フリースペース To Be主催
登校拒否文化医療研究所の高橋所長の講演から(2)=5月1日・日=
フリースペースTo Be(代表・日本キリスト教団大曲教会の横井伸夫さん)主催の「子どもの自立を考える集い」が24日、大仙市大曲花園町の中央児童館で開かれた。講師の登校拒否文化医療研究所の高橋良臣所長は「子どもへの理解の進め方」をテーマに講話した。2回にわたって詳細を掲載する。
【不登校・閉じこもりのルーツ】
登校拒否や閉じこもりはかなり古くからありました。あるいは言い方を変えて、登校拒否になった人々が示す反応は遣唐使の一部にもあったと報告されています。もっと古い話ですが、天照大明神の神話は閉じこもりの話です。古くからそのような状態になる人が存在していた形跡があります。こんな話を持ち出したのは後に遺伝子の話しもしたいからです。
登校拒否や閉じこもり状態になることは「他人とは会わない状態」を作ることです。全ての人を会わない対象にすると閉じこもりです。学校関係の人を会わない対象にすると登校拒否です。人が他人と出会うのは根源的には社会性の獲得のためですが、もっと生物学的根源でものを言えば、子孫を残すためでもあります。子孫を残す残さないはかなり重要な問題です。少なくても登校拒否や閉じこもりの人々は子孫を残すことに関しては、背を向けている人々です。こんな見方をする人は滅多にいませんが、獣医師として生物学的に見るとそういう根源的切り口もあるということです。
1.全ての人に欲望はあるが
人間にも動物と同様に欲望はあります。その欲望は本人を取り巻く環境や関係に強く影響されて表出化しない場合もあります。特に心身反応が起こっているような場合には、欲望は感情や身体の表面には出にくくなっています。冷静に考えると欲望は環境や関係だけに影響されるものかどうかは明確ではありません。多くの動物たちは環境や関係や遺伝子の影響を強く受けています。人間の場合のみ遺伝子の影響を排除する明確な理由は見当たりません。人間の場合、遺伝子の影響は他の動物たちより少ないであろうことは想像できます。が、無視はできないでしょう。
少なくとも家に居続ける人々には社会的な欲望は矮小化しているものと考えられます。もう少し逆上れば、彼らの多くが登校拒否や閉じこもり状態に入る前から、他人よりは強い欲望があったとは思われないことです。心理学的に言えば強い理性(倫理や道徳や常識に支配された理性)があって欲望を制御していたことになります。私たちは「彼らが消極的になっているのは登校拒否や閉じこもりの二次的な反応」であると考えて、そのように説明します。が、それだけではないように思います。親たちから生い立ちなどを聞くと、「あの子はおとなしくて手間がかからない良い子」であったことが判明します。子どもとしての欲望を親に出していなかったこどもです。そういう親も「あの子は私と似てる」ことを認めています。
そうなると欲望の強さを支配する遺伝子について考えてみなければなりません。欲望が強ければ他者よりも物事をより多く獲得し、独占し、支配し、優位に立とうとします。それは自分の対象となる相手を獲得することでもあり、その相手を支配することでもあります。登校拒否、閉じこもりの人はこの全てにおいて劣勢です。しかも、前から劣勢だった形跡があります。
つまり「欲望遺伝子(こんな名前の遺伝子があるかは知りません)」あるいは「新奇性追求遺伝子」は性ホルモン(特にテストステロン=男性ホルモンの一種)と無縁ではありません。登校拒否、閉じこもりが思春期(性ホルモンの分泌が急激に盛んになる時期)に多発するのはそのためです。もともとわずかしか分泌されませんが、性ホルモンの分泌量のわずかな差、分泌された性ホルモン受容器(レセプター)の感受性の差が際立つ時期です。やはり性ホルモンの分泌にかかわる遺伝子やその受容器の感受性にかかわる遺伝子の影響は無視できません。こんな見方をするのは私が獣医師として生理学を学んだからなので気分を悪くしないで下さい。
2.性成長期に起こる欲望変化
登校拒否、閉じこもりの人々は家に居続ける間、人との出会いはほとんどありません。人に会いたくないし、新しい物事にも興味や関心が薄れてきます。性成長期に欲望が生じなくなります。それが登校拒否、閉じこもりの生理的な根源です。性成長の時期に個人的な欲望の差が広がり、明確になり「みんなについていけない」状態が生じます。性ホルモンは良い面でも悪い面でもやっかい者です。性ホルモンにより起こる(発生する)欲望や衝動をうまくコントロールできるようになっていくことは自立の大きな要因になります。人によっては性衝動で一生苦しむ場合があります。
