子供の自立を考える集い

引きこもりの本当の怖さ

登校拒否文化医療研究所の高橋所長の講演から(11月12日・土)

  フリースペースTo Be(代表・日本キリスト教団大曲教会・横井伸夫さん)主催の「子どもの自立を考える集い」がこのほど、大仙市大曲花園町の中央児童館で開かれた。講師の登校拒否文化医療研究所の高橋良臣所長は「引きこもりの本当の怖さ」と題して下記のような内容で講話した。

  長年、不登校や引きこもりの人々とかかわってきて、彼らの多くが自分づくりのための生活体験を排除していることが気になっていた。「なぜ自分が生きていく上で必要不可欠な学びなのに、どうして途中で完全に放棄してしまうのか?」、「社会生活を送る上ではそれほど重要ではないことに熱中(没頭)し、大切なことをしないのか?」など不思議な思いがした。彼らの答えはこうだった。「やっても虚しい」「そのことには意味がない」「そういうことには興味(関心)が無い」「億劫だ」など、本人の気分が優先された言葉が圧倒的に多く、返される言葉は何一つ意味ある説明にはなってない。本人の気分の由来を説明する内容がある言葉は皆無に等しいほどだ。そればかりか、自分の身体についての検討がなされないままになっている。どうしてそうなったのか。

  1.すべて親が満たしてくれたのに……環境要因の一つとして

  親たちの多くは「子供が不自由しないように、気を配って育ててきました」とか「嫌な気持ちを味わないように、何でも与え、何でも希望通りにしてきました」とか「欲しがるものは大学を卒業するまでは、すべて与えてきました」などという。これでは子供にとって悲劇だ。

  我々が生活する世の中では必ずしも思い通りにはならないことはいくつもあるはず。親たちから溺愛された子供が、思い通りにならない事や困難に遭遇すると、満たされてきた自己愛が崩れ、自己を防衛するために静かに撤退し身をひそめるか、傷つきやすくなる。  自己愛を崩された人の大部分は、社会参加したことにより引き起こされる自己の不遇について不満を強烈に抱く。不満のくすぶりは、怒りや恨み、憎しみの対象を探し出し、悪者をつくる。これらの悪意は悪循環を繰り返す。感情表出がうまくできない場合、心の中にため込んだ悪意の表出は過激なものになる。悪者に向けての暴虐が行われる。最悪な表出は「相手にギャフンと言わせてやる」言動だ。「仕返し」や「思い知らせてやる」という復讐心も困りものである。
  「いくら頼んでも、親は助けてくれないなら、あいつ(親)にギャフンと言わせてやる!」とか、「ずっと脛(すね)にかじりついて思い知らせてやる」という理由で、積極的な引きこもりをして親を困惑させる場合もある。

  親がいつまでも子育て主導権を握り、子供の自分育てを無視した場合に起こりやすい傾向の一つだ。

  あるいは「どうせ自分は何を主張しても親には却下される。親の言いなりになるしかない。自分なりの社会参加は諦めよう」などと消極的な引きこもりも起こりえる。

  2.妨(さまた)げられてきた安定した日常生活……生理的な(睡眠の)問題

  引きこもりや不登校の人々の一大特徴は、睡眠相の不規則だ。これは人間の生理学上かなり重要なことだが、親たちも深刻にではなく軽く「困った」としか言わない。24時間の日周リズムで生活する昼行性の生き物として、心身の健全性の維持には規則正しい睡眠が必要だ。睡眠が不規則になれば自律神経の混乱から始まり、多くの生理的な混乱が起こり、精神的な問題も生じて来る。

  思春期過ぎの人なら、8時間前後の睡眠時間が確保されていて、入眠相、覚醒相が前後に2時間程度ずれるだけならまだましだ。夏と冬では夜明けや日没もそれくらいはずれるのだから。しかし、毎日の睡眠時間が12時間とか、3時間睡眠となると問題だ。どちらの場合も平均余命は短くなると報告されている。低体温やホルモンの分泌異常や性成長などに影響する。

  人間の睡眠を基準とした生活リズム時間は地球の24時間リズムよりはやや長いということは知られている。それなのに多くの人々は、24時間リズムの生活をしている。どうして人間が持って生まれた体内時計のリズムではなく、地球のリズムで生活できるのかというと、空腹のリズムによる食事の摂取で調節したり、昼間に活動することで疲労して調節したり、朝の明るさを視覚で感じ、夜間の暗さなどで睡眠のための調整をしている。何もしなければ……これらの食事時間の無視や朝の起床の無視や昼間の行動の無視をしてしまえば、人間の生き物としての生理的機能は、不都合を起こす。サリヴァンがいう自己組織の機能や、コフートがいう自己感の積み重ねの不全や断片化を起こし、相互関係性や成長発達課題の自己実現にはほど遠くなる。自分育てをしない人になる。

