と願っていました。男の子は友達と同じ中学にも行きたい気持ちと、親が願う中学にも行った方がいいかな、という考えの中間で迷っていました。親の心配や期待を丸ごと受け止めて、変わらなくちゃとがんばっていたように見えました。そのことをじっくり考え、「自分で次の道を選択できた」後に症状は少なくなっていったのでした。

○さ ぐらないように努める(自分の興味本位で会話をつづけない)
  私は面接で出会う子どもに対してめったに言わない言葉がいくつかあります。それは「なぜ」「どうして」です。先程の11歳の子どももそうですが、「なんで、吐き気がするの」「どうして学校に行きたくないの」と聞かれることは、大人が「知りたい」情報であったとしても、子どもにとっては難しい質問のようです。なぜなら、その目に見える部分とは接点のなさそうなところに本人もわからない「わけ理由」があることが多いためです。緊張すると震える、おなかが痛くなる、びっくりして冷や汗が出て、ドキドキするなどと心と身体はつながっており、ストレスがあると身体に表われることが多々あります。だからこそ、一部分を知ろうとするのではなく、全体を見ながら、答えをだしていく必要があるのでしょう。仮に答えが本人から語られたとしても、それはいくつかの答えの中の1つであり、その言葉の背景を知ろうとする想像力が聴く者には求められるのではないかと感じています。

  ○ な ぐさめないように努める(同情するよりも共感する)
  私たちの心が固まるのは相手に同情されたと感じる時かもしれません。逆に心が温まるのは共感してもらったと気づく時かもしれません。辞書を引くと意味が似ているこの同情と共感のどちらかが良い、悪いとはいいませんが、「大事な人を亡くした子どもと家族を援助する」活動に私が携わっている中で、このような言葉を聞いた事があります。「あなたの気持ちがよくわかります。」と言われるよりも「あなたの気持ちを十分にわかってあげられないけれど、大変だったでしょうね。」とだまって、肩を抱いてくれた事の方が慰められた、と。それぞれの感じ方やタイミングも影響はするかもしれませんが、こちらが発する言葉は、相手の心のどこに位置づくかで信頼関係が築けるチャンスになるように思います。そのことで、「いっしょにいる」基盤ができるのだと考えます。

  ○ おわりに
最後にすこし、遊んで見たいと思います。お渡しした紙に3つの絵があります。1→2→3 これらは見方や視点、方向を変えることで見え方が異なってくる図です。初めに見た時にはAの見え方しか考えつかなかったのに、Bの見方を知ると今度はAとBどちらにでも見えてくる図ではないでしょうか。このように人の見方、言葉の交わし方も多面であるのだと思います。現代は「ひとりで、はやく、できること」がよしとされがちだ、と先日読んだ本にあり、印象に残りました。今日、お話させていただいた「時間をかけながら」「いろんなやり方をさぐる」と考えることはその現代の流れに逆らう言葉かもしれません。

ただ、「モヤモヤを抱える子どもと言葉を交わす時」に5点: 
・ 限界がある時には理由を言う(こちらに非がある場合は、あやまる)
・ ミラートーク:鏡のような反射会話をする
・ 自分の不安と相手の不安を混ぜない
・ 「なぜ?」「どうして」は難しい質問
・ 同情よりは共感する  
といったことを心がけることで信頼が築け、時間はかかっても会話が広がっていくと私は信じて実践を心がけております。最初にお話した物語で象を触った目の不自由な6人の賢者が一つの輪になって語り合った時、「象」の姿は多くの面をもつ1つの物体となって、想像することができるのでしょう。人と接する時には自分がその人と向き合う際にどれだけ、想像力をもって相手の態度や言葉を受けとめ、こちらの視点を多く養うかが大事になるのかなと思うのです。これからもいろいろな見方ができるように、多くの方の話をうかがい、自分の内に子どもの側にありのままでいるための「引き出し」を増やしていきたいと思います。ありがとうございました。