性成長期に様々な欲望が生まれても、周囲の人々からの抑制や環境などから、その欲望をうまく発揮できなかった登校拒否、閉じこもりの人もいます。欲望に関する見解の相違というか、理解の違いで親や指導者たちから「それは悪いこと」にされてしまったり「間違っている」ように教え込まれてしまった場合、子どもたちは自分の内から生じる欲望に対して無気力、無意欲になります。そのかわり環境が変わったり親子関係が逆転すると、衝動的な言動に出ます。性成長期には、子どもはずっと子どものままで居続けられない状態になります。遺伝子レベルで欲望が弱い場合を除いて、性成長期には欲望は芽生え、大人に近い欲望を抱くはずです。自然に生まれる当たり前の欲望を強く抑制する意味はほとんどありません。性成長期の登校拒否、閉じこもりはかかわりを間違えなければ回復は簡単です。
一方、社会人になってから閉じこもる人もいます。彼らには性成長に伴う欲望も遺伝子レベルでの欲望も、もともとあったにもかかわらず閉じこもる人がいます。彼らの様子を見ていると遺伝子的な欲望も、性成長も含めて社会参加段階で獲得し積み重ねてきた欲望自己感も、外部からの社会的な重圧で自己感(心の構造)が破壊されたように見えます。年齢が高くなってから閉じこもる人々の多くは、回復にはかなりの手間隙がかかります。
3.登校拒否・閉じこもりの人は芸術家タイプの挫折型
登校拒否や閉じこもりの人々の多くは音楽が好きで自分で楽器を演奏する人が結構います。また絵(アニメ、マンガも含む)を描く人も少なからずいます。彼らはたぶん、右脳が発達しています。右脳の発達は発生学的には先ほどの遺伝子レベルでいえばテストステロン(女性も内分泌している)の影響を受けているのですから、本来なら欲望もかなり強くあるはずです。しかし、経済優先社会(家庭)では子どもたちの芸術家指向は親たちから猛烈に反対されます。「ギタリストになりたい」「マンガ家になりたい」など言おうものなら「バカを言うな!」のひと言で片づけられてしまいます。せっかくの欲望が親(教師の場合もある)のひと言で破壊されてしまいます。夢と欲望に充満した欲望を葬り去られ、不本意な社会参加を余儀なくされます。夢と希望とはいっても誰にでも一抹の不安はあります。その不安を抱えながらも自分の生き方を確立するのですが、多くの登校拒否、閉じこもりの人々は、自分の生き方を生きられないままにくすぶっています。彼らの心にそういう背景がルーツとしてあれば、登校拒否、閉じこもりからの解放はかなり容易なものとなります。
【子どもに必要な登校援助】
「もう学校はやめた。絶対に行かない」とか「学校なんか行っても意味がない」という子どもがいます。そういう子どもの多くは親が「義務教育だから行かなければ駄目」と言っても、聞く耳を持ちません。教師の説得もあまり効果はありません。
親や教師から「子どもにはどう答えたら良いのでしょう」という相談を受けます。不登校状態になっている子どもの多くは、学校のことに触れると家庭では狂ったように暴れます。
1.学校の出来事は話さなくなる
学校で起こった出来事は、小学生高学年になると家庭ではほとんど話さなくなります。だから親たちには学校で何が起こって、何で登校が(学校が)嫌なのかが分かりません。学年には関係なく、不登校になる直前から、学校のことを話さなくなる子どももいます。
小学生低学年の頃は、登校渋りをした場合には、親がきつく叱れば嫌々にでも登校はしていても、学年が上がるほど、かたくなに周囲の親や教師の説教や勧めを拒否します。
「学校へ行くのが当たり前だ」という同世代の常識が、その子どもの心には十分には構成されていないことが一つあります。もう一つは、大人への反抗心の芽生えです。両方が別々にその子どもの心に生じてくることから生まれる現象です。
2.違和感の芽生え
学年が上がるごとにクラスや家庭の環境も変わり、教師や親子や友だち関係も変わります。個性的な心の成長により、周囲の同世代とは多少異なる価値観や感覚も身につけます。そのことは自分にとって不都合なことが起こった時など、同世代の集団の中で違和感として大きくなります。
「学校は詰まらない」「話の合うやつがいない」「趣味が違う」「遊べる相手がいない」などという違和感です。そういう状態で学校を休み始めます。学校を休んでいると何もやることがなく、家でバタバタと暴れたり、母親にごねたりします。多くの母親たちはそれが怖いといいます。