  3.もっと詳しく……たかが逆転生活だけど恐ろしいことが……

  良く知られているホルモンでメラトニンという物質がある。メラトニンは暗い時に分泌される。明るい環境にいると分泌が抑制される。睡眠の態勢を整える(作る)のには大切なホルモンだ。脳内の松果体という部分で形成されるホルモンで、抗ガン作用や細胞の老化の予防の働きをしたり、睡眠相のバランスをとったり、性成長を抑制したりする。一晩中、パソコンやテレビ漬けの生活では睡眠の態勢はできない。

  朝方に血中濃度を高めるコルチコステロイドというホルモンのストレスに対する働きはそれほど知られていないかもしれない。人間の身体にとって睡眠から目覚めることは大きなストレスになるので、コルチコステロイドが多く分泌されるのではないかと考えられている。高橋らは1980年ごろ、子供たちや保護者の了解を得て、血中のホルモンの日内変動を調べた。コルチコステロイド系のホルモンについては80%前後に異常値が見られた。睡眠相の狂いでコルチコステロイドの日周リズムが前後にずれ込むと、起床してからのストレスに過敏な状態が引き起こされる可能性もある。このホルモンは血糖値の上昇にも関連するインシュリンの分泌に関与する。通常、コルチコステロイドは夜間の睡眠中に分泌量が低下するが、夜通し明るい環境で起きているような生活だと、コルチコステロイドの分泌は低下しない。したがってインシュリンの分泌低下を引き起し、血糖値を上昇させ、糖尿病の危険にさらし、さらにコルチコステロイドの絡みでは、肥満を引き起こす可能性も高まる。

  それとは別にセレトニンの作用については大脳(心)の神経伝達物質として最近はよく知られている。猿の実験では仲間との交流が減少することも知られている。セレトニン神経系統は朝の目覚めの時期に活動が活発になる。朝の光などでその活動はさらに活発になる。夜中に起きている人はこの働きが低下する傾向にある。また、運動量が少ない人も低セレトニン状態を形成する。全体的な倦怠感、面倒くささ、億劫さ、慢性疲労状態などから、自己中心的、自己愛的な心の構成になりやすく、自己愛の歪みが強くなりやすい傾向が生まれる。他者との相互関係性が減少し、うまくいかないことの説明にもなりそうだ。

 4.自分育てができにくくなる

  起きていると倦怠感があり、人との接触が億劫になり、外出しにくくなるというパターンは、その人の日周リズムで変動するコルチコステロイドや成長ホルモンやメラトニンやセレトニン(セロトニンという表記もある)などというホルモン(内分泌物質、脳内神経伝達系統)などの生理作用に影響されて引き起こされる場合がしばしばある。

  特にセレトニン感受性神経系統は環境の変化に影響される神経系統だ。例えばセレトニン感受性神経系統の過剰な働きはパニック発作に関与するが、セレトニン神経系はノルアドレナリン神経系に対して抑制的に働く作用をする。前記のこれらのホルモンは人間の心に影響を与えるホルモンとして医学の世界では知られている。これらの一連のホルモンは24時間リズムに合う日内変動を繰り返し、人間の心身の安定に寄与する。地球時計のリズムによる日内変動が基本的にはあっても、その人の睡眠形態により生理的にはこれらのホルモンの分泌が大きく変えられる場合がある。ほかには関係や環境もホルモン分泌と影響し合っている。が、ここでは主に生理的な問題を取り上げたい。

  朝起きて、その日の夜に睡眠するとこれらの内分泌物質は正常に働き、ストレス抑制作用や対人関係への意欲や身体行動の促進が維持される。人間の体内時計リズムと地球時計リズムのずれを修正する力は食事を摂り、昼間の時間帯に適当な活動(学び、働く)をして疲労し、他者と出会うなどによって実現します。これらは通常の社会生活そのものだ。

  食事や昼間の活動や睡眠は日常生活習慣により維持されるものだが、周囲の環境や関係に違和感を感じる人にとっては、食事も活動も睡眠も恒常性を持たなくなり、不安定で不規則になる。

