はるかなる戊辰戦争

角館町戊辰会

戦死した隊士の墓地移転竣工式5月7日・土)

  角館町戊辰会(会長・熊谷佳穹町議)では明治維新の戊辰戦争で同町で戦死した4人の隊士の墓地移転工事の竣工式を7日、同町岩瀬川原の現地で行った。墓地は玉川沿いの川原にあったが河川改修で移転を求められ、新たに造られた堤防沿いの敷地に移転、建立された。

  戊辰戦争は徳川幕府が大政を奉還した1868年(慶応4年)に勃発。新しい国づくりを目指す新政府軍と幕府を守りたいとする佐幕派諸藩との戦いで、秋田藩は仙台、荘内など奥羽26列藩同盟から離脱して新政府軍に加わった。このため、佐幕軍の標的となって激しい攻撃を受けた。

  9月28日、29日の2日間、角館町も戦場となった。岩瀬川原の玉川に角館隊は陣を構え、押し寄せる佐幕軍と攻防戦を繰り返した。角館隊は長州、大村藩などの応援を受け、防戦。必死になって渡岸をくい止めた。しかし、岩瀬川原の激戦で角館の隊士3人と遠征してきた長州藩の隊士1人が銃弾に倒れて戦死。明治政府は戦後、4隊士の供養を祈って、戦場となったその場所に4基の墓石を建立して戊辰戦争の歴史を顕彰した。

  その後は同町民によって結成された戊辰会が中心になって毎年9月にはお参りし、供養を続けてきた。しかし、玉川の河川改修工事でその墓地も古戦場跡から移転を余儀なくされ、約100メートルほど離れた堤防沿いの敷地に新たな墓地を求めた。移転と同時に黒御影石の「岩瀬川原戊辰戦争顕彰の碑」も建立した。

  この日の式典には熊谷会長をはじめ、4人の遺族、さらに戊辰戦争を縁に姉妹都市を締結している長崎県大村市の戦没者遺族、石黒直次町長ら来賓、会員約50人が参列。

  読経が流れる中、焼香、献花して墓地移転に伴う慰霊を終えた。式典で熊谷会長は「戊辰戦争の歴史的場所から移動を余儀なくされたことは残念だが、ご遺族の理解を得て移転することとなった。新生日本を夢に、愛する郷土を守るため、ここに眠る4隊士は戦の最前線に立って不意の銃弾によって戦死された。以来、137年間にわたって戊辰の歴史を町民に伝え、涙をもって参ってきた」と式辞を述べた。