「子育ては私の仕事」だと主張する母親が現在でも多くいます。さらに「子どもは学校へ行くのが当たり前だ」と確信している母親は「私のせいであの子は不登校になった」と嘆きます。あるいは「私が甘やかしたからいけなかった」とか「過保護にしたから悪かった」などと自省し、自らを悪者にする母親もいます。母親も子どもの言動に違和感を感じています。
母親の口から父親の子どもへのかかわりの話はほとんど出ません。私から聞き出すと「あの人は、今忙しくて、子どものことどころではない」とか「下手をしたらリストラされてしまう」と言います。その上、幼児期から「もともと子どもとのかかわりは少なかった」父親は多いのです。
3.悪者作り、悪者探しはするな
中には学校や教師を悪者にしたがる親子もいます。後々困りものです。悪者探し、悪者作り、原因追求は何の生産性もありません。悪者を作っても、子どもはいい気持ちにはなれません。教師や親が自分と子どもと不登校との因果関係を求めたい気持ちは分かりますが、因果関係がくっきりと明確になるような不登校の現実はそれ程多くはありません。
不登校成立にはその子どもの対人関係の混乱と本人にとって望ましくない環境と本人の性質気質要因があります。クラス替えなどにより新しい人間関係に入った場合、その新たな対人関係に馴染みにくい子どももいるはずです。新しいクラス環境も同様です。集団生活の中では多くのストレスが子どもに迫っているはずです。
ここで教師なり親が「自分が悪いのだ」と嘆いたら、子どもは誰を頼りにしたらいいか分からなくなります。教師や親が自分を悪者にしていたら、子どもは問題解決のために、教師や親をあてにできなくなります。そうなると不登校をしている子どもにとっては、学校環境や家庭環境までもが好ましくない、悪い環境になってしまいます。
悪者探しにつながる原因追求は止めるに限ります。それよりは子どもの言い分を理解するよう努力が必要です。
4.子どもと向き合う時間は大切に
子どもが登校渋りをしている時には教師や母親に限らず、父親も時間をかけて子どものペースに合わせて、子どもの言い分に耳を傾けて下さい。忙しいからなどと言わず、k度もと向かうことは大切です。より多く言い分を聞いてもらえた子どもは、より多くのストレス発散ができます。
子どもの気持ちを理解することは子どもを甘やかすこととは異なります。甘やかすことと理解することは区別しなければなりません。子どもの言い分を理解することが出来たら、子どもが今後どうしたいのかを聞きます。子どもは簡単には答えを出しません。自分の気持ちがまとまらないからです。子どもの気持ちに寄り添い、共にさまようくらいの時間は必要です。共にさまよいながら時間と居場所を共有することは大切です。そのことで子どもの心には寄り添う人々の心が住み着き、あたかも自分の心の機能のように働き始めます。まとまりがつかなかった子どもの心に、まとまりが付くようになります。
教師や親が悪者にされていたのでは、このような心の機能化は実現しないのです。子どもの心に寄り添った人、影響力のあった人の心の機能が子どもの心のうちにコピーされたかのようにして働くのです。このような作業を経て、子どもがやりたいことがまとまってきます。今度はそのやりたいことへの支援の段階がやってきます。野球をしたい、絵を描きたい、音楽を聴きたいなどという意欲が生まれます。このような欲求が出てくるのは、そのことで快い体験を積み重ねたいからです。
5.登校刺激ではなく登校援助を
正しい方向へ導こうという教師や親の姿勢は、しばしば子どもにとっては迷惑な話になります。世間で言う正しい方向についていけなくなったから不登校をしているのです。その正しいと思われる方向を強調することは単なる登校刺激にしかなりません。
子どもの気持ちに寄り添う人々と共に体験する、快い出来事は最も効果的な登校援助です。不快な体験になりやすい登校刺激とは区別しなければなりません。登校刺激は不登校の子どもにとっては、心の傷になりやすいので、絶対にしてはいけません。黙って見ていることも登校刺激になる場合もありますから注意して下さい。教師や親たちの沈黙は、心に負い目を持つ子どもには大きな負担になります。
教師や親に温かく寄り添ってもらえた子どもは勇気を持って学校に復学していきます。対人関係も社会性も豊かになります。
登校拒否文化医学研究所のホームページは下記から。