  実際に不登校や引きこもりの人々のカルテ(高橋の面接記録)を見直すと社会活動をしている人とは4〜8時間くらいの入眠と覚醒時刻のずれがほぼ全員にある。彼らの睡眠を始める時刻が不規則(2〜5時)で、起床時刻(10〜15時)も不規則だ。通常の起床時刻(6〜7時)以外に起床する者が圧倒的に多く、入眠も通常の時間帯(成人では22〜23時)以外の時間帯に入眠する者が圧倒的に多い。これでは日常の社会生活を送っている人々の生活の共有は時間的にも空間的にも実現しない。本人たちの意識がどんなであれ、日常生活における体験の共有がないことによる弊害は実際に深刻で、無視できない。生活時間と空間を共有していない現実からは「他者を見習う」機会が極端に減少する。

  自分と同世代の他者がどのように自分づくりや自分育てをしているのかが分かりにくくなる。問い詰めると「やりたいことがない」「面倒だ」「億劫だ」などの言葉が返って来る。

  5.孤人生活から対人関係の個人生活へ

  一人の人間としての周囲とのかかわりの中で個性がある生活は個人生活だ。周囲と関わらず、孤独で孤立した生活は孤人生活といえる。これは心身の成長や発達には好ましくない。親たち主導の子育てから、子供たちの部分的な自分育てが始まる思春期に、孤人生活が始まってしまうと、その後の相互の対人関係性や生理的な成長に関して問題が生じる。

  同世代の人々が時間的にどのような生活をしているのか、何をしてどんな目標で生活しているのか、彼らには社会参加に際しての欲望はあるのか、そのような日常が虚しくないのかなどほとんど理解できない。実際には彼らが考えるほど明確な目標を持って生活している人は少数だ。社会的な欲望も淡い欲望はあっても、観念的に考え出した明確な欲望を確保している人もそんなには多くないだろう。日常に虚しさを感じないで充実感だけで過ごしている人は極めて少数だ。それでも日常生活を繰り返し、そこそこ過ごしている人の方が圧倒的に多い。そうするのは惰性とか、義務とか、義理からかもしれない。普通は自分の生き方が良い、悪い、正しい、間違いという突き詰めた検討なしに生活は行われている。生活していくことが自分づくりにつながっているという意識も、ほとんど認識されないままに、日常を送っている人の方が多い。

  何しろ「食べていかなければならない」のだ。「働く(学ぶ)」ためには睡眠を取らなければならない。日常生活の経済的な部分を確保するためには、無条件に生活し、働かなければならない。屁理屈をこねて、働かず、学ばず、餓死するよりは少々、嫌なことでもやらざるを得ない。充実感とか満足感とか幸福感などは高尚な観念的な次元の課題であって、現実の次の課題だ。多くの人々がこのような生活体験から小さな幸せを発見し、つかんでいき、心に構成している。

  ほとんどの多数者が競争社会には辟易としているが、弱肉強食社会が善良だとは考えてない。むしろ嫌悪すべき悪質社会であると感じていることだろう。だからといって、自己の生活を放棄することはしない。個人であって、孤人ではないからだ。個人と別の個人とのつながりに絆(きずな)と絆(ほだし)を感じるからだ。絆は親しみに通じるつながりである。そこから生じるほだしは「しがらみ」という責任に結びつけられる。この両方の関係は背反的だが、実際には「愛」で結ばれている。

  孤人生活を送っていると「愛」の授受に関して未構成のままにして心の芯に取り入れないで済む。孤人生活を続けたい人は相手に「愛」を感じない方が「しがらみ・ほだし」ができないから好都合だ。「ほだし」ができると、たとえ虚しくても日常生活を繰り返し送らなければならないことを子供たちはしっている。親たちの生活で見る「ほだし」は義理や義務であり、満足で快いものではない。親たちもそういう生活が練達(鍛練)になることまでは教えていない。子供たちは対人関係の豊かさが自己の成長になるとは受け止めない。「義理で動いたとはいえ、あの人と出会って良かった」とか「仕方なく引き受けた仕事だが、できないと思っていたことが出来るようになって嬉しい」など、人間関係の中で実現する出来事については理解していない場合が多い。

  そこで孤人生活をしている人にかかわろうとする人は、その人との関係づくりから始めて、社会参加している自分の生活のリズムいん巻き込む方向へ向けると良い。自分が社会参加している世界が結構、楽しいものであることを次の段階で伝える。社会参加していたおかげで、自分が獲得できた利点(練達)についても披露すると良い。孤人生活している人には対人関係の相互性が欠如している場合が多いので、関わろうという人は、彼らに見返りを期待してはいけない。期待するとしたらほんのわずかにとどめるべきだ。それでも絶対に見捨てないことの保証をしながら関わり続けると、対人関係が成立する。

登校拒否文化医学研究所のホームページは下記から。

http://www.asahi-net.or.jp/~pr8y-tkhs/index.htm